「卵巣凍結」 妊娠を望む女性がん患者への新たな選択肢になるか

 がん患者の女性から卵巣を取り出した後、急速に冷凍して保存し、治療が一段落したら再び移植する不妊治療で30~40代の3人が出産した。聖マリアンナ医大(川崎市)の鈴木直主任教授(産婦人科学)らが手法を開発し、臨床研究を進めてきた。国内ではこの手法で若くして月経がなくなった早発卵巣不全の女性が出産した例があるが、がん治療を受けた患者の出産はこれまで報告例がなかった。「卵巣凍結」は、妊娠を望む女性がん患者にとって、従来の受精卵や卵子の凍結に次ぐ新たな選択肢になるだろうか(共同通信=岩村賢人)。

凍結保存していた卵巣組織を移植する手術の様子(聖マリアンナ医大・鈴木直主任教授提供)
凍結保存していた卵巣組織を移植する手術の様子(聖マリアンナ医大・鈴木直主任教授提供)
卵巣の凍結から出産までの流れ
卵巣の凍結から出産までの流れ
越智静香さんと長男の健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町
越智静香さんと長男の健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町
凍結した卵巣を使って出産した越智静香さんと長男・健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町
凍結した卵巣を使って出産した越智静香さんと長男・健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町
凍結保存していた卵巣組織を移植する手術の様子(聖マリアンナ医大・鈴木直主任教授提供)
卵巣の凍結から出産までの流れ
越智静香さんと長男の健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町
凍結した卵巣を使って出産した越智静香さんと長男・健太くん=2022年9月、兵庫県播磨町

