サクラエビ 異変

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サクラエビ記録的不漁問題
特別対談
及川敬貴横浜国立大教授
椎名毅弁護士

聞き手 静岡新聞「サクラエビ 異変」取材班

2020/02/18

 未曽有の不漁に揺れる駿河湾産サクラエビ。由比・蒲原(静岡市清水区)の漁師たちが危惧する日本軽金属蒲原製造所放水路から海に注ぐ濁水問題は、2019年12月、静岡県水産業局が放水路沖で濁りの分布調査に着手するなど一層顕在化の様相を見せている。由比港漁協(宮原淳一組合長)は19年6月、日軽金に対して放水路から駿河湾に流れ出る泥が海洋生態系に及ぼす影響を調査するよう要求したのを皮切りに、20年1月中旬にも幹部が同製造所を訪れるなど事態解決に向けた交渉を続ける。しかし、話し合いが基本的に平行線をたどるなか、「裁判」の二文字も脳裏をよぎる。果たして司法は事態解決を招くことができるか。環境法が専門の及川敬貴横浜国立大教授(52)と企業法務などが専門の椎名毅弁護士(43)にこのほど横浜市内で対談してもらった。

裁判と日軽金濁水問題
民事裁判とは
ゲームのようなもの

日軽金を相手取り民事訴訟を起こすことで事態解決の糸口はつかめるでしょうか。

本紙「サクラエビ異変」の記事を読みながら、漁師らが危惧する日本軽金属蒲原製造所放水路(静岡市清水区)の濁水問題について意見を交わす及川敬貴横浜国立大教授(右)と椎名毅弁護士=横浜市内

椎名氏 正直、日軽金は「裁判になったら負けない」と思っているでしょう。彼らからは訴訟というアクションを起こすことはないので、訴えられたら適切に対応するとでんと待っているような状態なのでは。それが法律家から見た場合の実際。不法行為の損害賠償請求においては、訴える側である原告の立証責任は非常に重たい。原告は、故意や過失、権利侵害、因果関係、損害を立証せねばならないが、環境訴訟ではこの因果関係の立証が特に難しい。訴訟に持ち込めば時間だけが空費し、メリットはあまりない。


及川氏 これまでいくつかの環境訴訟に舞台裏で関わってきたが、自分も基本的に同意見だ。環境訴訟と一口に言っても騒音や振動などの公害訴訟から、今回のサクラエビのように海洋生態系の保護などを求める自然環境訴訟などさまざま。公害訴訟では原告の請求を認めるケースが増えてきている感もあるが、一方で後者の場合、私の知る限り連戦連敗。訴え自体も少ないと思う。

現状、漁業関係者が日軽金を訴えても敗訴する可能性が高いのですね。司法制度や裁判所にも不備があるのでしょうか。


及川氏 友人の米国の弁護士らの話では、日本の裁判所が一概に遅れているのではない。例えば公害訴訟などではこの弁護士は先進的な日本の判例をだいぶ勉強したそうだ。

環境問題に対処するには科学的な因果関係と同時に社会的な合意に基づく因果関係も重要と指摘する及川敬貴横浜国立大教授=横浜市内

椎名氏 言い方は美しくないが民事裁判は主張立証責任に関するゲームみたいなもの。民事訴訟というのはあくまで、原告の主張に対する証拠が十分に存在するかということを判断する。原告の主張を十分に裏付けるだけの証拠があって、被告の反論を覆す十分な証拠があれば勝てる。原告が負けるのは主張を裏付ける証拠が整っていなかったり、主張がそもそも法的に必要な要件を完全に満たしていないなど飛躍があったりするのが原因であることが多い。つまり原告の主張に対する勝ち負けなのであって、被告の現在の行動を正当化する、というものでは必ずしもない。

環境訴訟の〝意義〟
判決文をどう読むかこそ重要

裁判で敗訴するということは、原告の主張が誤っているということなのですか。


椎名氏 環境訴訟などは典型例ですが、国や行政などが関わる問題に関する訴訟では、原告敗訴となったからといって、必ずしも「はい、このままでいいですよ」と被告となった国や大企業を正当化するという意味ではない。つまり、大手を振って環境破壊を続けていいという訳ではない。あくまで裁判所の判断は原告の主張を単に否定するに過ぎず、「これは裁判所の役割ではないですよ」とボールを原告に投げ返したに過ぎない。こうした場合、考えなくてはならないのは「ボールがどこにあるのか」ということ。


