【ジャファル・パナヒ監督『シンプル・アクシデント/偶然』】イラン人監督が首都テヘランで撮影した、本国では上映できない上質のサスペンス映画

静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。今回は5月8日から静岡市葵区の静岡シネ・ギャラリーで上映されているジャファル・パナヒ監督「シンプル・アクシデント/偶然」を題材に。
(文と写真=論説委員・橋爪充)

2025年の第78回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール(最高賞)。2026年の第98回アカデミー賞で脚本賞、国際長編映画賞にノミネート。映画館で買い求めたパンフレットによると2026年4月15日現在で、世界各国の「41の賞を受賞、131の賞にノミネート」とある。

日本でもかなり注目されているようだ。筆者は本作を金曜日の午後に見たが、平日ではちょっと見たことがないほど客席が埋まっていた。

2026年2月の米イスラエルによるイラン攻撃、武力行使の応酬とホルムズ海峡の事実上の封鎖による日本を含む世界のエネルギー事情変調。本格的な和平に向けて、米大統領は「イランの核問題」を盛んに口にするが、私たちはこの中東の大国について知らないことが多すぎる。多くの観客は、そんな思いも抱えて映画館に足を運んだのではないか。

米イスラエルの醜悪な奇襲攻撃は非難されるべきだが、イスラム法学者が統治の最上位に君臨するイランの政治体制の強権ぶりも断片的に伝わってくる。パナヒ監督は巨匠アッバス・キアロスタミの薫陶を受け、1990年代から活躍する映画人だが、2009年と2010年の2度の逮捕を経て10年には映画監督、脚本執筆、報道機関のインタビュー、海外渡航を20年間禁止された。

それなのにイランにとどまり、さまざまな知恵を駆使しながら「映画」を撮影してきたパナヒ監督。本作も含め、その作品はイランで実際に起こっていることと、フィクションがない交ぜになっている。

穏やかな中年男ワヒドは、過去に政治犯として不当逮捕されたことがある。ある日、収監された際に自分を拷問した看守を見つける。ワヒドは衝動的に彼を拉致し、かつての「囚人仲間」と一緒に制裁を加えようとする。ただ、ワヒドには拉致した男が本当に「復讐すべき相手」なのか、確証がない。収監中に目隠しをされていたため、姿を見ていないのだ。囚人仲間の検証を頼りにするが、決定打にはならない。車の荷台に積んだ箱に男を閉じ込め、ワヒドと仲間たちはこぶしの振り下ろしどころを求めてあちこちさまよう。

サスペンスとコメディー、ヒューマンドラマが絶妙にブレンドされていて、最初から最後まで飽きることがない。音響演出が巧みで、さまざまな解釈が成り立ちうるラストシーンが特に秀逸だ。

筆者としては、物語そのもの以上に、イランの風景や習俗に目を奪われた。パナヒ監督はある意味で「非合法的」に首都での撮影を敢行。2024年から2025年のテヘランとその周辺が映っている。かなり乾燥した空気や、夜になると活発に野犬が活動する郊外の様子、またお祝いごとがあると甘いお菓子を振る舞うしきたりや、紅茶を習慣的に飲む生活スタイルなどが印象に残る。

2025年末から2026年1月にかけての反政府デモと政府による極めて暴力的な鎮圧、前述した米イスラエルの攻撃で、こうした風景はどう変わってしまったのだろうか。

映画は一瞬で「ここではないどこか」へ連れて行ってくれるメディアだが、「この先が知りたい」と強く思わされる。監督の意図とは明らかに別だが、日本で生きる私たちに何ができるかという問いを強く投げかけてくる作品だった。

<DATA>※県内の上映館。5月17日時点
金星シネマ(伊東市、5月27日~)
静岡シネ・ギャラリー(静岡市葵区、5月28日まで)
シネマイーラ(浜松市中央区、6月19日~)

静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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