沖縄、日本復帰から52年 続く基地負担、進む防衛力強化

 沖縄県は15日、1972年の日本復帰から52年を迎えた。復帰に際し県民は「基地のない平和の島」の実現を求めたが、国土面積の約0・6%しかない県内に今も在日米軍専用施設の約7割が集中。台湾や沖縄県・尖閣諸島を巡る緊張を背景に政府は防衛力強化を推し進めており、県民からは懸念の声が上がった。

米軍普天間飛行場から離陸する米海兵隊のMV22オスプレイ=3月、沖縄県宜野湾市
米軍普天間飛行場から離陸する米海兵隊のMV22オスプレイ=3月、沖縄県宜野湾市

 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、政府は昨年12月、玉城デニー知事が拒んだ辺野古沖での軟弱地盤改良工事の設計変更承認を代執行し、今年1月に工事に着手した。ただ、完成は2030年代半ば以降にずれ込む見通しだ。
 工事現場に隣接する米軍キャンプ・シュワブ(名護市など)のゲート前では15日朝、約30人が座り込みをし「52年前から基地に虐げられている状況は変わらない」「新しい基地はいらない」と声を上げた。県警機動隊員が、参加した市民らを抱きかかえるなどして移動させ、工事用とみられるトラックやクレーン車がゲート内に入った。
 米軍基地の重い負担が続く一方、政府は中国の海洋進出などを踏まえ、九州・沖縄の防衛力を強化する自衛隊の「南西シフト」を強化した。
 宮古島、石垣島、与那国島に相次いで駐屯地を開設。那覇駐屯地を拠点とする陸上自衛隊第15旅団を、師団に格上げする計画もある。今年3月には陸地から艦艇を攻撃する地対艦ミサイル部隊が、沖縄本島に初めて配備された。
 自衛隊と米軍は南西諸島にある民間の空港や港湾の利用拡大も図っており、陸自は昨年10月、石垣島の新石垣空港で輸送機V22オスプレイを使って訓練し、沖縄に陸自オスプレイが飛来する初のケースとなった。

 沖縄の日本復帰 太平洋戦争後、1952年4月発効のサンフランシスコ平和条約で日本は主権を回復したが、沖縄は切り離され、米国の施政権下に置かれた。米軍は民間の土地を接収し基地建設を推進。住民は「島ぐるみ闘争」と呼ばれる運動で抵抗した。69年、佐藤栄作首相とニクソン米大統領は沖縄からの核兵器撤去、日米安全保障条約に基づく事前協議制度を適用する「核抜き・本土並み」で合意し、返還を発表。その裏で有事の沖縄への核再持ち込みなどを認める密約を交わした。72年5月15日、沖縄は日本に復帰した。

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