2回戦から登場の掛川西は、新チームとして初の公式戦を迎えた。スタメンは前チームから総入れ替えとなり、練習試合でも負けが込むなど不安もあった中で、難敵相手に新エース古岡都暉(とき)投手が4安打無四球で公式戦初完投、初完封。打線も重松聖人外野手の先制の適時二塁打など長打2本を含む10安打を放つなど上々のスタートを切った。

大石卓哉監督は「秋でこのゲーム(内容)は上出来。この一戦を目指して準備をして、力を出せたということがとてもうれしい」と評価した。
掛川西
002 300 000 =5
000 000 000 =0
浜名

背番号1の重み
古岡投手の公式戦先発は今夏の城南静岡との3回戦以来2度目。「背番号1の重みを感じながら、緊張を力に変えることができた」と103球で完封した。大石監督は「本来はもうちょっと球が暴れる中で牛耳っていくような投手。今日はコントロール良く、丁寧に投げていた。正直、練習試合よりも大会の方が良かったので少し驚いています。度胸があるのかな」とうれしい〝誤算〟だった。
攻めて無四球投球
練習試合では投球フォームが安定せず、思うような結果が出なかった古岡投手。「左肩が開かないようしっかり壁をつくり、軸足の股関節に(体重を)乗せて腕を振れるように」と試行錯誤しながらフォームを固めてきた。この日は「悪いカウントになって置きにいって打たれるのは避けたい。不利なカウントでも絶対に腕を振って投げようと思った」と終始、強気に攻めた結果の無四球投球だった。
「新チームは前チームより全然力がない。先輩でも届かなかった甲子園を目指すために、死に物狂いでやらないと。当たり前のこと、基本を徹底するように心がけていたことが、今日の試合に生きたと思う」
178センチ、69キロとまだ細身で最速は136キロ。スリークオーターの位置から長い腕をしならせて投げ込む。大石監督は「これから一冬かけて鍛えて、最後の夏をいい形で迎え、上のステージで活躍してくれたら」と長い目で成長を楽しみにする。
父は夏の甲子園準V左腕
古岡投手の父は1998年夏の甲子園で準優勝した京都成章のエース左腕で、後にヤマハ(浜松市)でプレーした基紀さん。甲子園決勝は横浜の松坂大輔投手と投げ合った。同じ〝松坂世代〟の大石監督にとっては「スター選手」。準硬式と硬式の違いはあるが中大の同級生だった縁もあり、巡り合わせを「感慨深い」と受け止める。胸に刻んだ父の言葉
小2から浜松ドリームアローズで野球を始めた古岡投手。海外赴任中の父とは年に2度ほどしか会えないが、小学生のころ、父からかけられた言葉を今も覚えている。
「ピッチャーが折れたら試合は終わる。それだけの責任感をもって、強気で最後まで投げ切れ」
エースの心得として胸に刻んでいる。
(編集局ニュースセンター・結城啓子)
<取材後記>
昨夏の甲子園を経験したメンバーがいなくなり、大石監督は「もう一度、一から泥くさく力を付けていこうと思ってます。まずはベースを作らないと」と結果を急ぎません。
新チーム発足後、試合の中でチームを引っ張るキャプテンのほかに、日頃の環境整備に気を配る「統括マネジャー」という役割を新設し、重松選手を任命したそうです。
主将の谷口篤郎捕手に偏りがちな負担を軽減し、全体に目配りをし、選手と監督をつなぐ役回りです。
学年の垣根が低いのが今年のチームの特徴だそうで、その風通しの良さを維持する狙いもあります。
重松選手は「学校生活も含めてチーム全体に目を配って、いろんなことに気づけるように意識しています」と話します。
試合中のベンチから雰囲気の良さは伝わってきました。最終的にどんなチームになるのか楽しみにしたいと思います。
