新入県職員への訓示で職業差別とも取れる発言をきっかけに、県内外から大きな批判を浴び、突然辞任を表明、10日午前に退職届を提出した静岡県の川勝平太知事。提出前に記者に「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」と細川ガラシャの辞世の句を読み上げました。「自分の最期を知り受け入れるのが正しい人の道だ」といった意味だとされています。

ガラシャは明智光秀の娘で、細川忠興の正室。慶長5(1600)年、夫の忠興は徳川家康に従い、上杉征伐に出陣しますが、ガラシャは住まいの細川屋敷を取り囲んだ石田三成軍勢に人質となることを要求されます。それを拒んだガラシャは、自殺が許されないキリスト教徒だったため、家老の小笠原少斎に長刀で胸を突かせ、38歳でこの世を去りました。戦国武将の妻として、そしてクリスチャンとして「筋を通した」ガラシャらしい辞世の句として後世に伝えられています。
辞任の際にこの句を引用した政治家がもう一人います。元首相の細川護熙氏です。東京佐川急便からの借入金を未返済のままにしているという疑惑が浮上し、わずか9か月足らずで辞任しましたが、その際にもガラシャのこの句を引用したそうです。
ちなみに細川一族の一員でガラシャとも遠縁だという護熙氏は、この句を引用できる立場だったと言えるでしょう。しかし、護熙氏の最後は「政治とカネ」川勝知事は「舌禍」とおおよそ戦国の才女と同じような状況だったとは言えません。特に「舌禍」で職を追われた政治家は枚挙に暇がありません。
兵庫県明石市議会で問責決議案が賛成多数で可決され、政治家を引退した泉房穂市長(当時)は、市内の建物の立ち退き交渉が難航していると職員から報告を受けると「楽な商売じゃ。今日、火つけてこい。火つけて捕まってこい」と怒鳴ったことなど職員へのパワハラが問題視され、会見で謝罪しました。
問題発言で辞任が相次いだのが復興相です。まず、松本龍氏。東日本大震災が起きたばかりの2011年6月28日に復興相に就任した松本氏。岩手県庁で達増拓也知事に「あれが欲しいこれが欲しいはだめだぞ、知恵を出せということだ。知恵を出したところは助けるけど、出さないやつは助けない」と気色ばん出みせました。また応接室で待たされた宮城県庁では村井嘉浩知事に「(待たされたことについて)お客さんが来るときは、自分が入ってから呼べ。言われなくてもしっかりやれよ。今の部分はオフレコな。書いた社(マスコミ)はこれで終わりだから」などと横柄な振る舞いを見せ炎上。わずか9日で大臣の職を辞さなければなりませんでした。

「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」。2017年、二階派のパーティーの席でこう発言、同席していた故安倍晋三氏に異例の「おわび」をさせ、事実上更迭されたのが今村雅弘氏。今村氏は記者会見で、福島原発事故からの自主避難者が故郷に戻れないことを「本人の責任」と言い放つなど、その発言が問題視されていた中での辞任劇でした。

2011年、東京電力福島第一原発の周辺自治体を「死のまち」と表現し、福島視察後に記者団に「(防災服についた)放射能をつけちゃうぞ」と発言した鉢呂吉雄経済産業相(当時)も、奇しくも9日間で辞任。野田内閣で国の原子力行政を所管する要職についた途端の出来事でした。

「毎日毎日野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとか、ということと違って基本的に皆様は頭脳・知性の高い方ですからそれを磨く必要があります」発言した川勝知事。単なる「生業の違い」を説明した客観的考察だと弁明しましたが、文脈からは先出の大臣らの失言と共通した「思慮の浅さ」が伺えるようです。自分が招いた「禍」であるにもかかわらず、人生を翻弄(ほんろう)され、不幸な運命を受け入れるしかなかったガラシャと自らを重ねるかの様な今回の引用に、違和感を覚える県民は少なくないのかも知れません。(大林寛)