静岡新聞論説委員がお届けするアートやカルチャーに関するコラム。今回は12月1日に発行(奥付)された 戸田書店発行の「季刊清水」58号 を題材に。

第1特集「袖師・横砂で立ち止まる」は、ガントリークレーンがそびえる袖師埠頭が印象的な沿岸部がテーマ。域内のENEOS清水製油所跡地と周辺は、新サッカースタジアムの建設が期待されている。今年8月には静岡市とENEOSが地域づくりの推進に関する合意書を締結した。静岡市内屈指の注目が集まるエリアと言えよう。
古くからこの土地に住む方々が寄稿しているが、印象に残るのはかつてこの地にあった海水浴場の思い出話。1926年から1966年まで設置された袖師海水浴場は、豊田久留巳さんの記述によると最盛期の1956年には一夏で約100万人が訪れたそうだ。東海道線に夏季限定の臨時駅「袖師駅」が設けられ、1929年には静岡鉄道の清水市内線が開通し、「袖師停留所」が設置された。駅から海岸まで約50メートルだったという。まぶしい話が続く。
袖師海水浴場の話は川口宗敏・静岡文化芸術大名誉教授も語っている。「遠浅で足触りの良い細かい砂浜の海岸」とあり、夏休みには小学校の水泳教室が実施されたという。山田裕道さんは「遠浅の海、静かな波、広い砂浜、市街地からの近さ」を挙げる。「西北に山ありで寒風を防ぎ、海は東南に面して早く旭日を望み」とある。何とも理想的な海水浴場だったようだ。
もう一つ、平岡晟甫さんの「横砂の浄見(きよみ)長者の謎」というタイトルの原稿に目がとまった。横砂の豪族に端を発する大金持ちらしい。だが、史料が少なく実像は不明である。
今年はじめに開かれていた静岡市歴史博物館の「しずおか別荘ものがたり」展で、明治維新後の新政府で要職を歴任した井上馨が*終(つい)のすみかと定めた横砂の「長者荘」を思い出した。なぜ「長者」と付いているのかが謎だったが、戦国時代の永禄年間(16世紀中頃)まで栄えた浄見長者の一族に由来するらしい。「長者荘」が建つ米糠山は長者の陸墓説も唱えられた。
平岡さんの記事に添えられた写真は、歴史博物館の展示でも見たものだ。米糠山に井上の巨大な銅像がそびえ立つ。長者一族は武田信玄の侵攻で滅びたとされるが、それから約300年後に、同じ場所で権勢を誇った人間がいた。不思議な巡り合わせである。サッカースタジアムができたら、現代の大伽藍に見えるかもしれない。
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