高齢者、障害者、外国人…災害弱者に救う手届かず 能登地震2週間 派遣医師「交通手段限られる」

 最大震度7を観測した能登半島地震は14日、発生から2週間。発生翌日の2日から被災地の医療支援に入った日本医大病院高度救命救急センター部長の横堀将司医師が14日までに共同通信の取材に応じ、高齢者や障害者といった「災害弱者」が暮らす施設や技能実習生ら外国人避難者への支援が遅れていたと指摘した。半島でアクセスが限られることも影響するため平時から「地形や地域の状況に合わせた災害対応のシミュレーションが大切だ」と話している。

能登半島地震で避難所となっている小木小学校で聞き取りをする日本医大病院の横堀将司医師(右から2人目)=3日、石川県能登町(同医師提供)
能登半島地震で避難所となっている小木小学校で聞き取りをする日本医大病院の横堀将司医師(右から2人目)=3日、石川県能登町(同医師提供)
能登半島地震による土砂崩れで通れなくなった道路=3日、石川県内(同医師提供)
能登半島地震による土砂崩れで通れなくなった道路=3日、石川県内(同医師提供)
能登半島地震で避難所となっている小木小学校で聞き取りをする日本医大病院の横堀将司医師(右から2人目)=3日、石川県能登町(同医師提供)
能登半島地震による土砂崩れで通れなくなった道路=3日、石川県内(同医師提供)

 横堀医師は全日本病院協会の災害医療支援チーム第1陣として、2~4日に石川県入りした。地割れや倒木で通れない道ばかりで、引き返したり回り道したりして被災地を目指した。
 150人が入所する穴水町の障害者支援施設では、3日時点で入所者のケアをする人が職員6人しかいなかった。褥瘡(じょくそう)(床擦れ)で搬送が必要な患者がいたが対応できる救急車がなかった。
 「配慮が必要な人が暮らす施設に支援が届いていなかった。災害関連死を防ぐためにも、医療機関だけでなく介護施設などへの支援も必要だ」と痛感したという。
 能登町の小木中学校にはベトナムやインドネシアの技能実習生約100人が避難していたが、英語や日本語で会話ができず言語の壁があった。インターネットが不通で翻訳機能も使えない。「ベトナム人の女性が頭痛を訴えていたが状況が分からず、不安を取り除けなかったのが心残りだ」。ITに頼らない手段が必要と実感した。
 能登半島の被災地は海に囲まれている上に平地が少なく、過去の災害に比べ支援が届きにくい状況が続いている。横堀医師は「交通手段が限られる半島の先端の人を災害発生直後にどうやって救えるか、今回の教訓から議論する必要がある」と話している。(共同)  静岡県、人員入れ替え支援継続
 能登半島地震の発生から14日で2週間となり、静岡県から派遣されている行政職員や医療・福祉分野の従事者らは人員を入れ替えながら石川県の支援を続けている。静岡県内全16消防で構成する緊急消防援助隊は同日、第5陣が珠洲市で活動を始めた。
 石川県の発表資料によると、同日午後2時現在、珠洲市内の安否不明者は5人。同救助隊は地域を絞って集中的に捜索活動にあたっている。後方支援本部を置く静岡市消防局によると、第1陣として現地入りし、第5陣として再び派遣された隊員もいるという。救助活動以外の支援ができないかも検討を進める。
 社会福祉士らで組織する災害派遣福祉チーム(DWAT)は同日、第3陣の3人が金沢市と七尾市で活動を始めた。
 被災建築物の応急危険度判定支援を行う県職員の第3陣4人も同日から16日までの日程で支援に当たる。

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