【第2章】高校時代③ 前例なき授業 母の熱意 「遠隔」道開く【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

 ラグビーワールドカップ日本大会に国内が沸いた2019年秋も、県立磐田北高1年だった寺田歩生[あゆみ]さんはがんと闘っていた。母の有希子さん(54)は、インターネットで、ある新聞記事に目を止めた。広島県教育委員会が小児がんの生徒を対象にネットを使った遠隔授業による単位を認めるという内容だった。

寺田歩生さんのパソコンに映し出された教室の様子。画面越しに友人と交流できた(歩生さんの両親提供、写真の一部を加工しています)
寺田歩生さんのパソコンに映し出された教室の様子。画面越しに友人と交流できた(歩生さんの両親提供、写真の一部を加工しています)

 すぐに静岡県教委に電話で問い合わせたが、「県内では実施していない」という返事が返ってきた。しかし諦めることなく、歩生さんの担任にも新聞記事を持って行った。1カ月に及ぶ放射線治療、右足を切断する手術…。病魔は待ってくれなかった。「とにかく早く、とにかく悔いが残らないようにと必死だった」
 歩生さんは夏頃から、治療による欠席日数が日に日に増え、履修不足で進級できなくなる可能性がちらついていた。つらい治療の上、留年や退学という理不尽な体験までさせるわけにはいかない―。母は焦った。歩生さんに限らず、治療で学校に行けずに泣く泣く留年や退学せざるを得ないのが、病気療養する生徒の現実だった。
 県立高では前例がなかったが、学校側は打開策を見いだそうと動いた。県教委に相談すると、「出席扱いは難しいが、技術的には可能」との返事だった。県教委は当時、本校と分校間で遠隔授業の研究を進めていた。20年3月、県教委の担当者に来てもらい、導入に向けた調整を進めた。
 通信環境の整備、授業方法の検討、教員の端末操作方法の習得、移動教室の際の対応などさまざまな課題を一つずつつぶした。翌年度の2学期から導入が実現した。「出席扱いの課題はひとまず置いておき、目の前で困っている生徒の学びの保障を優先させた」。当時教頭で、遠隔授業の実務を担当した河西伸之副校長(53)は振り返る。
 歩生さんの両親が願った出席扱いは、この時点ではかなわなかった。歩生さんは当初、出席が認められない遠隔授業に意義を見いだせないでいたが、遠隔で授業が受けられ、休み時間には画面越しに友人と交流もできた。この実績がきっかけとなり、県教委は後年、病気療養する高校生への遠隔授業を出席扱いとする方針を決める。
 治療で学業を断念し、留年や退学を余儀なくされる課題の突破口を開く大きな一歩だった。「多くの方々の理解と協力があって実現できた」。有希子さんは感謝する。

 メモ
 広島県教育委員会によると、2016年度に広島大病院から長期療養する高校生への支援充実の要望を受け、同病院と連携して遠隔授業を試験的に実施していた。文部科学省が19年夏、生徒側に教員の付き添いがあることを前提に認めていた遠隔授業の要件緩和を検討し始めたことを受け、同県教委は同年11月、小児がんで長期療養する高校生を対象に、遠隔授業を出席扱いとする方針を打ち出した。
<続きを読む>第2章・高校時代④ 2度目の1年生 執念の登校で“祝 進級”【青春を生きて 歩生が夢見た卒業】

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