
3月24日、浜松市で小学生の列に軽トラックが突っ込み、4人が死傷した事故。事故を起こした男性が5月5日、報道陣の取材に応じ「一生をかけて償う」と謝罪しました。また、3週間前に意識を失って同様の単独事故を起こしていたことについても語り、その事故について、家族に隠していたことを明らかにしました。男性は5月4日、初めて遺族のもとを訪れ、謝罪しています。
男性へのインタビューの一問一答の全文を掲載します。
<事故を起こした男性(78)>
「この度は大変なことをしてしまい、大変申し訳なく思っております。今後、いかなることでも深く反省しながら、一生をかけて償っていきたいと思います。亡くなられた琴陽さんには本当に申し訳なく思います。お姉さまにもけがをさせてしまい、ご家族の方、ご親族の方にもご心配をかけて申し訳ございませんでした。できることはなかなかすぐには頭に浮かびませんが、一つ一つ思い起こしながら、償っていきたいと思います。申し訳ございませんでした」
Q.ご遺族への謝罪が5月4日のタイミングになった理由は?
「5月4日のタイミングをなったのは2週間勾留されていて、4月14日に釈放され、報道とか色々されているので、気をつけて行動するようにということで、1週間は親戚の家に泊まって、家へ帰って、家と農業用ハウスとの往復をたまにするぐらいで、あとは出ませんでした。そういう時間を過ごしながら、きょうまで3週間経ったような具合です」
Q.ご遺族には、どのような言葉でお伝えをしたのですか?
「とにかく謝るしかない。今は色々考えていても、なかなかそれを受け入れてもらえるような状態ではなかったので、一生をかけて、何とか、償っていくしかないと考えています」
Q.ご遺族の姿はどのように映りましたか?
「言葉ひとつひとつが理解できない、納得できないというお叱りの言葉は何度か、いただきました。ご遺族の立場を考えれば、その通りだなと深く思いまして、ひとつひとつ噛み締めてきた次第です。何ができるかは、これから一生をかけて償っていくつもりであります。免許証も返納するつもりですので、車はもう一切運転しません」
小学生の自転車を全然思い出せない
Q.事故の時に気を失っていたと説明したと伺いましたが?
「覚えている限りは、カーブを曲がって現場に行く少し手前。今思い起こせば事故現場の20〜30m手前から、前を走っていた小学生の自転車を全然思い出せません。衝突する2〜3秒前から気を失ったと思います。それで衝突して5mぐらい引っ張りながら石塀にぶつかり、なお少し走ったんではないかと思います、トラックの下に自転車を巻き込みながら。それで止まったところですぐに目を覚ましました。その時には胸を押さえて、片手はハンドル持った感じで目を覚ましたと思います。それですぐ降りて、救助っていうか、トラックの下にいるのが分かったものですから、近くにいた3、4人と一緒に上げて助けようとしたけど、最初の3、4人では上がらなくて、もう少し近くにいた大人の男性を含めて5、6人で上げたような記憶を少し覚えてます。それで多分、救出してから救急車で行ったんではないかと思います」
Q.事故を起こして動転していたと思いますが、その時に思ったことは?
「大変なことをしてしまったっていうことは頭に思い浮かべましたけれど、小学生が前を走ってるっていう記憶がないものだから、どこから気を失ったか、多分20〜30m手前、20〜30kmで走っている事故現場の10m〜20m前だと思います」
Q.その事故の数週間前にも同じような形で物損事故を起こしたと伺いましたが、その時に運転はもうやめておこうと思ったりはしませんでしたか?
「本来考えればそれが当たり前の常識のことかも知りませんが、3月初めに起こした事故は、畑の柵にやってある1mぐらいの木の10cmぐらいの太い根っこに当たったように記憶しています。当たって、すぐ止まりかけて、交差点で止まりかけたとこでちょっと目がくらんで、何かおかしいと思ったら、もうちょっと、かすっていまして、降りたら自分の車が少し傷が、筋がついていたのと、へこんでいたのと、その程度でしたので、修理店へ行って、すぐ直してもらって良しにしてしまいました。自分の中で隠してしまいました。それが今回、3月24日に起きた事故の3週間ぐらい前の出来事です」
Q.それは家族にも伝えず?
