熱海土石流 我慢と不満の2年 癒えぬ悲しみ、消えぬ怒り「惨劇決して忘れない」 責任不明確、見えない未来

 「ここから見える景色が1年前と何も変わらない」「この先、どうなっていくんだろう」。人々のそんな声を断ち切るように、サイレンが集落に鳴り響いた。3日午前10時28分。災害関連死を含め28人が犠牲になった熱海市伊豆山の土石流災害は発生から2年が経過した。被災地の復旧復興は進むのか。分断された地域コミュニティーの行方は。悲劇の責任の所在は-。被災地には依然、多くの不安と疑問が残されたままだ。

近隣住民を救助した当時の状況を語る大久保衛さん(右)=3日午前、熱海市伊豆山
近隣住民を救助した当時の状況を語る大久保衛さん(右)=3日午前、熱海市伊豆山

 土石流が流れ下った現場付近では遺族、被災者、住民がサイレンに合わせて、静かに手を合わせた。「あの時のことが今でも夢に出る。生き残った自分でさえそうなんだから、遺族の方はもっとつらいだろう」。発生当時、土砂が迫り来る中で隣に住む高齢女性を背負って逃げた大久保衛さん(64)は現場を見渡した。
 母=当時(77)=を亡くした「被害者の会」の瀬下雄史会長(55)は同時刻、土石流に流された両親宅跡にいた。「この場所に両親が来ているような気がして」-
 母を追うように、病気で入院中だった父も他界した。深い悲しみを抱えながら、土石流の起点となった土地の現旧所有者と県、市の責任追及を続けてきた2年間。法的責任を誰も認めようとしない状況は続く。「やるべきことをやるだけ。裁判を通じ、真相究明と責任追及をする決意だ。気を引き締めて頑張っていく」と気丈に語った。
 長女=当時(44)=を亡くし、被害者の会の訴訟に参加している小磯洋子さん(73)も「28人の命が奪われた結果に誰も言い訳できないはず。心からの謝罪がないと前に進めない」と訴えた。
 現場では被災家屋の解体が進んだものの、今も泥をかぶったままの家が点在する。市は9月1日に警戒区域を解除する予定だが、宅地復旧の手法は二転三転し、被災者への説明不足も露呈している。妻=(70)=を亡くし、自宅が全壊した田中公一さん(73)は「伊豆山に戻りたい被災者の気持ちを、行政は逆なでしている。少しでも前に進めてもらわないと、復興なんて実感できない」と不満をあらわにした。
 伊豆山で被災者の帰還を待つ住民も同じ思いだ。被災現場に隣接する高台から犠牲者を悼んだ仲道町内会役員の高橋浩一郎さん(63)は「復興は道半ば。私たちはこの惨劇を決して忘れない」と改めて心に刻み、「この災害は人災であることは間違いない。それを認めないと亡くなった人が浮かばれない」と語気を強めた。

復旧復興事務統括 稲田副市長辞職へ「健康上の理由」
 熱海市の稲田達樹副市長(61)が、健康上の理由で斉藤栄市長に辞職願を提出し、受理されていたことが3日、関係者への取材で分かった。7月末で退職する。稲田副市長は元市職員で、土石流に見舞われた伊豆山地区の復旧復興に関する事務を統括していた。
 稲田副市長は観光建設部長、消防長などを歴任し、2021年4月に副市長に就任した。関係者によると、6月30日に辞職願を提出した。同市は副市長2人制で、稲田副市長は市民生活、健康福祉、公営企業の各部と教育委員会事務局を担当していた。
 伊豆山の復旧復興については、稲田副市長が被災者の生活再建支援や復旧復興事業を担当。経済産業省出身の金井慎一郎副市長(40)が行政対応検証や訴訟対応を担っていた。8月以降は、金井副市長が全般を統括するとみられる。復旧復興事業を巡っては、被災者への説明不足などが原因で宅地復旧の手法が二転三転するなど混乱が続いている。

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