サッカージャーナリスト河治良幸
“天才”小野伸二と一緒にプレーした静岡県勢ベスト11を選んでみた!!
GKは文句なしに…
GKは文句なしに川口能活だろう。富士市出身で”清商”の先輩でもあった川口は代表キャップ116試合を誇り、4度のW杯に出場。そのうち1998、2002、2006年大会で小野のチームメートだった。クラブでは一緒にならなかったが、横浜マリノス(現在の横浜F・マリノス)で浦和時代の小野、2005年から在籍したジュビロ磐田では2011年に清水時代の小野と”静岡ダービー”で対戦した。
3バックは清商勢が2人
ディフェンスラインは菊地直哉、田中誠、犬飼智也で構成した。菊地は静岡県の静岡市清水区で生まれ育ち、清水エスパルスのジュニアユースから”清商”に進み、磐田でプロデビュー。その当時は小野が欧州に渡っており、なかなか縁がなかったが、2016年から加入した札幌でチームメートに。
菊地は「ずっと憧れの人だった」と語っており、一緒にプレーすることに感動していたようだ。札幌の食事どころでは小野と菊地が二人で来店したことなども報告されている。
田中誠も静岡市清水区の出身で、磐田でキャリアの大半を過ごした。クラブでは小野と縁がなかったが、日本代表で一緒に活動することが多かった。2006年のW杯は怪我で事前合宿中に離脱となったが、小野を後方から支えた一人だ。犬飼智也は清水エスパルスのユースから昇格したばかりの時に、小野が清水に在籍していた。
子供の頃からのアイドルだったという犬飼は小野と同僚になれたことで、一つ願いがかなったと明かしている。当時の犬飼はほとんど公式戦に出られず、J2だった松本山雅に期限付き移籍したが、その後、鹿島アントラーズのアジア制覇を支えるなど、Jリーグを代表するセンターバックに成長した。小野と過ごした時間は大きな財産になっているはずだ。
ボランチは元浦和レッズの2人、右は市川
右サイドは清水のスーパーレジェンドでもある市川大祐しかいないだろう。ともに若くしてA代表に選ばれた才能であり、2002年の日韓ワールドカップに出場。2010年には清水でチームメートになった。
左サイドは平川忠亮を選ばせてもらった。静岡市清水区の出身、“清商”の同期でもある平川はちょうど小野の渡欧と入れ替わりで浦和に加入したが、フェイエノールトから帰って来た小野と共に、浦和にとって初となる2006年のリーグ優勝を支えた。
ボランチの二人は長谷部誠と鈴木啓太に。長谷部は藤枝市で生まれ育ち、小野がオランダに渡った翌日、浦和に加入した。そして2006年に小野が5年ぶりに戻ると中盤でコンビを組み、平川とともにリーグ優勝をつかみ取った。その後、3度のW杯でキャプテンを務め、ドイツのブンデスリーガで“カイザー(皇帝)”と呼ばれるまでになった。
小野の2つ下である鈴木啓太も浦和で平川、長谷部と同時代を過ごしたが、清水出身の鈴木は東海大翔洋高校から浦和に加入。オランダに渡る前の小野とも一緒にプレーしており、このベスト11の中でも小野との縁は深い。
トップ下も“清商”の後輩
風間宏矢は“サッカー王国”静岡の象徴的なレジェンドである風間八宏の次男であり、生まれは広島になるが、小学生で父の故郷である清水に移り住んだということで、選考対象とした。小野が札幌から琉球に移籍してきた時に、同じタイミングでFC岐阜から琉球に加入。南の地で”清商”の大先輩でもある小野と共に、創造性の高いサッカーを実現した。ちなみに当時は兄の風間宏希もチームメートだった。
小野ー高原のホットライン
FWは高原直泰と中山雅史しか考えられない。高原は小野、稲本潤一と並ぶ“黄金世代”の象徴的な一人だ。三島市の出身で、清水東高校で選手の地盤を築いた。アンダーカテゴリーの代表では常に小野と縦のホットラインを作り、99年のワールドユース準優勝など、多くの栄光を共有してきた。A代表ではともに2006年W杯に出場し、清水エスパルスでも2年間一緒にプレーした。高原は自身が設立した沖縄SVで選手と監督を兼任していたが、奇しくも小野と同年に現役引退を表明した。
情熱的なプレーと“ゴンゴール”で知られる中山雅史は藤枝東高校から筑波大に進み、プロキャリアの大半をジュビロ磐田で過ごした。その間に小野と1998年と2002年のW杯を経験した。現在はアスルクラロ沼津の監督を務めていることもあり、沼津出身の小野からは「盛り上げてほしい」と言われているという。小野と時期は異なるが、札幌に在籍した経験という意味でも縁がある。
長い選手生活で、同じ静岡出身の選手たちとも多く関わってきた。こうして見ると小野伸二のキャリアというものは日本サッカーの歴史そのものでもある。不世出の“天才”でありながら、サッカーを“楽しむ”ことを貫き、関わる人たちをハッピーにしてきた。選手として現役は引退したが、これからも様々な形で周りの人たちを幸せにしていってほしい。
<河治良幸>
タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。 サッカー専門新聞「エル・ゴラッソ」の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。著書は「ジャイアントキリングはキセキじゃない」(東邦出版)「勝負のスイッチ」(白夜書房)「解説者のコトバを聴けば サッカーの観かたが解る」(内外出版社)など。
タグマのウェブマガジン「サッカーの羅針盤」を運営。サッカー専門新聞「エル・ゴラッソ」の創刊に携わり、現在は日本代表を担当。世界中を飛び回り、プレー分析を軸にワールドサッカーの潮流を見守る。