祖国への帰還果たした九五式軽戦車 プロジェクトに込める思いは
最も多く製造されながら、国内には1台も残存していなかった旧日本陸軍の軽戦車「九五式」。御殿場のNPO法人が英国人愛好家から購入し、祖国への帰還を果たしました。プロジェクトに関係者が込めた思い、経緯などについて1ページにまとめます。
長年の活動実り、御殿場に 23年春走行披露へ
最も多く製造された国産戦車が18年ぶりに祖国に戻った。御殿場市のNPO法人防衛技術博物館を創る会が長年目指していた旧日本陸軍の「九五式軽戦車」の帰還が実現した。横浜港でコンテナの荷降ろしと開封に臨んだ小林雅彦代表理事(52)は「日本陸軍が当時の英知を結集して作った車両。再び日本人が好きな時に好きな場所で動かせるようになった」と喜ぶ。

同会によると、九五式軽戦車は世界に先駆け空冷ディーゼルエンジンを搭載した。水補給が不要で、各地の戦線で重宝された。帰還した車両は1943年製造とみられ、ミクロネシア連邦で終戦を迎えた。一度国内に戻った後、2004年に欧州に旅立った。同会は博物館の目玉にしようと10年から帰還に向けた活動を続けてきた。
輸送費のクラウドファンディング(12月26日まで)支援者対象のお披露目会を来春開催し、走る姿を披露する。要請があればイベントなどで公開する。小林代表理事は「御殿場のキラーコンテンツになる。早く博物館に収蔵するため建設の機運を高めたい」と話す。(御殿場支局・矢嶋宏行)
〈2022.12.21 あなたの静岡新聞〉
新設博物館の目玉に 国産九五式軽戦車とは
九五式軽戦車は、重量が約7トンと比較的軽く機動力に優れ、主に偵察や連絡用として中国大陸や南太平洋などで使われた。太平洋戦争後、戦地に放置されたり、各国の軍事博物館に展示されたりして、数十台が現存するとみられる。

戦後多くが廃棄「工業遺産、継承したい」

御殿場市のNPO法人防衛技術博物館を創る会が、欧州に渡った旧日本陸軍の「九五式軽戦車」の帰還プロジェクトに取り組んでいる。国産戦車として最多の約2300両以上生産され、太平洋戦争で各地の戦線で使われたが、国内には1台も残っていない。小林雅彦代表理事(47)は「当時の日本の工業レベルが分かり、戦争を学ぶきっかけにもなる。工業遺産として国内で継承したい」と語る。
帰還させる計画の1両は、ミクロネシア連邦から1981年に国内に戻り、京都府の博物館を経て和歌山県の博物館で展示されていた。同館閉館に伴い売りに出され、英国人が買って2005年に欧州へ渡った。小林代表理事はわずかな差で購入できなかったという。
17年11月、都内の骨董(こっとう)店を通じて購入の打診があった。旧日本軍の戦車は生産数が少ない上に戦後多くが廃棄され、コレクターの市場に出回ることも少ない。小林代表理事は「この機会を逃すと日本に戻ってこない」と考えた。
同法人は日本の技術力や機械産業の歴史を語り継ぐため、御殿場市内で防衛技術博物館の開館を目指している。九五式軽戦車の所有権を得た際には、ひとまず英国の戦車博物館に寄贈し、当面展示してもらう。防衛技術博物館開設を実現させた後、同館に移して展示の目玉の一つとする計画を抱く。
所有者の英国人は自走可能にするため、世界中から部品を集め、劣化した戦車の復元をポーランドで進めている。小林代表理事は「できるだけ日本製にしたい」と、代用品が見つかっていない国産の燃料噴射ポンプを探している。(御殿場支局・矢嶋宏行)
〈2018.5.10 静岡新聞 夕刊より〉
「防衛技術博物館」設置へ議論 協議会発足
御殿場市に防衛技術博物館の設置を目指し、地元団体や政治家らによる新組織「(仮称)防衛技術博物館」建設推進連絡協議会が発足した。博物館の名称や規模、内容などを議論し、秋ごろに提言書を自民党の議員連盟に提出する。

御殿場市内で設立総会を開いた。会長に就いた勝又正美市長は博物館について「自衛隊と市民の触れ合いの場になることはもちろん、観光施設として経済に寄与し、市の発展につながる施設だと思っている」と述べた。協議会は防衛省をはじめ、関係省庁との連絡窓口をつくり連携を強化する。財源確保の働き掛けも強める。事務局長は同法人の小林雅彦代表理事が務める。(御殿場支局・矢嶋宏行)
〈2022.4.28 あなたの静岡新聞〉