環境訴訟、特に自然環境訴訟は「どうせやっても無駄」ということにならないでしょうか


椎名氏 先ほどの話で、裁判所から投げ返され、浮いているボールはだれのものかということを考えたい。このボールをだれが最初に受け取るかというと、まずは住民。そして受け取った住民は、司法で解決できない問題を立法や行政、つまり国会や地方議会または政府や自治体の首長にボールを投げればいい。

及川氏 裁判所の判決には勝ち負けはある。しかし、それをどう読むかというのが大事。全く役に立たないように見える判決でも、場合によっては一部が使えるものもある。自然環境訴訟は「勝った、負けた」という単純な話ではない、というのは私が思うところ。負けた訴訟の判決文だってどんどんサクラエビのために応用すべき。また、行政サイドにも裁判例をどういうふうに見て使うかの手腕が必要。

自治体が積極的にアクションを起こし被害者救済の制度を作ることが環境問題と対峙する際の有効な方法と訴える椎名毅弁護士=横浜市内

椎名氏 もちろん、環境訴訟に関わる弁護士からすれば「いやそれでもがんばって勝とう」と、周辺住民などからカンパを集めて、訴訟提起をするのは、それはそれで重要だし、敗訴しても判決中で従前と異なる枠組みや判断のようなものが得られれば、それで良い部分はある。しかし、訴訟で争っている間、地球環境に視点を戻すと、ずっと汚染され続ける。訴訟はあくまで事後的な解決手法であり、環境汚染を事前に止める仕組みではない。環境訴訟に意味がないというより、政治・行政・司法の役割分担の問題である。


やや異なった観点での質問だが、いわゆる「環境問題」の定義をどう考えたらいいのでしょう。


及川氏 自分としては、因果関係が確定するまでにある負の結果が世の中で顕在化してしまえば、すでに「環境問題」なのだと思う。因果関係を科学的に立証したときにはもう問題は起きていて、遅い。科学的な因果関係が重要なのはもちろんだが、それが分からないことも多いのだから、社会的な合意に基づく因果関係も大事にしなければならない。思い切って言ってしまえば、駿河湾、静岡市域における因果関係というべきか。

いま、サクラエビのために
できること
日軽金をいかに巻き込むか

裁判によらず、企業、行政、漁業者ができることはどんなことがありますか。


及川氏 いなべ市保全契約訴訟(※1)や尾鷲市採石認可訴訟(※2)に見られるように、裁判所は、自治体が多少無理筋と思われるようなことをしていても建前が生態系保護のためだとすると違法としにくい面がある。まずは行政に頑張ってもらうことも重要ではないか。


椎名氏 地球環境というのはやはり分からない部分が多い。学術的に見てどんなに「AからBが成り立つはず」と言ってみたところで、「いやCとかDという要因もあるのでは」という反論が必ず出てくる。先ほど、原告側が負う因果関係の立証が難しいと述べたのはそういう意味。このような反論をされた場合、なかなか「いろいろな要因が考えられる中で『Bの原因は、CでもDでもなくAだ』」という再反論は非常に難しい。このような場合に、いわゆる立証責任の転換を図り、原告側に過失や因果関係の立証を要しない形で、被害を受けている人を救済する仕組みを作るのは行政・立法の役割。例えば、予防接種被害についても似たような仕組みが用意されている。


及川氏 やはり重要なのは行政にどう関わってもらうかという点。保険もそうだし、条例を作る、行政と日軽金、漁業者の3者で協定を結ぶなども有効だろう。


椎名氏 水俣病のような公害が起きたとして、長期間裁判をやってようやく「この人を救ってあげなくては」という話になる。でもそれではもう遅い。自治体は、まずは地方自治の本旨の枠内で条例を定めて、環境問題による被害を受けている人を救済する制度・仕組みを作ることができる。制度を作ってみて、何年か経過し、逆に加害者とされてきた側が不当な不利益を被っているのであれば、修正していけばいい。ルールというのは一度作ればそれで終わりというものでもない。


