「一日でも早く潜りたい」 輪島伝統、海女の願い

 現存する日本最古の歌集「万葉集」にも詠まれ、伝統の一つとして継承されてきた石川県輪島市の海女漁は、能登半島地震で海底の隆起など漁場が甚大な被害を受けた。一部で再開された場所もあるが、発生から3カ月半が過ぎても漁ができていない多くの海女が「一日でも早く潜りたい」と願う。復興のめどが立たない状況を受け、全国各地で支援の輪が広がっている。

能登半島地震で海底の隆起など漁場が甚大な被害を受けた石川県輪島市の海を背に立つ海女漁の井上美栄さん(左)、岳登さん親子=3月
能登半島地震で海底の隆起など漁場が甚大な被害を受けた石川県輪島市の海を背に立つ海女漁の井上美栄さん(左)、岳登さん親子=3月

 輪島で生まれ育ち、中学卒業以来、海女漁を続けてきた井上美栄さん(50)は被災後、同県加賀市の2次避難所に家族と身を寄せている。一年中、海に潜っていた。岩モズクやアワビなど季節ごとに異なる新鮮な海の幸を採り、観光名所「輪島朝市」で販売した。翌朝、また海に潜る―。最後に潜ったのは昨年末だ。
 井上さんは車で沿岸に行き、その近くで漁をする。地震で道はひび割れ、海底は隆起。輪島市などによると、地震の影響でワカメがほぼ枯死した場所もある。輪島港の海底調査が続く中、隆起の影響を受けにくい小舟を使った素潜り漁が輪島崎町で今月中旬に始まった。ただ、地震前に約150人いた同市の海女のうち、井上さんら大半が漁再開のめどを立てられていない。
 「海女しかやってこなかったから、この年で再就職先が見つかるとも思えない」と苦悩は尽きない。井上さんの一人息子の岳登さん(20)は海士になったばかり。幼い頃から能登の美しい海で遊び、朝市に出た。19歳の夏、海士になって初めて名勝「白米千枚田」の近くに潜り、岩モズクを採った。「海はきれいだし、楽しかった」と目を細める。寒さが厳しい冬の海にも少しずつ潜るつもりだったが、次はいつになるのか…。祖母も母も潜ったこの海に戻れる日を心待ちにしている。
 こうした仲間の苦境を救おうと、全国の海女による支援の輪が広がる。年に1回開かれる「全国海女サミット」などを通じて、普段から交流のある各地の海女同士が交流サイト(SNS)で呼びかけ合い、輪島に支援物資を送ったり、各地で漁協関係者が寄付を募ったりしている。
 三重県志摩市の海女谷口美幸さん(46)らも市内の海女小屋体験施設に募金箱を設置。輪島の海女の写真や外国人観光客向けに英語の説明文も添え幅広い支援を訴えている。「諦めかけている高齢の海女さんもいると聞く。目の前に海があるのに、潜れないつらさを思うと同じ海女として胸が詰まる。なんとか力になりたい」

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