「第五福竜丸」受難前の船の様子、写真公開 船長務めた亡き父が撮影、所蔵 清水さん(焼津出身)詳細情報求める

 焼津市出身の清水篤さん(65)が、父親で焼津港所属のマグロ漁船「第五福竜丸」船長を務めた故・昭二さんが1954年の「第五福竜丸事件」前の同船の様子を撮影した写真の公開に踏み切った。乗組員一人一人の姿や船の内部を写した「貴重な史料」(同市歴史民俗資料館)。清水さんは写真を載せた記念冊子を作る考えで、制作に当たって写真の詳細な情報を求めている。

父親の持っていたアルバムを示す清水篤さん。アルバムには第五福竜丸の乗組員とみられる男性たちが写っている=22日、焼津市内
父親の持っていたアルバムを示す清水篤さん。アルバムには第五福竜丸の乗組員とみられる男性たちが写っている=22日、焼津市内
アルバムに載っていた清水篤さんの父昭二さん
アルバムに載っていた清水篤さんの父昭二さん
父親の持っていたアルバムを示す清水篤さん。アルバムには第五福竜丸の乗組員とみられる男性たちが写っている=22日、焼津市内
アルバムに載っていた清水篤さんの父昭二さん


 写真は、昭二さんをはじめ、同船の乗組員がポーズを決めている様子や、昭和20年代の焼津港と思われる風景など約50枚。篤さんによると、事件前の1953年ごろに撮影されたとみられる。2011年に84歳で亡くなった昭二さんのアルバムに所蔵されていた。
 昭二さんは同船で船長を務めていたが、事件に遭難した航海には乗船していなかった。昭二さんはその後も別の船に乗船していたが、船や船員の写真は「第五福竜丸だけ」(篤さん)という。
 篤さんはアルバムの存在は以前から知っていたが、来年の事件70周年を迎えるに当たり、公開を決意した。同資料館の鈴木源係長は「若き日の船員の姿もさることながら、第五福竜丸の船内部をとらえた写真は非常に珍しい」と語る。
 篤さんは写真を題材に都内で展示会を開くことを検討している。開催を前に、写真に載っている人物や年代といった詳細な情報を特定したい考え。篤さんの求めに応じて同資料館では、30日開催の事件を語り継ぐ「6・30市民集会」に合わせて、資料館の一角に写真を展示し、情報提供を呼びかけていく。
 篤さんは「何げないシーンをとらえた写真だが、これを見て事件のことを少しでも思い出してくれれば」と話す。

 <メモ>第五福竜丸事件 1954年3月1日、米国が太平洋・ビキニ環礁で水爆実験を実施。公海上で操業中だった「第五福竜丸」の乗組員23人が被ばくした。約半年後には同船無線長の久保山愛吉さんが亡くなった。同船はその後、東京水産大(現在の東京海洋大)の練習船として使用されていたが、67年に廃船。東京都の「夢の島」に放置されていたが、保存を求める声が高まり、76年に開館した都立第五福竜丸展示館で展示している。

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