及川氏 先ほど環境問題に臨む姿勢として、科学的因果関係ではなく、社会的因果関係こそが重要と指摘した。それは、ある救済制度を作るときに必要な因果関係は何なんだ、という議論でもある。


椎名氏 おっしゃるとおりだ。漁業者がちょっと文句を言うと「どうせ金が欲しいのだろ」と言われ、補償金を支払う旨の紙ペラ1枚が交付されるのが常。ただ、問題解決の本質はそこにはない。どうやって全ての当事者が利益を受けられるようにルールを作るかということが大事。全ての当事者が合意形成をしながら、何かしらのルールを作っていくのがあるべき姿。逆に言えば、日軽金という企業がどのように関わってくれるかということだ。

いまの日軽金にそうした提案をするのはハードルが高いような気もします。


椎名氏 彼らをいかに巻き込んでいくかというのは非常に重要。雨畑ダム(山梨県早川町)の堆砂問題一つを挙げても、現状では恐らく、行政から言われたことを最低限こなすことだけを考えているのでは。その範囲内で土砂除去に必要なコストを最小化することだけを考えていると思う。しかし、それも民間企業として株主利益を最大化することが彼らのミッション(使命)である以上、コストを削減したいと考えるのは仕方がない面もある。そこで、彼らが考えている方向性に沿って何か良い提案ができないかということを考えるべき。「こうした方が将来的にも会社の支出は最小化できるし、予測可能では。業績への影響を読みやすく、株主にも説明しやすい」と知恵を絞って具体的な提案をする。


及川氏 あとは企業イメージ。サクラエビという、静岡を代表する良いイメージのものを損なうように日軽金は生きていくのか。それとも守る方向でこの後も地域と一緒に手を携えて地域の企業として生きていくのか。もしかしたらここを問うのは静岡新聞社の役割かもしれない。最近の例では、福岡県宗像市は18年3月、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群基本条例(※3)を制定した。地域のイメージとか大事なものを保護するため制度やルールにしていくことが重要。一度ルールにすると廃止するのは大変だから。椎名先生が指摘した金銭的な予測可能性、静岡県のイメージ、地域のルール。これら三つを組み合わせるというのは意味がある。


椎名氏 日軽金は決して敵なのではなく、どうやって良い町をつくっていくかについて一緒に考えることができる〝仲間〟として捉えたらどうだろう。その先に協定なり条例があるというイメージでは。彼らを敵にしてしまうと、多分乗ってこない。つまり協定も条例も作れない。うまく誘導するのがメディアの役割かなと。さらに言えば、濁りの原因の一つであり、上流の住民にたびたび水害をもたらしている雨畑ダムの問題は「国策民営の後始末」の問題に他ならない。国策を民間企業に担わせてきた以上、その手じまいは国がなにがしかの手伝いをしなくてはならないのではないか。


 おいかわ・ひろき 法学博士(北海道大)。環境法政策学会理事。2015年日本沿岸域学会優秀論文賞受賞。著書に『生物多様性というロジック』(勁草書房)など。

 しいな・つよし 弁護士。東京大卒。コロンビア大修士。元衆議員議員。いわゆる「国会事故調」で福島原発事故の報告書作成に従事。上場企業社外監査役。

 (※1)いなべ市保全契約訴訟 三重県いなべ市が貴重な陸生植物が植生する湿地環境保全のためなどとして、私人との間に結んだ土地賃貸借契約の違法性が争われた事件。最高裁は2011年12月、相当高額とも見える同契約を適法と判断。及川教授によれば「地域の実情に即した生態系保全を裁判所が違法と判断する理屈を立てるのは難しいことを示唆している」という。

 (※2)尾鷲市採石認可訴訟 河川上流の採石活動が沿岸漁業に悪影響を及ぼす可能性があるとして、三重県尾鷲市が新規の採石業者の事業認可申請を認めなかったことの適法性が争われた事件。名古屋高裁は2015年7月「既存業者からの許可更新申請に対する認可に比べ、新規申請に対する認可に当たりより慎重な態度で県が臨むこと自体は不合理ではない」などと行政の主張を認めた。

 (※3)「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群基本条例 世界文化遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の保全のために定められた条例。罰則規定はないが、行政や民間が協力し、遺産群の価値や景観を継承するとの理念を明文化した。同様の条例には2015年3月制定の静岡県世界遺産富士山基本条例などがある。

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