【劇団午後の自転の「追憶とカッシーニ」】 テイストが全く異なる短編2作。それなのに感じる劇団としてのアイデンティティー

静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は静岡市葵区のギャラリー青い麦で行われた劇団午後の自転の第30回公演「追憶とカッシーニ」を題材に。5月17、18の両日に行われた 全4回のうち、18日午後5時の公演を鑑賞。

1996年に結成され、静岡市を拠点に活動してきた劇団午後の自転が、久しぶりの公演を行った。演出・俳優も務める岡康史代表の「前説」によれば、12年ぶり、あるいは13年ぶり。「二つの説がある」と岡代表。それほどのブランクがありながら、客席はほぼ埋まっていた。しかも単なるノスタルジーではなく、「新しい何か」を求める空気が満ちていた。

劇団はきちんとそれに応えていた。脚本の書き手、演者がそれぞれ異なる短編「カッシーニ」「追憶」の二つを続けて上演したが、「劇団午後の自転」としてのアイデンティティーは十分に感じられた。

窓も扉もない倉庫のような空間に閉じ込められた男女が、かつて通っていたバーの記憶をたぐり寄せる「カッシーニ」。20年ぶりに稽古場に集まった演劇集団の男女3人が、散らかった部屋の片付けをしながら仲間の「運命」を知る「追憶」。どちらの作品も現在を起点にして、少しずつ、少しずつ過去の巡り合わせをひもといていく。

椅子二つだけの「カッシーニ」、よくここまで散らかしたなというほどモノが散乱している「追憶」。舞台の見え方も、演者の口調も全く違うが、「かつてあったこと」を深掘りしていくテンポ、その歩みのスピードはほぼ軌を一にしている。それは観客を物語世界に無理なくいざなう、手練手管と言ってもいい。

「追憶」はかつてのこの劇団の活動にまつわるせりふも交えたメタ的視点がさえていた。長年のこの劇団のファンにとっては、自分の記憶と重なる場面がいくつもあったことだろう。

「カッシーニ」は岡さんが演じる気の弱そうな男と、石川恵美子さんのあまりにも楽観的な女、今井美和さんによる妙なテンションの高い「天使」の、かみ合っているようでかみ合っていない会話に魅了された。特に、自分のせりふがないときに、眉根を寄せ、口をパクパクさせている岡さんから目が離せなかった。人間というのは本当に困った時、言葉が出ないまま口だけを動かしてしまうものなのかもしれない、と思った。

(は)

静岡新聞の論説委員が、静岡県に関係する文化芸術、ポップカルチャーをキュレーション。ショートレビュー、表現者へのインタビューを通じて、アートを巡る対話の糸口をつくります。

あなたにおすすめの記事

人気記事ランキング

ライターから記事を探す

エリアの記事を探す

stat_1