
素朴な看板
平穏な日々を願い平和の尊さをしみじみと思う

沼津魚市場も近い

大型展望水門『びゅうお』
ご存じの方は多いだろうが、その人が映画にもなった杉原千畝さんだ。1940(昭和15)年、ポーランドの隣国リトアニアの当時の首都・カウナスの日本国領事館などで、欲得を捨て、慈しみ深い正義感からだろう、第三国へ逃れるための日本通過ビザ(命のビザ)を発給し、約6千名ともいわれる人命を救った外交官だ。そして、夫を陰で支え続けたのが沼津市出身の妻・幸子さんだ。お二人の功績をたたえたモニュメントが同園内にあると知り、僭越ながらぜひその前に立ち、国々の交際のかけ橋が壊れぬよう導いてほしいと願いたくて、公園を訪ねた次第だ。

杉原夫妻の顕彰碑
園内にはほかにも、沼津市にゆかりのある『赤い靴』などの童謡を作曲した本居長世さんや、詩人の勝田香月さんの碑があった。風光明媚な沼津市は古くから文人に愛された地で、財界人らの別荘も松原が続く海岸沿いに残るという。近くにある『文学のみち』と命名された文人をたたえる街道をゆけば、歌人の若山牧水記念館のほか、リニューアルした名宿の沼津倶楽部が別荘地にあるそうだ。

広い芝地もある
普段着のまま自由に散策へ出て、魚市場の食堂で海の幸に舌鼓を打ち、冬の海と空を見やり、きょうも富士山がきれいだと、あくびまじりに言えるのは、わかりきったことだけれど平和だからだ。広々とした公園のすぐ横に生垣に囲まれた民家があり、そこから落ち葉をかき集める音がした。普段は何ともないそんな庭掃除の音にも聞き耳を立てて、またしみじみと、散歩道を気ままに歩める日々をありがたく思った。
(ライター/佐野一好)
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■港口公園
住所:沼津市本字千本1905-3

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