 13人が凍結した卵巣を移植
 がん患者は、抗がん剤や放射線治療によって卵巣の機能が失われ、不妊になるリスクがある。これを防ぐため、聖マリアンナ医大のチームは、患者の卵巣を腹腔鏡手術で摘出し、短冊状に切り分けて急速に冷凍して保存する技術を開発した。がんの治療が一段落した時点で、凍結していた卵巣を融解して体内の元々あった場所や近くの腹膜に移植する。卵巣には卵子のもとである原始卵胞が大量にある。
 この手法による卵巣凍結は、生殖機能を温存する手法の有効性や、実施した事例の情報を集める厚生労働省の研究促進事業として2010年から実施している。これまで13人が凍結した卵巣を移植。2020年から22年にかけて、乳がんや悪性リンパ腫で治療をしていた兵庫県などの女性3人が自然妊娠や体外受精で出産した。
 受精卵や卵子を凍結する手法の場合、がん治療開始までの期間と月経の周期がうまく重ならないと実施が難しかったり、がん治療を一時中断する必要があったりした。そのため、タイミングが制限されない卵巣の凍結が選択肢となった。
 「がん治療後に妊娠、出産できる可能性を残したかった」
 兵庫県播磨町の看護師越智静香さん(42)は、今回出産した3人のうちの1人。乳がんと診断されたのは、2012年9月だった。悪性度が高く、手術に加え、抗がん剤や放射線治療、がんの増殖を抑えるホルモン療法が必要となった。
 抗がん剤治療だけであれば将来月経が戻る可能性はあるが、数年単位で実施するホルモン療法も必要となると、その間に年を取ってしまい、抗がん剤治療によるダメージと重なって妊娠できる可能性が下がってしまう。主治医からは「子どもを産むのは難しくなるが、しっかり治療する必要がある」と伝えられた。
 1年ほど抗がん剤による治療に取り組んだ後、ホルモン療法を始めた。半年ほどたつと月経が再開し、この時点で生殖機能の温存を提案され、聖マリアンナ医大が開発した卵巣凍結を知った。受精卵を凍結する選択肢もあったが、ホルモン療法を数カ月止めなければいけなかったため、卵巣凍結を選んだ。
 卵巣凍結による出産例は海外では報告があったが、まだ研究段階の取り組みのため、実際どのくらいの確率で妊娠できるかは分からない。納得した上で、14年3月に片方の卵巣を保存した。越智さんは「前向きにがんの治療に取り組むため、治療後に妊娠、出産できる可能性を残したかった」と振り返る。
 以前はほとんど採れなかった卵子が採れるように
 ホルモン療法が5年間で一段落した越智さんは、凍結せずに残したもう片方の卵巣から卵子を取って不妊治療を始めた。しかし、なかなかうまくいかない。不妊治療に関わった神戸市の山下レディースクリニックの山下正紀院長は「最初に来院した頃はがんの治療から6年ほどたっていて卵巣の機能が相当低下していた」と振り返る。
 そこで凍結していた卵巣を戻すことにした。凍結した際、卵巣にがん細胞が入り込んでいたら体内に戻した時に一緒に入ってしまうリスクがあると説明を受けていた。不安だったが、海外ではがん細胞が入り込んだとの事例はないと聞き、2019年6月に移植した。
 移植後に改めて卵巣の機能に関わるホルモンや、残っている卵子の数を推定するホルモンの数値を測ると改善が見られたという。山下医師は「以前はほとんど採れなかった卵子が採れるようになり、かなりの確率で受精卵が得られた。凍結した卵巣の移植が妊娠に大きく寄与したという印象だ」と話す。
 その後の不妊治療で4個の受精卵ができた。1個目の移植で妊娠し、21年10月、長男の健太くん(1)が生まれた。記者が22年9月に取材で自宅を訪れた際は、テレビ台に上ったり、越智さんに絵本を読んでもらって楽しそうに笑ったりと元気な姿を見せてくれた。
 越智さんは「生まれてきてくれてありがとうと毎日言っている。私たち夫婦の妊娠、出産を応援し支えてくれた医療関係者の皆さんや家族、友人に感謝している」と喜びを語った。
 月経が始まっていない女性にも
 今回出産した3人は成人した女性だが、数年前から研究の対象はまだ月経が始まっていない子どもに移っている。研究が始まった2010年以降に月経周期に関係なくいつでも卵子を採取できる「ランダムスタート法」という技術が普及して、がんの治療前に卵子や受精卵を保存しやすくなったためだ。卵巣凍結の方がより多くの卵子を採れる可能性があるものの、鈴木教授によると、月経が始まっている女性に対しては技術が確立した受精卵や卵子の凍結を勧めている。
 小児が研究の主な対象となってきたことで、新たな課題が生じている。妊娠や出産が10年以上先になる子どもに卵巣を凍結する意義をどう伝えるかだ。聖マリアンナ医科大では1歳の赤ちゃんの卵巣を凍結したケースもある。両親の理解も欠かせない。
 鈴木教授らは、国立成育医療研究センターの医師らと協力して、全国の小児がん拠点病院で啓発に取り組んでいる。患者や両親への説明において、がん治療を担う主治医の役割は大きい。説明の際に使う動画も作成した。鈴木教授は「卵巣を保存するためにがんの治療が遅れてしまったら本末転倒。情報を早く伝えるには小児科の先生たちとの連携が重要で、ネットワークづくりを進めている」と話す。
 卵巣凍結は、日本産科婦人科学会が登録した施設で実施可能となっており、現在は全国で44施設が臨床研究に参加している。
 ただ、研究として実施する人数や期間は計画上は明確に決まっていないという。日本がん・生殖医療学会が運用する登録システムと連携して、参加した患者の経過を長い期間追いかけていく予定だ。凍結した卵巣を移植したか、移植して妊娠・出産したか、移植後に安全性に問題がある事態は起きなかったか、といったデータを集める。
 将来、他の不妊治療と同様に保険が適用されるかどうかは現時点ではまだ分からない。それでも鈴木教授は、3人が出産まで至った成果に手応えを感じている。「命をつなぐ成果を得られた意義は大きい。がんの恐怖と向き合いながら、何とか将来子どもを授かるんだという希望を持って卵巣を凍結する人たちにとって今回の成果は間違いなく朗報だと思う」。

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