
(山田)今日のテーマの「グリーフケア」。初めて聞く人も多いと思いますが。
(川内)グリーフとは英語で「悲嘆(ひたん)」「深い悲しみ」「苦悩」などを意味する言葉です。さまざまな喪失体験によって生まれる「大きな心の痛み」と置き換えてもいいでしょう。
(山田)どんな状況で生じるのでしょうか。
(川内)喪失体験として代表的なのが、家族や身近な人との死別です。さらに、死産や流産の体験、愛するペットとの死別、災害で自宅が失われることなども含まれます。その悲しみや痛みに寄り添い、支えるのが「グリーフケア」と呼ばれる取り組みです。
グリーフケアの考え方は1960年代に欧米で生まれたとされ、日本では1995年の阪神大震災や2005年の尼崎JR脱線事故などの遺族支援で注目されるようになりました。
(山田)大きな災害や事故が広がりのきっかけというのは理解できる。
喪失体験が心身に影響
(川内)喪失感は心身の健康に影響を及ぼすこともあり、その反応、つまり出方は、精神面では亡くなった人を思い慕う気持ちを中心に起こる、感情の喪失、孤独感、寂しさ、無気力、恐怖に似た不安、怒りなどです。身体面では、不眠や食欲不振、疲労感、肩こり、めまい、自律神経失調症などがあります。日常生活や行動では、ぼんやりする、理由もなく涙があふれてくるなどです。
これらの反応が混在したり、大きくなったり小さくなったり、1日の間でも上下したり、何かのきっかけで突然現れたりと、出方は性格や環境による個人差もあるようです。喪失感と「立ち直らなければいけない」という思いの間の行き来や、予想を超える感情の揺さぶりに苦しむ状態です。
(山田)災害などでは、怒りをどこに向けたらという思いがあるかもしれない。
(川内)亡くなった人との関係性によっても変わります。決して良好な関係ばかりではありません。対立していたけど、なぜ謝っておかなかったのかという後悔が生じることもあるでしょう。100人の死があれば、残された人との100通りの関係性があるわけです。
(山田)状況によって、いろんな感情が湧き上がるんですね。
基本姿勢は「傾聴」

(川内)心や体の反応は誰にでも起こり得る自然なことで、病気ではありません。ただ、長期間続いて日常生活に支障を来すような場合は、精神科医による診断や治療が有効とされています。
グリーフによる心身の健康への影響を和らげるには、当事者が孤独や孤立に陥らないことが大切で、行政の精神福祉部門による相談や、同じ立場の当事者が集まって体験を語り、聴き合う自助グループの活動などが行われています。事故や犯罪の遺族が積極的に取り組む例もあります。
(山田)ケアのポイントはどんなことですか。
(川内)ケアの基本姿勢は、必要に応じてさりげなく手を差し伸べるということです。過度な助言や前向きな声がけは、かえって心の負担になることもあります。キーワードは「傾聴」で、当事者の揺れる気持ちを「ただ聴く」ということです。
当事者はつらさを率直に語り、同じ立場の人の話を聴くことで、少しずつ心の整理がつき、グリーフをあるがままに受け止め、自分に折り合いを付けていけるようになるといいます。
(山田)昨日、母親を亡くして数か月という知り合いに会いました。あわただしい時期が過ぎ、今、家にいると自然に涙が出てきてしまうから、外を歩いて気持ちを整理していると話していました。
(川内)亡くなった直後は、ご葬儀など物理的な忙しさで気が紛れますが、時間がたってから何かのきっかけで、喪失感が湧き上がることもあるでしょう。グリーフは心の中におき火のように残るのだと思います。
(山田)リスナーから声が届いています。「9年前に1歳の息子を亡くしました。その時の喪失感は大きく、うつ状態になりました。何度も息子の所に行こうと思ったけど、そのたびに家族に支えられて生きています」とのこと。
別のリスナーからは、「お寺は亡くなってから来るところではない。生きている時に来てほしいと知人のお坊さんが言っていました」との声も届いています。
(川内)グリーフケアが広がる中でお寺の取り組みが注目されています。今日は私が取材した県内の2つの例を紹介します。
(山田)お願いします。
悲しみを分かち合う当事者の集い
(川内)まずは、静岡市の宝泰寺(ほうたいじ)の前の住職で、隣接する文化発信のための関連施設「サールナートホール」の館長でもある藤原東演さんが立ち上げた「花明かり」という、大切な人と死別した悲しみを分かち合う会です。2010年から始まり、月1回、2時間の集いの場を開いています。多いときには14、5人ほどが集まるそうです。ここも「傾聴」を基本にし、互いを批判しないことを原則としています。
(山田)具体的にはどんな感じなんでしょうか。
(川内)誰かが語り始めるとみんながうなずきながら黙って聞き、呼応するようにまた誰かが語るという感じで会が進むとのことです。沈黙も、考えたり自分と向き合ったりする大事な時間ととらえています。
藤原さんは「悲しみを背負っている人が、言葉として吐き出し、その重荷を少し下ろす。重荷を分け合う『グリーフシェア』と言ってもいいのでは」と話していました。この説明は分かりやすいと思います。
(山田)共有するということですね。
(川内)藤原さんによると、「こういう苦しみを語る場所が社会にない。特に一人暮らしの人にとっては」と思ったのが会を始めたきっかけとのことです。
