⚽長谷部誠(藤枝東高出)現役引退 絶大な信頼、欧州にも足跡 求められる役割に適応

 キャプテンマークが誰よりもよく似合った。日本サッカー界だけでなく欧州にも確かな足跡を残し、長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト、藤枝東高出)が約22年間のプロ生活にピリオドを打つことを決め17日、今季限りでの現役引退を表明した。

W杯ロシア大会の壮行試合となったガーナ戦でプレーする日本代表の長谷部誠選手=2018年5月、横浜市の日産スタジアム
W杯ロシア大会の壮行試合となったガーナ戦でプレーする日本代表の長谷部誠選手=2018年5月、横浜市の日産スタジアム

 3度のワールドカップ(W杯)で主将を務めた。日本サッカー協会が参考記録として公表する「主将回数ランキング」によると、長谷部は81回で歴代1位。2位宮本恒靖氏は55回、3位柱谷哲二氏は49回と、他の歴代主将を圧倒している。どの監督からも絶大な信頼があった。
 積み上げた実績は輝かしい。2002年に入団した浦和レッズでは2年目に定位置を確保。リーグ優勝やアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)制覇などに貢献し、人気クラブの黄金期を支えた。08年に渡ったドイツでも、リーグやドイツカップの優勝に貢献。3クラブを渡り歩き、20年6月にはドイツ1部のアジア選手最多出場記録を更新した。
 藤枝東高時代は当時監督だった服部康雄氏が「1、2年のころの長谷部は全く記憶にない」と話すほど影が薄い存在だった。突出したスピードや派手なテクニックがあるわけではない男が欧州で成功を収めるまでに成長できたのはなぜか。
 多くの関係者が口をそろえるのは、チームの変化に柔軟に対応する適応力を備えていたこと。ドイツでは指揮官交代で定位置を失うこともあったが、その度に自身に求められている役割を理解し、ピッチで忠実に表現することで信頼を獲得してきた。
 浦和時代には敵陣にボールを運ぶ攻撃力が売り物だったが、ドイツに渡って以降はプレースタイルも変化。読みの鋭さや確かな戦術眼で本職のボランチだけでなく、サイドバックやセンターバックもこなした。
 東日本大震災の被災地復興支援にも力を尽くしてきた。サッカーファンの枠を越えた高い知名度や広い人脈を持つ長谷部に、サッカー界が期待するものは大きい。藤枝が生んだ闘将はこれから、日本サッカー界をどんな境地に導いてくれるか。

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