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哀惜 日系人初の米閣僚 ノーマン・ミネタ氏

 日系人として初めて米国の閣僚を務めたノーマン・ミネタ元運輸長官が3日、亡くなりました。ミネタ氏は、父が清水町、母が三島市出身で、両親の郷里を訪れたこともありました。第2次世界大戦中、日系人であるという理由で強制収容された体験から、人種差別反対の態度を一貫しました。ミネタ氏に関する過去のニュースやインタビューから人柄を振り返ります。
 〈静岡新聞社編集局未来戦略チーム・石岡美来〉

ゆかりの三島、清水町に悲しみ

 ノーマン・ミネタ元米運輸長官が3日、心臓病のために東部メリーランド州の自宅で死去した。90歳だった。ミネタ氏の元補佐官が明らかにした。日系初の米閣僚としてクリントン民主党政権下の2000~01年に商務長官、ブッシュ(子)共和党政権下の01~06年に運輸長官を務めた。

三島市職員の歓迎に笑顔を見せるノーマン・ミネタ氏(手前左)=2018年11月、同市役所
三島市職員の歓迎に笑顔を見せるノーマン・ミネタ氏(手前左)=2018年11月、同市役所
 第2次大戦中に「敵性外国人」として両親と共に西部ワイオミング州の強制収容所に連行された。1975年からの約20年の民主党下院議員時代、強制収容された日系人に対する謝罪と補償を米政府に求め続け、88年の「市民の自由法(強制収容補償法)」の成立に尽力した。
 運輸長官だった2001年9月に米中枢同時テロが発生。イスラム教徒や中東系への反感を懸念し、運航を停止した民間機が飛行を再開する際、人種や民族に基づく保安検査をしないよう呼びかけた。
 06年、民間人に与えられる勲章で最も栄誉ある米大統領自由勲章を受章した。07年には日系人の地位向上と日米関係の発展に貢献したとして旭日大綬章を贈られた。

 ■父が清水町 母が三島市 たびたび来県
 父が清水町、母が三島市出身のノーマン・ミネタ氏は両親の故郷を思い、たびたび静岡県内を訪れて親族らとの親睦を深めていた。温厚な人柄で親しまれたミネタ氏の悲報に、地元では驚きと悲しみの声が上がった。
 母方親族の渡辺一弘さん(64)=同市大宮町=はミネタ氏について「三島や清水町には何度も訪れ、ふるさとのように懐かしんでいた」と振り返り、「ざっくばらんに話してくれた。親しみやすい人だった」と語る。ミネタ氏は昨年死去したいとこの峰田武さん(元三島信用金庫理事長)とも交流が深く、妻の正子さん(80)=清水町=は「穏やかな人柄だった。ニュースで亡くなったと知り、驚いた」と話した。
 最後に三島を訪れた2018年にミネタ氏と面会した豊岡武士市長は「元気な様子で、おっしゃることもはっきりしていた。風格のある立派な方だった」と印象を語る。会食に招かれた際には親しく会話を交わす機会もあり、「政治家としての大先輩。学ぶことは多かった」という。突然の悲報に驚き、「残念でならない」と故人をしのんだ。
 〈2022.5.5 あなたの静岡新聞〉

サンノゼ市長、米下院議員を経て商務長官、運輸長官歴任

次期米商務長官任命を受け、クリントン米大統領(当時、中央)とデーリー商務長官(左)が見守る中、記者会見するノーマン・ミネタ元米下院議員(2000年6月30日 静岡新聞朝刊から)
次期米商務長官任命を受け、クリントン米大統領(当時、中央)とデーリー商務長官(左)が見守る中、記者会見するノーマン・ミネタ元米下院議員(2000年6月30日 静岡新聞朝刊から)
 ※2000年7月23日 静岡新聞朝刊から
 二十一日(※2000年7月)に上院で承認され、米国商務長官に日系二世のノーマン・ミネタ元下院議員(68)が近く就任する。初のアジア系閣僚となるミネタ氏の父の出身地は駿東郡清水町。親類らは、「並々ならない努力のたまもの。手腕を大いに発揮してほしい」と期待する。
  ミネタ氏は三十九歳でシリコンバレーを有するカリフォルニア州のサンノゼ市長、四十三歳で下院議員に就任。一九九五年からはロッキード・マーティン社の副社長を務めていた。
  父の峰田国作さん(故人)は清水町久米田に生まれ、韮山中(現・韮山高)卒後の明治四十一年に渡米。保険業で身を立て、二男のミネタ氏ら五人の子供の教育に熱心だったという。
  父親が兄弟といういとこの峰田武三島信用金庫理事長は「第二次大戦中は強制収容の経験もあり、日系人の待遇改善などに力を尽くした。正義の実現に強い意志を持っている」とたたえる。いとこの峰田富夫静岡中央銀行常務は「峰田家一族として大変な名誉。心からお祝いしたい」と喜ぶ。
  峰田ファミリーは五年ほど前、ミネタ氏が下院議員を辞める際に渡米して労をねぎらったことがあり、今のところ就任祝いに駆け付ける予定はない。国作さんの生家を守る峰田清一さんは「下院議員時代は筋の通らないことを徹底的にただす熱血漢だったが、普段は気さくでまるで偉ぶるところがなかった」と人柄を語り、「そこを見込まれて起用されたのだろう」と顔をほころばせた。

