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徳川家康の生涯 | ||
※太字は静岡県内在住時の主な出来事。実年齢表記 | ||
1542年( 0歳) | 三河国の岡崎城主松平広忠の長男として誕生 幼名は竹千代 |
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1548年( 6歳) | 織田家の人質として尾張国で過ごす | |
1549年( 7歳) | 今川義元の人質となり、駿府へ移る。 父広忠が国元で死去し、松平家当主に |
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1557年(15歳) | 義元のめい瀬名(築山殿)と結婚 | |
1560年(18歳) | 桶狭間の戦いで義元が織田信長に討たれる。 岡崎城に戻って今川家から独立。人質生活を終える |
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1562年(20歳) | 信長と同盟 | |
1566年(24歳) | 三河国統一。姓を改め、徳川家康と名乗る | |
1570年(28歳) | 信長と共に姉川の戦いに参戦 本拠地を遠江国に移し、浜松城を築城 |
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1572年(30歳) | 遠江国の覇権をめぐり武田信玄と抗争が激化。 三方ケ原の合戦(浜松市北区など)で武田軍に大敗 |
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1575年(33歳) | 長篠の戦いで織田・徳川連合軍が信玄の跡を継いだ武田勝頼に大勝 | |
1579年(37歳) | 信長から武田家との内通を疑われた築山殿を殺害。 長男の信康も切腹させられる |
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1581年(39歳) | 高天神城(掛川市)を奪還し、遠江国平定 | |
1582年(40歳) | 武田家が滅亡し、領有していた駿河国を手に入れる。 堺で滞在中に京都・本能寺で信長が明智光秀に討たれたと急報を受け、岡崎城に帰還(伊賀越え) |
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1584年(42歳) | 天下取りを目指す羽柴秀吉(豊臣秀吉)と対立し、小牧・長久手の戦いが起きる | |
1586年(44歳) | 大阪城を訪れ、秀吉に臣従。甲斐、信濃両国を編入して5ケ国の大名に。 居城を浜松城から駿府城に移す |
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1590年(48歳) | 小田原征伐に参加。秀吉の命で関東に移封され、江戸城に入城する | |
1598年(56歳) | 豊臣政権の五大老の1人に任命される。秀吉死去 | |
1600年(58歳) | 関ヶ原の戦いで西軍を破り、事実上の天下人に | |
1603年(61歳) | 征夷大将軍に就任し、江戸幕府を開く | |
1605年(63歳) | 将軍の座を三男秀忠に譲る | |
1607年(65歳) | 駿府城に移り、大御所政治が始まる | |
1614年(72歳) | 大坂冬の陣 | |
1615年(73歳) | 大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼす。 武家諸法度と禁中並公家諸法度などを公布 |
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1616年(74歳) | 田中城(藤枝市)でタイの天ぷらを食べ体調を崩す。 4月17日、駿府城で死去。久能山に埋葬される |
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