「清水空襲」資料をAIで和訳 静岡県立大生、米軍の作戦意図や事後評価を紹介 静岡平和センターで公開中

 太平洋戦争末期の1945年7月、米軍が静岡市清水区を攻撃した「清水空襲」について作成した報告書を、静岡平和資料館をつくる会(静岡市葵区)と静岡県立大の学生3人が和訳し、同区の静岡平和資料センターで公開している。画像読み取りソフトと人工知能(AI)を使った翻訳ソフトを使い、短期間で80ページの全訳に成功した。

清水空襲に関する米軍の作戦任務報告書の和訳を行った(右から)県立大の小松那々子さん、山崎葉月さん、静岡平和資料館をつくる会の寺島敦子さん=静岡市葵区の静岡平和資料センター
清水空襲に関する米軍の作戦任務報告書の和訳を行った(右から)県立大の小松那々子さん、山崎葉月さん、静岡平和資料館をつくる会の寺島敦子さん=静岡市葵区の静岡平和資料センター

 米軍は甲府や千葉など4カ所を、同年7月6日夜に攻撃する計画を立てた。報告書によると、清水は日本最大のアルミニウム工場などを抱える「本州中央部の重要な工業都市」。鉄骨造りの工場と木造家屋が混じるため、焼夷弾は貫通力の高い種類と、火災を引き起こす種類の2つを用意した―とある。作戦の意図や準備に関する記述のほか、実行当日の天気図、出発地のマリアナ諸島と清水との飛行ルート、ふ頭や駅などの目標物の「40%を破壊した」などの事後評価も記している。
 清水空襲を知る手がかりとなる貴重な基礎資料の全訳に協力したのは、国際関係学部4年の小松那々子さん、山崎葉月さん、海野陽万莉さん。国立国会図書館のウェブサイトからダウンロードした報告書のページの画像を読み取りソフトで文字データ化し、別のソフトで翻訳した。相当な時間を費やす手作業が省かれたため、訳文の点検や事実との照合を丁寧に行った。
 軍事関係の専門用語が、日本のほかの資料と統一されるよう修正したり、原資料に記載されている時刻が、マリアナ現地時間とグリニッジ標準時が混じっていることに気付き、統一したりした。小松さん、山崎さんは「米軍側の視点に触れることができて有意義だった」と話す。同会の佐々木悦子さんは「誰もが違和感なく読める文章にするために、学生の協力は欠かせなかった」とたたえる。
 同会は2年前にも全文和訳を計画したが、当時は文字入力や和訳、チェックなど全てが手作業で、協力者を十分得ることができなかったという。翻訳プロジェクトの責任者を務めた同会の寺島敦子さんは「精度の高いソフトの登場によって、少人数でできることが増えた。2025年は戦後80年。体験者や担い手が減る中で、デジタル技術の活用はますます重要になっていく」と見据える。
 (社会部・大須賀伸江)

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