大自在(3月18日)此岸に生きる

 きょうは彼岸の入り。終息はまだ見通せない3年目の新型コロナウイルス禍や、1年を経て出口の見えないウクライナ情勢、未曽有の被災者を出したトルコ・シリアの大地震―。世界の安寧も願い、手を合わせたい。
 先祖や亡き近親者に感謝し、自らの脚下を顧みる。昼と夜の長さがほぼ等しい春分を真ん中に、前後3日ずつ計7日間の彼岸。「入りぼた餅に明け団子」。子や孫との供物作りは今や昔か。
 彼岸は一般的に、サンスクリット語「波羅蜜多」の漢訳「到[とう]彼岸」の略語とされ、煩悩に苦しむこの世「此岸[しがん]」を渡りきった悟りの世界。春分と秋分の太陽は、真東から昇り、真西に沈む。極楽浄土の彼岸は、西のかなたにあると考えられたことに由来する。
 「文学をこえての人生の主題は、この同時代から与えられている」。先日亡くなった作家大江健三郎さんの寄稿・講演録「日本の『私』からの手紙」から引いた。自分以外の人間のことを考え、想像し、どう生きるべきかを書き、語り続けた。
 極楽の東門が一番近くなる頃、懐かしいあの人がくぐった門を太陽とともに拝む。「日願」でもある。分断や誹謗[ひぼう]の絶えない不穏な此岸も、合掌にひとときの平穏が宿る。
 「井戸の底に、わずかな光を照り返すほどの水を汲[く]み残しておく」。エッセー集「言い難[がた]き嘆きもて」にある大江さんの執筆習慣。私たちが同時代から与えられる主題も枯渇することはない。大江さんは夏目漱石「こゝろ」の一行を好んで引用した。「記憶してください。私はこんなふうにして生きてきたのです」

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