来静に日印友好の秘話 天国へ旅立ったゾウ「シャンティ」

 静岡市立日本平動物園で子供らに愛され、5日に53歳で死んだアジアゾウの雌シャンティ。当初はインド・マイソール州(現カルナータカ州)から旧清水市(現静岡市清水区)に贈られた。ただ、6500キロ以上も離れた場所からはるばる来た理由は知られていない。きっかけは、清水出身の1人の青年が現地の貧しい村々で始めた支援活動だった。

ダンボ(左)と一緒に園内をパレードするまだ子ゾウのころのシャンティ=1971年3月、静岡市駿河区の日本平動物園
ダンボ(左)と一緒に園内をパレードするまだ子ゾウのころのシャンティ=1971年3月、静岡市駿河区の日本平動物園
ゾウ舎の前に設けられたシャンティの献花台。いまも花がひっきりなしに届く=19日午前
ゾウ舎の前に設けられたシャンティの献花台。いまも花がひっきりなしに届く=19日午前
松浦和良さん
松浦和良さん
国内で飼育されている高齢アジアゾウ(ことし4月1日現在)
国内で飼育されている高齢アジアゾウ(ことし4月1日現在)
ダンボ(左)と一緒に園内をパレードするまだ子ゾウのころのシャンティ=1971年3月、静岡市駿河区の日本平動物園
ゾウ舎の前に設けられたシャンティの献花台。いまも花がひっきりなしに届く=19日午前
松浦和良さん
国内で飼育されている高齢アジアゾウ(ことし4月1日現在)


 きっかけをつくったのは、同区青葉町の松浦和良さん(83)。早稲田大の夜学に通い20代で単身渡印。慈善家ハリハラン氏と現地の村々を訪ね、日本の技術を紹介する催事や青年海外協力隊の受け入れに携わった。
 その過程で、後に1970年6月に動物園で行われたシャンティの贈呈式にも出席することになる州政府高官夫妻らとの交流が始まったという。
 「当時はとにかく貧しく、伝染病が多い国という印象しかなかった」と振り返る松浦さん。今のように学生が気軽に旅できる国ではなかったが、6歳で迎えた終戦とその後の貧しい戦後を経て「同じアジアの国として何か力になれないか」と強く思ったという。
 家業が清水の材木店だった松浦さんは、インドの木材などを日本に輸出する専門商社の経営で成功した。69年に州政府高官を日本に招き、旧清水市の当時の佐藤虎次郎市長に紹介した。その際「友好の印にゾウを寄贈したい」との申し出があり、佐藤市長が「清水には動物園がないので、日本平動物園に寄贈してはどうか」と応じ、開園直前の動物園にシャンティは来ることになった。
 松浦さんは「渡印当初から友好の証しとして何か形に残せれば」との思いがあり、お茶を飲みながら「ゾウをもらえたら」との話を現地でしていた。
 シャンティ(現地語で「平和」の意味)の訃報で松浦さんは動物園にこうした話を初めて伝えた。竹下秀人園長によると、「マイソールから来た」との記録はあった。ただ、静清合併などもあり、尽力した人々の記録は残っていない。松浦さんは当時の関係者の名前も記憶していて、静岡市は近くお礼の手紙を出すという。
  
 ■残るダンボも56歳 「不在の危機」に現実味
 日本平動物園では飼育していたアジアゾウ2頭のうち、残るダンボ(推定56歳)は国内で飼育されているアジアゾウの雌ではことし4月1日時点で最も高齢。
 静岡市は2017年から幹部が複数回タイを訪れるなどしているが不調に終わっている。国際的な動物福祉の基準に基づき雄1頭、雌3頭の導入を目指していることや、新型コロナウイルス感染拡大で直接交渉ができないことがあるという。
 市はタイやミャンマー以外の国とも交渉先を広げる方針で、関係者は「原産国によっては獣舎の広さなど個別の要求がある可能性がある」と整備の難しさを話す。
 日本動物園水族館協会(東京都)によると、21年12月末時点で国内で飼育のアジアゾウは33施設で82頭。

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