初めて来る人は緊張で恐る恐るという感じですが、次第に表情が和らいでくるといいます。藤原さんは「悲しみは消えないが、死への受け止め方が変わるのでは」と感じています。「ここに来れば分かり合えるという安心感があるのでは」とも話していました。門努さんが言うように、「共感」を実感できるということでしょう。
現在81歳の藤原さん自身、34歳の時に生後8カ月だった長男を病気で亡くした経験があり、傾聴によって教えられることも多いといいます。
(山田)この会のつながりで、交友関係もできることでしょう。
新しい発見と気づき
(川内)この会に10年、100回以上参加しているという方にもお話をうかがうことができました。正直期待していなかったが、落ち着かない気持ちを抱えたまま最初に来てみて、語り、聴くことができ、まずは何となく気持ち良かったとのことです。いつか卒業と思っていましたが、毎回新しい発見と気づきがあり、「これからの生き方を見つけるヒントがある」と通い続けているそうです。「他人が悲しみとどう向き合っているかを聞き、ノウハウを学ぶことができる。考え方や行動など、同じ事をやってみることもある」とのことでした。
この方は、「参加者が『花明かり』で悲しみが薄れるだけでなく、故人に恥ずかしくない生き方をしようと決意できることを願っている」とも話していました。
(山田)なるほど。死を受け入れて、自分がどう生きるかということなんですね。
(川内)私も藤原さんやこの方のお話を聞き、話に耳を傾け合い、自分と向き合うことが、前向きな気持ちにつながることが、わずかですが、実感できた気がしました。
藤原さんは同じくサールナートホールで開いている自死(自殺)者の遺族の集い「こだまの会」でも心に寄り添う活動を行っています。
(山田)とても意味のある活動だと感じます。
亡き人への手紙
(川内)もう一つは、富士市原田の妙善寺(みょうぜんじ)に設置されている、亡くなった人への手紙を受け付ける「虹いろポスト」です。発案したのは住職の妻で日本グリーフケア協会の特級アドバイザーでもある長島葉子さんです。身近な家族などの死に直面した人が再び前を向いて生きられるようにと、2016年に本堂内に常設しました。
(山田)どんな内容なんですか。
(川内)郵送で投かんし、差出人の住所や氏名を記す必要はありません。秘密を守るため、封を切らずに一定期間保管し、たきあげて供養します。その煙が書いた人の声となって、亡き人の元に届いているのかもしれません。
(山田)なるほど。
(川内)職業柄、「夫や妻を亡くして張り合いをなくした、涙が止まらない」などの声を聞いたのが始めたきっかけとのことです。長島さんは「故人に手紙をしたためる行為には、思い出を昇華させ、遺志を引き継ごうと、気持ちを転化させる効果もあるのでは」と考えています。先ほど「花明かり」に長く通っている方が、「故人に恥ずかしくない生き方をしようと決意できるように」と思われている話をしましたが、長島さんの考えとも通じる気がします。
(山田)確かにつながりますね。
(川内)月に15通ほどが届き、最近増えているとのことです。葬儀の簡素化で、参列できなかったり、思うようにお別れできなかったりした心残りを手紙に託す人が増えているのかもしれません。
(山田)そういうことか。
手書きすることの「能動性」
(川内)実は私も、1年前、自分より一つ年上の親しかった地方紙の記者仲間が亡くなり、やりきれない思いを引きずっていた時、静岡新聞でも取り上げていたこの「虹いろポスト」を思い出し、胸中に湧き上がる感情を素直にしたためてみました。心がどこか、温かく、穏やかになり、向こうから「またな」と声が聞こえた気がしました。自ら言葉を選び、手書きするという行為には「能動性」があるから、亡き人とのつながりをよりしっかり感じられるのかもしれません。
(山田)心を込めて手紙を書くと、頭の中が整理される気もします。
日常の中で減る「生死」を考える機会
(川内)自宅で亡くなる人が少なくなる中、近親者の死を身近に経験したり、死と向き合ったりする場が減りました。先ほど言ったように、葬儀も簡素化の傾向です。日常の中で「生と死」を考える機会が減り、死への意識が薄らいでいます。地域社会のつながりも希薄になり、藤原さんも言っていたように、悲嘆を抱える人を支え、癒やす場が少なくなり、個人が抱え込む傾向にあるように思います。
そういう現在を生きる私たちは、身近で大切な人の死に接した時、以前より心の整理がつきにくく、心の混乱が大きくなっているのかもしれません。グリーフケアの必要性は、今後、より高まるのではないでしょうか。
(山田)そうですね。まず、グリーフケアというものがあることを多くの人に知ってほし
いです。
(川内)グリーフケアは、お寺の地域社会の中での重要な役割ではないでしょうか。宗教者として心のケアを担うために、宗派を超えた「臨床宗教師」という専門職もあります。大学の講座を受けて、資格を得られるようです。
(山田)お寺は、昔からグリーフケアの役割を果たしてきたのでは。今日紹介したお寺の取り組みを、頭のどこかに置いていただければと思います。今日の勉強はこれでおしまい。








































































