療養児に寄り添う犬 ヨギ引退へ
療養中の子どもを支えるファシリティドッグとして、2012年から静岡市葵区の県立こども病院で活躍してきた「ヨギ」。秋に引退することが決まりました。子どもたちや家族に寄り添い、ぬくもりを届けてきたヨギの活躍を振り返ります。
〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・石岡美来〉
2万7千人に安心届ける 引退前に会いに来る子も
静岡市葵区の県立こども病院で、療養中の子供を支えるファシリティドッグ「ヨギ」が秋に引退する。これまで延べ2万7千人に安心やぬくもりを届けてきた。
「ヨギを見つけて患者も病院スタッフも笑顔になる。日々存在の大きさを感じた」。ヨギとともに引退するハンドラー(指導者)の鈴木恵子さん(57)は振り返る。この1年はコロナ禍で活動を制限せざるを得ないこともあったが、引退を前に会いに来てくれる子は多いという。
引退後は鈴木さんの故郷の長野県で暮らす予定。鈴木さんは「たくさんの人に尽くしてきた。のんびりさせてあげたい」とほほ笑んだ。
〈2021.7.3 あなたの静岡新聞〉⇒元記事
ファシリティドッグとは?
「ファシリティドッグ」は特定の施設に常駐して、入院する子どもの治療を支える犬。優良な系統の犬の中から選抜され、海外の施設で1~2年に及ぶトレーニングを受ける。国内ではNPO法人シャイン・オン・キッズ(東京都)が米国ハワイで訓練を受けた犬の派遣事業を行う。国内で初めて2010年に導入した県立こども病院(静岡市葵区)と、神奈川県立こども医療センター(横浜市南区)で、2頭のゴールデンレトリバーが活動している。
子どもを笑顔に、家族の心の拠り所に
9月初め、県立こども病院(静岡市葵区)の、ある病棟の前でファシリティドッグ(医療施設犬)のヨギが動きを止めた。この病棟にはヨギが定期的に訪ねる男の子がいる。訪問予定日ではなかったが、じっと病棟を見つめている。「行ってみようか」。鈴木恵子さん(53)が声を掛けると、ヨギは扉に向かって歩きだした。
鈴木さんは看護師として東京都内の病院に勤めた後、大手企業で産業保健に携わった。その間、ずっと憧れていたのが大好きな犬との生活。いつか看護師の経験を生かしながら犬に関われる仕事がしたい―。探し求めた末に、ファシリティドッグを派遣するNPO法人「シャイン・オン・キッズ」に出合った。
NPOのSNS(会員制交流サイト)をチェックしたり、求人を尋ねるメールを送ったりすること3年。2015年春、ハンドラー(指導者)の募集を知ると、迷わず応募した。選考の過程で初めてヨギに会い、澄んだ瞳と穏やかな動きに引きつけられた。「私、ペアになる」。思いはかない、その年の9月、静岡市でヨギとの暮らしが始まった。
この時、ヨギのこども病院での活動は4年目で、鈴木さんは2人目のハンドラー。病院には自分よりはるかにヨギのことを知っている子どもたちや職員がいた。最初は焦りが先行した。ヨギと意思疎通が図れず、泣きそうになることもあった。
ある日、ベッドに寝ている子どもにヨギが近づいた。子どもはほほ笑み、手を伸ばしてヨギに触れようとした。家族も笑顔でカメラを構えた。その子の笑みを、看護師は「初めて見た」と喜んだ。
4月から参加する緩和ケアの会議で、医師から「病院の中に医療者でない存在が必要」と聞いた。ヨギの存在は、子どもたちにとって病院が嫌な場所でなくなったり、子どもの家族の張り詰めた心を緩めたりできると-。病棟を一緒に回るたびに感じるヨギの“力”。「時にはヨギに任せてみようかな」。そう思えるようになってきた。
ヨギと訪ねた病棟の男の子は既に意識がなく、間もなく亡くなった。「もしヨギが立ち止まらなかったら」。途端に涙があふれ出た。
〈2016年10月20日静岡新聞朝刊〉
先輩犬ベイリーも活躍 患者、スタッフもファンに
ゆっさゆっさ。ゴールデンレトリバーの長い尻尾が揺れる。散歩の時には垂れたままなのに、病院の中だとこうなる。「今日も張り切ってるな」。セラピー(治癒)犬ベイリーの背中を見て、森田優子さん(29)=静岡市葵区=の口角が上がる。「犬には人の感情がすぐ伝わる。あなたが緊張すると言うことを聞かない。ポジティブ(前向き)でいなさい」。ハワイのセラピー犬訓練所で、トレーナーからそう言われた。確かに以心伝心なのだ。
2009年、森田さんは看護師として5年以上勤めた国立成育医療研究センター(東京都)を辞めた。大学の恩師から、今の勤務先のNPO法人タイラー基金(同)を紹介されたのがきっかけ。学生時代、「動物の持つ力を医療に役立てたい」と思ったが、国内で職業として携わる道はほとんど無い。ようやくそのチャンスが巡ってきた。迷いはなかった。
タイラー基金が派遣する病院常駐のセラピー犬。そのハンドラー(指導者)に抜てきされた。試用期間を経て10年1月から週3日、病院への訪問が始まった。ただ、入れるのは一部の病棟だけ。他からはめったに呼ばれない。たった1時間、病棟を回って帰宅する日が続いた。ベイリーの尻尾は垂れたまま。「私たちは必要とされてないのかな…」。病院近くの遊水地を散歩しながら、寂しさは募った。
ベイリーが尻尾を振るようになったのは、病院を囲む桜の花がほころび始めたころ。他の病棟からも予約が入るようになった。7月からは週5日の訪問に。子どもの検査や処置、リハビリに付き添うようになった。手術室への出入りも許された。
今、ベイリーの控室には“アクセサリー”がたくさんある。ビーズのネックレスやマフラーなど。全部、子どもからのプレゼントだ。森田さんはその中の幾つかを選び出して、ベイリーの首に巻き付けた。訪問する病棟ごとに着け替える。贈り主に見せるために。
看護師時代、子どもをみとるのはもちろん悲しかった。ただ、感情を引きずるわけにはいかなかった。「病気だから」と、どこかで割り切る必要があった。今は家族側の目線に立っている。出会った子が治らない病気と分かっても、「なんとか回復させたい」と強く願う。検査結果に一喜一憂するようになった。
犬は子どもにとって、どんな立場にもなれる。時には頼もしいお兄さんに。ある時は親友に。森田さんは「動物介在療法」の可能性に挑戦したいと考えている。
控室で支度が整うと、ちょっと間を置いて立ち上がるベイリー。「こののんびりした性格が、自分と似ている」。そう感じている森田さんが、表情を緩めた。コンビの息はぴったりだ。「さあ行こうか」。相棒に声を掛けて扉を開いた。
〈2011年1月3日静岡新聞朝刊〉