【静岡市美術館の「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」】「妖怪文化人」としての水木さんをクローズアップ。妖怪の絵から浮かび上がる新しい「水木像」

静岡県のアートやカルチャーに関するコラム。今回は4月4日に静岡市葵区の静岡市美術館で開幕した「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」を題材に。
(写真・文=論説委員・橋爪充)

展示会場に入ると、『妖怪文化入門』『鬼と日本人』などの著書で知られる「妖怪学」の第一人者、国際日本文化研究センター名誉教授(元所長)の小松和彦さんの言葉が掲げられている。

水木さんの仕事がなければ、昨今の妖怪ブームはなく、妖怪への関心は今もなお、一部の研究者や好事家のレベルにきっととどまっていたことでしょう。言い換えれば日本の妖怪文化史の発掘・再発見はなかったと考えています。

今回の展覧会の趣旨は、この小松さんの言葉がよく言い表している。つまり、水木しげるさんの「漫画家」としての側面より、「妖怪研究者」としての功績に強く光を当てているのだ。『ゲゲゲの鬼太郎』を掲載した1960年代の漫画誌や数々の妖怪を描いた作品も多数出ているが、特に強調されているのは「妖怪研究史」における水木さんの立ち位置である。

個人的に最も興味深かったのは「妖怪文化人年表」だ。平安時代の仏教画にまでさかのぼるとされる(カタログで京都先端科学大の木場貴俊講師が記述している)日本の「妖怪」的なものに着目した人々の生きた時代を、分かりやすく示している。

一番古いのが室町時代の絵師・土佐光信。水木さんが大きな影響を受けた江戸時代の浮世絵師の鳥山石燕、竹原春泉斎らがいて、明治期には当然NHKドラマ『ばけばけ』のモデルだった小泉八雲がいて、「妖怪博士」と言われた井上円了の名前がある。昭和に矢印が伸びる一群には柳田国男や江馬務、藤沢衛彦らがいる。一番左には小松さんの名前も記してある。こうした人々の中に「水木しげる(1922~2015年)」という表記がある。

個人的には虚をつかれた思いだった。貸本出身の「妖怪漫画家」であり、「鬼太郎」の生みの親であり、『ゲゲゲの女房』の夫であり、といった認識だった水木さんは、確かに「妖怪研究」の一翼を担う存在だったのだ。

今回展にはそれがはっきり分かる展示がある。水木さんの妖怪創作の三類型を解き明かすコーナーがそれで、特に感銘を受けたのが「水木さんは過去の絵師たちから妖怪を継承しようという意識が強かった」といった内容の説明だ。

水木さん自身「妖怪は本来、創作されるべきではない」「昔の人が残したものだから、その型を尊重し、後世に伝えるのが良い」といった趣旨の発言をしていたようだ。

これを踏まえて作品を見ると、水木さんがいかに「古典」を尊重していたかが分かる。人に取りついて恐怖心を覚えさせる「震々(ぶるぶる)」という女の姿をした妖怪については、鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』に掲載されたものを踏襲しており、輪郭線のギザギザした線もそのまま採用している。「輪入道」や「網切」なども、同じ鳥山の絵を大事に再現している。

後頭部に口がある女「二口女(ふたくちおんな)」は竹原春泉斎の『絵本百物語』が原典だが、見比べると全体の構図や女の顔や体の向き、髪の毛の動きも完璧に写し取っている。

過去の偉大な作曲家のスコアを元に、自分の音楽を奏でるクラシック音楽家の姿を思い浮かべた。先達が頭に描いたイメージを、現代の手法で再構築している。後世に伝えるべきものを認識し、正しく継承するという強い使命感があったのだろう。

研究者、学芸員、表現者という三つの顔が合わさった、新しい水木しげる像が見えてきた。

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■静岡市美術館の「水木しげるの妖怪 百鬼夜行展 ~お化けたちはこうして生まれた~」
住所:静岡市葵区紺屋町17-1葵タワー3階 
開館:午前10時~午後7時 
休館日:毎週月曜 、5月7日(木)。4月27日(月)、5月4日(月・祝)は開館
観覧料(当日):一般1600円、高校・大学生、70歳以上1200円、中学生以下無料
会期:6月14日(日)まで

静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

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