静岡県立富士高校100周年 卒業生が振り返る「青春」
静岡県立富士高は1922年9月に県立富士中として設置が許可され、翌1923年4月に開校。創立から100年の節目を迎えました。静岡新聞紙面では東部地区限定で掲載された記念連載が「あなたの静岡新聞」でよく読まれています。11月11日に行われた創立100周年記念式典の様子とあわせて、この〈知っとこ〉で改めてご紹介します。
富士高創立100年 1500人節目祝う 卒業生、在校生ら式典
富士高の創立100周年記念式典(実行委主催)が11日、富士市のロゼシアター大ホールで行われた。卒業生や在校生、保護者ら約1500人が出席し、喜びと誇りを胸に節目を祝った。

卒業生によるパネル討論では、元ハーゲンダッツジャパン社長の石井靖幸さん、国際政治学者の秋山信将さん、講談社モーニング編集部副編集長の田ノ上博規さん、シンガー・ソングライターの結花乃さんらが登壇。高校時代を振り返り「やりたいことにはチャレンジを」「人間力を高めて」などと在校生にエールを送った。
同校は1923年、県立富士中として開校。富士高に移行した48年に定時制を設置し、86年には理数科を設けた。
胸騒ぎのエレキ 校内でバンド演奏、あふれた聴衆 作曲家・林哲司さん【富嶽から羽ばたく 富士高100周年①】
富士高(富士市松本)は2022年、創立100周年を迎えた。校歌にある「霊峰富嶽(ふがく)の聳(そび)ゆるところ」での青春時代を、さまざまな分野で活躍する卒業生5人が振り返る。

生まれ育ったのは父親が製紙工場を経営する家庭。アコースティックギターを貸してくれた社員や一回り離れた兄の影響で、子どもの頃から洋楽が身近にあった。
高校で待っていたのは校舎から響くバンド演奏。「胸騒ぎするようなエレキの音。ビートルズが現れた時代、新しい音楽のスタイルを富士高で見つけてしまいました」。両親に頼み込んでエレキギターを手に入れ、先輩たちの輪に加わった。
大音量のロックに学校側はいい顔をしなかった。文化祭では講堂は使えず、校舎の外れにある教室が会場に。「生徒をあおるなと約束させられたステージは、教室や廊下に聴衆があふれました。先生たちも見に来てましたね」。進学校はおとなしそうに見えても「好奇心に偽りなく生きているところは格好良く思えました」。
文化祭が終わると、校長室に呼び出されていた先輩たちも受験態勢に入った。「この頃から作曲して歌う加山雄三さんに憧れました。日本人にもこんなことができるのかと衝撃でした」。見よう見まねでスタートした作曲は、在学中に200曲にのぼった。
周囲にたたかれてもやりたいことはやる。「現実だけ見ていたら物事は動き出さない。大いにうぬぼれてもいいから、夢をスタートさせてほしい」。過信は若さの特権ではないか、とも思っている。
はやし・てつじ 1970年代から作曲家として活動し「セプテンバー」「北ウイング」など楽曲提供多数。歌手と共にステージに立つライブシリーズも展開している。2005年、富士市などのコミュニティーFM局「Radio-f」を開局。市民踊り「富士サンバ」の作曲も手がけた。
休日は内緒でオーディション 卒業から3年で朝ドラ主演 俳優の渡辺梓さん【富嶽から羽ばたく 富士高100周年③】
夢見がちな女子高生は卒業から3年で朝ドラ主演女優へと駆け上がった。俳優渡辺梓さん(53)の代表作といえば、NHKの連続テレビ小説「和っこの金メダル」だ。バレーボール選手の和っこちゃんとして脚光を浴びて30年余、全国の舞台を飛び回りながら、美術家の夫と空間デザインにも携わる。

転機は2年の新体操部の大会で訪れた。演技中に音楽が止まるトラブルに見舞われた。踊り続けると次第に観客の手拍子が大きくなった。「私にも観客の心を動かす力があるかもしれないと思うほどうれしかったです」。演技の仕事が憧れから目標に変わり、休日は誰にも内緒で都内にオーディションを受けに行った。
並行して受けていた共通一次試験を終えて、ようやく家族に役者志望を打ち明けた。反対を押し切り、難関の養成所「無名塾」に合格できなければ働く条件で許しを得た。卒業式間際に届いた合格通知は「一生の宝物です」。
朝ドラ出演に地元は沸いた。「知らない親戚が増えました」。世間からいつまでも役名で呼ばれることには抵抗を感じたが、経験を重ねるうちに「自分が出会えなかった人生を体験できるドキドキ」を楽しめるようになった。舞台を見に来てくれる同級生からも活力をもらっている。
「高校3年間は自分の夢と素直に向き合って良い時間でしょう。大学受験が当たり前の学校で、挑戦を否定せず背中を押してくれた先生や友達のおかげで今の私があります」。デビューから所属した無名塾から2020年、独立し再出発を切った。次回作の台本を読む瞳には、終わりなき夢の続きが映っている。
わたなべ・あずさ 高校卒業と同時に、俳優仲代達矢氏が主宰する若手俳優養成所「無名塾」に入塾。映画「望郷の鐘」やドラマ「いのちの器」、舞台「マクベス」など多方面に出演する。2010年から、美術家の夫稲吉稔さんとアートプロジェクト「似て非works」を始めた。
陸上で全国2位 成長の経路、顧問と走破 TBSアナウンサー佐藤文康さん【富嶽から羽ばたく 富士高100周年④】
全国高校総体(インターハイ)陸上800メートルに1年から出場し、20歳以下の全日本ジュニア大会1500メートルは2位-。全国の舞台で数々の記録を残した佐藤文康さん(46)は今、TBSアナウンサーとして実況席からトラックを見つめ、世界レベルの熱戦をお茶の間に伝えている。

しかし、体が適応せず成績は伸びない。一人苦悩する中、馬野先生は都内の大学に連れ出して血中酸素濃度の測定など当時最先端の管理態勢を与えてくれた。県外遠征の移動はいつも馬野先生のワンボックス車。「私生活を犠牲にして支えてくださった大変さが、家族を持った今になってよく分かります」。二人三脚で積み重ねた努力は全国2位の実を結び、大学では憧れの箱根駅伝を目指した。
陸上で培った粘り強さと負けん気は就職活動にも生きた。倍率千倍ともいわれるキー局のアナウンサー試験で、陸上一筋の学生生活では専門的な訓練を積んだエリートにかなわない。1次試験のCM原稿読みで「まずそう」と試験官に一蹴されたこともあった。小手先の技術では勝てない。ならば元気に堂々と。自分の持てる力を全てぶつけ、難関を突破した。「自分を客観視してベストな闘い方を探す力は陸上で身に付いた。人生の礎です」
リオ五輪に各局から集まった取材団では、富士高出身者が最大派閥だったという。「各自の目標を尊重し努力を認め合う校風を皆誇りに思っていました」。各界で輝く卒業生に取材できる日を、ひそかに楽しみにしている。
さとう・ふみやす 1999年にTBS入社。競技経験を生かし、世界陸上や五輪、サッカーワールド杯などスポーツ実況を主戦場とする。早大では競走部に所属した。