時論(5月19日)国立劇場の空白長引かせるな

 文楽のすごさを最初に実感したのは、東京・国立劇場で見た「摂州合邦辻[せっしゅうがっぽうがつじ]」だった。1月に亡くなった豊竹咲太夫さんの、切場[きりば](物語のクライマックス)でのたたみかけるような語りの迫力に圧倒された。
 その国立劇場の老朽化に伴う再整備事業は、入札がこれまで2度にわたって不調に終わり、昨年10月にいったん閉場した劇場の再開のめどが立っていない。目標とする2029年度末の再開場の延期は、避けられない状況だ。
 1966年に開場した国立劇場は、日本の伝統芸能にとって最大のとりでと言える。歌舞伎や文楽、邦楽や日本舞踊などの公演、担い手の育成などを通じ、その魅力の発信と継承に大きな役割を果たしてきた。国の伝統文化への向き合い方が問われている事態であり、国は空白を長引かせないよう最善を尽くさなくてはならない。
 国立劇場について、政府は2020年、民間資金を活用するPFIの手法で建て替える整備計画を発表した。上階にホテルなども併設し、文化観光拠点としての機能を強化するのが特徴だ。入札が成立しない背景には、建設資材や人件費の高騰があるとみられる。
 この状況に伝統芸能の実演家たちが2月、日本記者クラブで会見し、強い危機感を表明した。京舞井上流家元で人間国宝の井上八千代さんは「空白が大きいことの恥ずかしさを、地方の方々にも知っていただきたい」と訴えた。閉場の間、公演は別の会場で続けられるが、舞台装置などの制約や回数の減少もある。“国立”の空白の長期化がもたらすリスクの大きさを社会全体が共有すべきだ。計画の見直しを含めた開かれた議論とし、皆で知恵を絞りたい。
 (論説委員・川内十郎)

いい茶0
あなたの静岡新聞 アプリ
地域再生大賞