「はい、伝えませんでした」
Q.これまで事故は?
「3年前に、やはり十字路の交差点で左折する車が止まったが、それに気づくのが遅くて接触、相手の右後ろと自分の車のトラックの左前が少しへこむ接触事故を起こししたのは事実です。それは今度の事故の原因というか、動機とめまいとは関係ありません。私の前方不注意だと思います」
Q.これまで事故があって、ご家族には相談はされたんですか?
「3年前の事故と3週間前の3月初めの事故は言ってありませんでした」
Q.それは何で言わなかったんでしょうか?
「もちろん自分の考えですけれど、黙ってしまってこすいというか、知られて乗れなくなるとちょっと仕事にも色々にも差し支えると思って、ついつい、事故の度合からして黙ってしまいました」
自分で都合のいいように判断してしまった
Q.高齢者のドライバーの事故が社会問題化してる中、免許返納の動きが進んでいると思いますが、自分も不安だなとか思いましたか?
「それは多少ありました。事故の加減というか、度合いによって、自分で都合のいいように判断してしまったのが現実です」
Q.今振り返ってみて、思うところありますか?
「毎年、人間ドックは受けているものですから、1年間に1回、全体のドックは受けております。通院は1か月に1度ぐらい、同じ医師に通って、朝昼晩、いくつかの病気の薬を飲んでるものですから、その中で何か見つかればいいかなっていう風な程度で過ごしていました」
「たら、れば、になりますけど、せめて3月初めに起こした事故の時に、もうちょっと慎重に行うべきだと今つくづく思います。本当に亡くなった琴陽さんには申し訳なく思っております。どういう風な言葉で言っても返す言葉はありませんが、今後、一生をかけて、運転はできなくても、やれることをよく考えて償っていきたいと思います」
Q.これまで現場で手を合わせたことは?
「4月14日までは自由が効かなかったものですから、考えていても行動に移すことはできませんでした。釈放されてから、少しずつ、どうすればいいか、お通夜の席や、ご自宅を訪問はすることはなかったんですけど、頭の中には一部思っていましたので、今後、これから家族と相談して、できる範囲でやれることを一生続けたいと思います」
「きのう、女の子の自宅に行って、きょうからまず現場へ行って手を合わせ、毎日手を合わせることをしようという、きょうが始まりです」
インタビューに答えると決めたのは…
Q.今回、報道のインタビューに答えると決めたのはどういう思いから?
「あの正直、釈放されてからなるべく(取材などを)避けてはいましたけれど、公の場合に出て自分のしたことをしっかり噛み締めて、こういうことをしてしまったっていうことは、皆さんに知ってもらっても、その上で一生をかけて、償っていくことの方が大事だと。どういう風な報道をされても、してしまったことには取り返しがつかないので、なんとか自分の精神誠意の態度とか、気持ちを一部でも分かってもらえるようにこれから償いをしていくつもりです。本当に申し訳ありませんでした」
Q.損害賠償であるとか、今の段階で何か考えていることは?
「きのう、女の子の父親には償いとか、弁償とか、それよりも正直、琴陽を返して欲しいっていう言葉をいただきましたので、真摯に受け止めて賠償の形とか仕方を、今後一時的ではなくて、私が生きている限りできできることを考えてやっていきたいと今はそう思ってます。できることを何としてでも、やっていきたいと考えています。本当に申し訳ありませんでした」
Q.釈放されるタイミングとか、警察から話もあった上で、きのうの謝罪のタイミングだったと思いますが、事故から1か月以上経っている中で、タイミングとしては遅くなってしまったとか、思うところはありますでしょうか?
「自分たちは流れの中でなんとかやっているかなという気も少しはありますけど、遺族の方からすれば、なんで1か月も経って、そのうちに1回も顔を見せないんだというお叱りの言葉をいただきましたので、ごもっともだなとそう感じましたので、今後はそれをなくすというよりも、補うようなことをなんとかやっていきたいと今はそういう気持ちでいっぱいです」
Q.亡くなった女の子に言葉をかけるとしたら?
「大切な命を、私の本当の不注意でなくしてしまい言葉には表せない申し訳ない気持ちでいっぱいです。なんとか今後一生かけて償っていければと今はそう感じています」