清水桜が丘高サッカー部の下宿先だった旅館「日本閣」 日本サッカー界のレジェンド小野伸二や名波浩はここから羽ばたいていった!

今回のSBSラジオ・静岡サッカー熱血応援番組「ヒデとキトーのFooTALK!」は、清水商業高サッカー部、現在の清水桜が丘高校サッカー部の下宿先として知られていた旅館「日本閣」の話です。

2021年にコロナの影響もあって惜しまれながら閉館してしまいましたが、ここから数々のレジェンドが巣立っていきました。日本閣のオーナー西川伊織さんにお越しいただき、パーソナリティのペナルティ・ヒデさんと鬼頭里枝さんがレジェンドたちの話を聞きました。

鬼頭:日本閣は1967年、西川伊織さんのお父様である西川昭策さんが、静岡市清水区船越に創業しました。旅館の経営と並行して、現在の清水桜が丘高校、当時の清水市立商業高校の生徒を下宿生として受け入れました。OBには元日本代表の名波浩さん、川口能活さん、そして小野伸二さんら数々のレジェンドがいらっしゃいます。

2012年に創業者の昭策さんが亡くなられた後は伊織さんが運営されていましたが、コロナの影響で2021年に閉館しました。

ヒデ:今挙げたレジェンドの名前もほんの一部でしょう。どれだけ日本のサッカー界に貢献したことか。なぜ清商の下宿先になったのか、どういうやり取りがあって決まったのか、経緯を教えてください。

西川:私が清商1年生の時に父と当時の監督が話し合いをする中で、御殿場や沼津、藤枝、浜松などのちょっと離れた場所の子たちに朝練をさせたいので下宿をお願いできないかという話がありました。

ヒデ:実は僕も日本閣に行ったことがあるんですよ。

西川:30年ぐらい前に宿泊していただきましたね。義理の兄がメディア関係の仕事をしていて、小学生が若手芸人とサッカーを楽しむみたいな企画がありました。その時にお越しいただいた若手芸人がペナルティの2人だったんですよ。

ヒデ:超若手で、駆け出しの頃。県内の優秀な子たちや、サッカーをやらせたら面白そうな子たちと一緒に行ったんですよ。

鬼頭:フットークのスタッフにも、西川さんのお父様にサッカーでお世話になった方がいます。

西川:清水で選抜チームを組んで、うちの父が率いて、メキシコの国際大会に参加していました。その時の遠征メンバーに当時中学生のスタッフさんがいらっしゃいました。

川口能活さんが下宿していた時代は…


鬼頭:今日はスタジオに選手のユニフォームやお写真を持ってきてくださいました。

ヒデ:これは国体49回大会の写真。何がすごいって、出ている選手の顔を見て、誰なのかすぐ分かる。例えば、安永聡太郎さん、佐藤由紀彦さん、西澤明訓さん。そうそうたる選手たちで、名前を出せばきりがないですよ。

鬼頭:この方たちも日本閣で合宿されたんですか。

西川:そうですね、この年代の子たちはうちで合宿していました。川口能活選手がいた頃は、玄関の周りに女子高生が集まりましたね。

ヒデ:そりゃそうですよね。これは清商卒業の時の写真ですね。ここに小野伸二選手もいますけど、学生服ですよ。この写真は1998年のもの。この数ヶ月後に彼はフランスワールドカップのピッチに立つわけです。

西川:フランスから帰って来た時にも「ただいま」って言っていました。

ヒデ:第2の実家ですもんね。このオレンジのユニフォームはエスパルス、小野伸二選手。

西川:伸二はやっぱり印象深いことが多かったです。練習が終わって学校から帰ってくる時間は、うちでは旅館の泊まり客と宴会のお客さんでごった返している時。生徒たちはいち早く自分たちの夕飯を食べるために、配膳のお手伝いをしなきゃならないんです。伸二たちの年代は率先してやっていました。特に女子高生が泊まりに来た時の配膳はすごく早かった(笑)

鬼頭:夜の時間に、サッカーや勉強、人生の相談などもあったんですか。

西川:16歳から18歳の思春期。自分も歳を重ねる中で、今で言うZ世代のような子どもがどんどん送り込まれてくるので、大変でしたね。

ヒデ:でも親御さんから預かっている未来のスターたちだから、しっかりと成長も促さないといけない。面倒を見て、規律も重んじなきゃいけない。距離も保ちつつ、しかるべきところはしかって。大変でしたでしょうね。

そんな長い歴史の中でも、やっぱり小野伸二は特別だったと思います。引退は寂しいですよね。

西川:ちょっと寂しいんですが、本人も「サッカーをやめるわけじゃない」って言っていました。あくまでもプロ選手をやめるということなので、どこかでプレーは見られるのかなっていう気はしていますね。

ヒデ:縁が切れるわけじゃないですからね。逆にお酒を酌み交わして昔話とかもしやすくなるでしょう。

鬼頭:下宿生の中で面白いエピソードはありますか。

西川:伸二の年代かどうかは覚えていないのですが、近所のスーパーにゴリラの被りものをして、バナナを買いに行くという罰ゲーム的なことをしていました(笑)

日本閣の跡地、今は…


鬼頭:これだけサッカーを昔からご覧になっていて、今のサッカー王国静岡をどうご覧になっていますか。

西川:日本代表に選ばれる選手の中で静岡県に関わる選手が、ここ数年すごく減ってきてしまいました。1998年、2002年、2006年のワールドカップまでは多かったんですが、もっと日本代表に入るようになれば、静岡のレベルも上がると思います。

ヒデ:Z世代という新しい考えを持った子たちも出てきていますし、新しい時代に入ってきましたからね。日本閣の跡地ってどうなっているんですか?

西川:今は更地になっちゃっている状態です。

ヒデ:そこに1つ、石碑か何かあったらいいですね。

最後に静岡サッカーに対する思いを聞かせてください。

西川:私は清水生まれの清水育ちで、清水サポーターです。県内の高校サッカーや全てのチーム、それらを支えるチームスタッフや皆様のことを心から応援しています。今後強く生まれ変わろうとしている静岡サッカーを、この番組とともに見守っていきたいと思います。

最後に、今まで旅館「日本閣」にお越しいただいた方々に感謝するとともに、皆様のご活躍をお祈りしております。
シズサカ シズサカ

サッカー大好き芸人、ペナルティ・ヒデと、サッカー中継のリポーターとしても活躍する鬼頭里枝の2人がお送りする番組。Jリーグから海外サッカー、ユース世代、障がい者サッカーなど幅広くスポットを当て、サッカーを通して静岡を盛り上げます。目指すは「サッカー王国静岡の復権」です!

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