⚽元日本代表の高原(清水東高出)今季限りで引退 44歳、2006年W杯出場
サッカー元日本代表FWで万能型ストライカーとして一時代を築き、自ら創設したJFL沖縄SVで選手兼監督を続けていた高原直泰(44)=三島市出身、清水東高出=が31日、今季限りの現役引退を発表した。来季以降も監督は続ける意向。
高原は磐田に入団して23歳でJリーグ史上最年少得点王に輝き、最優秀選手を獲得。ドイツなど海外でも活躍した。ワールドカップ(W杯)は2002年日韓大会直前にエコノミー症候群を発症して出場を逃したが、06年ドイツ大会にエースとして出場した。国際Aマッチ23得点、J1では77得点。11、12年は清水でもプレーした。
沖縄SVは15年の創設で、高原は最高経営責任者(CEO)と合わせ「3足のわらじ」でクラブを率いる。沖縄県リーグ3部からスタートしたチームは今季JFL昇格を果たしたが、現在、最下位に低迷している。
クラブを通じ、「多くの方々に支えられ、幸せな選手生活だった。チームは現在、苦しんでいる状況だが、監督、選手として精いっぱい戦っていく」とコメントした。
(寺田拓馬、名倉正和)
黄金時代築いたジュビロ磐田関係者、次のステージ活躍願う
元日本代表FW高原が今季限りの現役引退を発表したことを受け、磐田で一緒に黄金期を築き上げた関係者は当時を回想するとともに、次のステージでの活躍を願った。
当時監督だった鈴木政一氏(68)は若手時代の高原について「中山(現J3沼津監督)と2トップを組み(ボールがない)オフの動きを学んでいた」と振り返る。その後アルゼンチンで技に磨きをかけ「個人でもグループでも点が取れる選手になった」と懐かしんだ。
「希代のトップストライカーだった」と現役時代にチームメートだった磐田の藤田俊哉スポーツダイレクター(51)は評価する。高原が沖縄に渡ってからも連絡を取り合い「クラブ経営は大変」と悩みを聞いていたという。「引退後もやりたいことがあると思う。立場は違うがお互いフットボールで高みを目指していければ」と期待した。