​【ケン・ローチ監督『オールド・オーク』】かつて炭鉱があった町にシリア難民がやってくる。「新しい隣人」とどう付き合うか

静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。今回は5月29日に静岡市葵区の静岡シネ・ギャラリーで上映が始まったケン・ローチ監督『オールド・オーク』を題材に。
(文と写真=論説委員・橋爪充)

英国の労働者階級の人々の暮らしを描き続けてきた巨匠ケン・ローチ監督。3年前の第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された『オールド・オーク』が、いよいよ日本でも見られるようになった。来る6月17日で90歳を迎える彼の「最後の作品」とされる。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』に続く「イギリス北東部3部作」の最終章とのこと。初老の男が高度にシステム化された資本主義社会の犠牲になる前2作が提示する、貧困や労働問題に加え、今作では「難民」や「排外主義」といったテーマが持ち込まれている。

炭鉱の閉鎖とともに寂れた小さな町が舞台。町で唯一のパブ「オールド・オーク」には、古くからこの地に住む男たちが集い、パイントグラスを片手にああでもないこうでもないと議論に花を咲かせる。

人口減少が進む町にシリア難民がやってくる。2016年、英国で実行に移された政策である。ブルカをかぶった女性を含むシリア人が、家族で安価な住宅に住むようになる。異なる文化的背景を持つ「隣人」に戸惑う町の人々。パブの男たちの舌鋒も鋭くなる。「シリアだと?ふざけんな」

パブのオーナーのTJは、内戦状態の祖国を脱出してきた難民に同情的である。難民家族の一人で、英語ができる女性ヤラと友情を育む。彼女の家族や町の慈善活動家らと、パブの別室を使ってシリアの人々が集える「子ども食堂」のような場所を始める。店の常連だった男たちの「ヘイトトーク」はますます先鋭化する。二つのコミュニティーは、理解し合えるのか-。

排外主義と共生社会の相克が主題である。元炭鉱の町の人々は「国に置き去りにされた」という気持ちを抱えているようだ。自国政府が外国人の手助けをしていることに納得がいかない。難民たちの経験してきた困難には思いが至らない。

彼らの言い分は「パブは俺たちが気を使わずに過ごせる唯一の場所。そこにシリア人が入ってくるなんて」というもの。「国へ帰れ」という言葉が何度となく出てくる。炭鉱がなくなった町に居続けるしかない貧しい人々が、自分より弱い立場の者をたたく。どんな国でもヘイトの構造は同じなのだ。日本の社会に置き換えることもできる。

ただ、本作は『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』に比べると、希望の灯が感じられる。炭鉱労働者のエピソードとともに「連帯」の考え方が語られ、「ともに食卓を囲む」という具体的成果につながる。分断を収めようとする、意志ある行動が描かれる。

ケン・ローチ監督の作品だから万々歳の結末とはならない。だが、「互いを受け入れる」ためのいくつかの処方箋は示されている。将来の日本の地方都市を見るようだ。私たちは本作を自分事として捉えなくてはならない。

<DATA>※県内の上映館。5月29日時点
シネプラザサントムーン(清水町、6月12日から)
静岡シネ・ギャラリー(静岡市葵区)
シネマイーラ(浜松市中央区、6月5日から)

静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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