 ※2000年6月30日 静岡新聞朝刊から
 ■クリントン氏「アメリカンドリームの体現者」
クリントン米大統領は二十九日、次期商務長官に任命した日系のノーマン・ミネタ元下院議員(68)について第二次大戦時に強制収容所で過ごした体験をバネに米国史上初のアジア系閣僚になる「アメリカンドリーム」の体現者だと強調した。
  大統領はミネタ氏がシリコンバレーのあるサンノゼの市長を務め、下院議員の活動でハイテク産業に精通した「デジタル・エコノミーの指導者」であるとも説明。アジア系米国人を情報技術(IT)に関する政策の中心に据えることで、大統領選をにらんだマイノリティー社会への政治的な配慮をにじませた。
  大統領と並んで会見したミネタ氏も「九十年前に両親が日本からアメリカンドリームを求めて米国に渡った。アジア系米国人で初めて閣僚に選ばれたことを誇りに思います」と語った。
  上院共和党のロット院内総務はミネタ氏の任命を歓迎する意向を表明しており、七月中には上院で正式承認される見通し。商務長官としての任期は半年足らずと短いが、ハイテク産業の振興策やITの利用格差の是正を担当する。
  ミネタ氏は下院議員当時、反ダンピング強化法案を提出するなど対日通商問題でも強硬派として知られる。日本政府関係者は「日系人といっても対日通商政策に影響があるわけではない」と受け止めている。

 ※表記、年齢、肩書などは当時のまま

貫いた人種差別反対姿勢 根底に強制収容の経験

ノーマン・ミネタ氏
ノーマン・ミネタ氏
 ※2012年3月22日 静岡新聞朝刊から
 元米閣僚で両親の故郷の清水町と三島市を訪れたノーマン・ミネタ氏(80)が、静岡新聞社の単独インタビューに応じた。ミネタ氏は運輸長官時に遭遇した2001年9月の米中枢同時テロで、第2次大戦中に日系人として強制収容された経験から、米国内に渦巻く反イスラム感情に毅然とした姿勢を貫いた。人種差別を繰り返してはならないと訴え、東日本大震災からの日本の復興にもエールを送った。

  ―両親の古里を訪問した感想は。
  「大きな喜び。アメリカ人であることと同時に、先祖に誇りを持っている。自分の成功があるのはすべて、両親と家族のおかげ。自宅には父が撮った富士山の写真がたくさん飾ってあり、私も軍にいた1955年に頂上まで登った」

  ―テロの時は航空行政のトップとしてどのような意志で臨んだのか。
  「人種や宗教的な理由で、旅客機への搭乗拒否などの差別を絶対にしてはならないと言った。それは自分が日系人というだけで強制収容された経験があるからだ。差別は未知から起こる。教育が大切だ」

  ―下院議員時代は「市民の自由法」(日系アメリカ人補償法)の成立に力を注いだ。
  「88年にレーガン大統領が法案に署名し、自由と権利を侵害したことを謝罪、損害賠償も実現した。法案提出から10年以上たっていた。多くの日系人の努力のたまもので、感無量だった」

  ―強制収容とはどんなことだったのか。
  「命令から1週間ほどの間にキャンプに移らなければならなかった。11歳の少年にとって飼っていた犬をあきらめるのはつらく、父は農場も仕事も全て失った。暖かいサンノゼから北のワイオミングへの移動で、とても寒く、凍えた」

  ―日米関係への期待は。
  「さらに強固に、アジアの近隣諸国に何が起ころうとも揺るがない絆を築くべき。日本は世界有数の経済大国。自信を取り戻してほしい。私にとってルーツであり、偉大な国だが、まだ完全に世界の中で使命を果たしていない」

  ―東日本大震災をどう受け止めたか。
  「世界中が日本を支援する重責を担っている。復興には、日本が正しい決断を積み重ねていくことが重要だ」

 ※表記、年齢、肩書などは当時のまま

ルーツ 三島市、清水町に「誇り」

写真を見ながら昔話に花を咲かせるミネタ商務長官夫妻=清水町久米田
写真を見ながら昔話に花を咲かせるミネタ商務長官夫妻=清水町久米田
 ※2001年1月14日 静岡新聞朝刊から
 来日中のノーマン・ミネタ米商務長官(次期運輸長官)が十三日、両親の古里である駿東郡清水町、三島市を訪れた。里帰りはカリフォルニア州サンノゼ市長に就任したばかりの昭和四十六年以来三十年ぶり。出迎えた親族と昔話に花を咲かせ、祖先が眠る墓前で手を合わせた。
  ミネタ長官はデニー夫人とともに新幹線で清水町入りし、父親の生家を守る峰田清一さん(75)宅へ。玄関前でいとこの峰田武三島信用金庫理事長らに「昔は屋敷内に大きな木があった」と話し、「建物がきれいになったね」とにっこり。室内では日本茶を飲みながら思い出を語り合った。
  日本語に英語を交え、清一さんら家族と再会したミネタ長官は、終始和やかな表情。峰田家の祖先や両親をまつる清水町の正眼寺と藤泉院、三島市の願成寺では、夫人とともに墓前に菊花を手向けた。
  ミネタ長官は、日本の捕鯨を巡り、貿易制裁を大統領に勧告するなど強硬姿勢で知られる。が、この日は「日本人としてのオリジナル、峰田家のルーツに誇りを持っている」と話し、夜、田方郡伊豆長岡町のホテルで開かれたパーティーに集まった一族数十人の前でも上機嫌だった。
 ※表記、年齢、肩書などは当時のまま
地域再生大賞