沼津文化と自然の交差点・港口公園を歩く

Face to Face

素朴な看板
 

新年を迎え、年頭に目標や希望を唱えたことだろう。沼津市の港口公園には『命のビザ』で著名な杉原千畝(ちうね)・幸子夫妻の功績をたたえたモニュメントがあるという。ある願いを胸にその顕彰碑(けんしょうひ)の前に立った。

平穏な日々を願い平和の尊さをしみじみと思う

沼津魚市場も近い
 

港口公園は新鮮な魚介類が食べられる沼津魚市場に近く、パノラマビューを楽しめる沼津港大型展望水門『びゅうお』に接している。海のそばで、潮の香がして、大正天皇がご静養した沼津御用邸からも遠くはなく、樹木の多い公園だった。駐車場は7時から18時までで、普通車は30台がとめられる。訪れた日曜日の9時過ぎは混雑していて、私がとめると残りはあと2台分きりだった。

大型展望水門『びゅうお』
 

「一年の計は元旦にあり」といわれるが、旅好きの私は体力があるうちに、長々と世界中を旅したいという夢がある。だから初詣では穏やかな世界を願った。平和でなければ旅などできないからだ。昨年は海外旅行の基礎知識として、図書館の本などで第1・2次世界大戦中の欧米や日本の歴史を繰り、その中で一人の勇敢な外交官の生きざまに胸を熱くした。

ご存じの方は多いだろうが、その人が映画にもなった杉原千畝さんだ。1940(昭和15)年、ポーランドの隣国リトアニアの当時の首都・カウナスの日本国領事館などで、欲得を捨て、慈しみ深い正義感からだろう、第三国へ逃れるための日本通過ビザ(命のビザ)を発給し、約6千名ともいわれる人命を救った外交官だ。そして、夫を陰で支え続けたのが沼津市出身の妻・幸子さんだ。お二人の功績をたたえたモニュメントが同園内にあると知り、僭越ながらぜひその前に立ち、国々の交際のかけ橋が壊れぬよう導いてほしいと願いたくて、公園を訪ねた次第だ。

杉原夫妻の顕彰碑
 

杉原夫妻のモニュメントは、松林を背にした日当たりのいい芝地にあって、先にいた観光客らしき熟年カップルが、功績を記したメモリアルに見入っていた。石柱には「人として当たり前のことをしただけ」という杉原さんの言葉が刻まれていた。背筋が伸びる思いでその言葉をかみしめた。結局は人の道に尽きるわけだが、人間であるとはどういうことか、杉原夫妻の存在や生き方から探求できると思えた。

園内にはほかにも、沼津市にゆかりのある『赤い靴』などの童謡を作曲した本居長世さんや、詩人の勝田香月さんの碑があった。風光明媚な沼津市は古くから文人に愛された地で、財界人らの別荘も松原が続く海岸沿いに残るという。近くにある『文学のみち』と命名された文人をたたえる街道をゆけば、歌人の若山牧水記念館のほか、リニューアルした名宿の沼津倶楽部が別荘地にあるそうだ。

広い芝地もある
 

さて、公園を散歩中、子ども連れの若夫婦がいて、無邪気に駆け出した子どもを母親が楽しげに追い、残されたベビーカーを父親がゆっくりと押して行くのに出くわした。目を転じれば、犬と散歩するご婦人。ベンチで一服つけるご老体。広場で筋トレ中の若者たちも。木漏れ日の歩道に立ち、そんな光景を見ていると、平和のありがたさをしみじみと感じた。ああ、何もなくても平穏がいい、と。

普段着のまま自由に散策へ出て、魚市場の食堂で海の幸に舌鼓を打ち、冬の海と空を見やり、きょうも富士山がきれいだと、あくびまじりに言えるのは、わかりきったことだけれど平和だからだ。広々とした公園のすぐ横に生垣に囲まれた民家があり、そこから落ち葉をかき集める音がした。普段は何ともないそんな庭掃除の音にも聞き耳を立てて、またしみじみと、散歩道を気ままに歩める日々をありがたく思った。

(ライター/佐野一好)

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■港口公園
住所:沼津市本字千本1905-3

Face to Faceは富士・富士宮・沼津で発行している地域月刊新聞です。記事に登場するのは、あなたの街にいるかもしれない「ふつうの人」。地域に暮らす人々が共感できる、十人十色の物語を伝えています。

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