土蔵の中は、 ただ立っているだけでも汗が吹き出してくるほどの蒸し暑さ。
「 暑いですね。サウナですね、これは。ととのっちゃいますね」。
Tシャツ姿のロックスターはタオルで汗をぬぐいながら、 どこかうれしそうだった。
後藤さんと建築家の光嶋さん 蔵の1階で
ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン)のボーカル・後藤正文さん(47)は、出身地の静岡県島田市に隣接する藤枝市で、 ミュージシャンを支援するNPO法人「 アップルビネガー音楽支援機構」を設立。 空き家だった蔵を滞在型音楽スタジオに改修し、 支援活動の拠点にすると2024年7月に発表した。後藤さんがこ れまでに集めたレコーディング機材も惜しみなく提供し、 誰でも自由に使えるよう整備するという。
明治時代に建てられた蔵 スタジオに改修予定
東海地方が“梅雨明け”した翌日の7月19日。後藤さんが、 建築家の光嶋裕介さんとその蔵を訪れると聞き、取材した。 光嶋さんは、 アジカンの全国ツアーでステージセットを担当した縁で、 蔵の改修設計を任されている。
築約130年の土壁の蔵は、床面積20畳ほどの2階建て。 明治時代から茶倉庫として使われた。天井の梁には「 明治三拾九年一月拾三日建築」などと刻まれている。
蔵の2階 この床の一部を剥がし、吹き抜けにする計画
「2階の床を取り外す。天井までの高さは5メートル弱になる。 教会の吹き抜けのようなイメージです」。 光嶋さんが梁を見上げながらスタジオの構想を口にすると、 後藤さんは「都内だとこの高さが出せないんですよ」 と満足そうにうなずいた。
「 作り手が納得できる音」
スタジオ完成イメージ
後藤さんがスタジオを作るために蔵を選んだ最大の理由は、 蔵特有の天井の高さにある。「(プロが好む生音の) 生ドラムの収録だけは、天井の低いスタジオではできない」。 ドラムの音は空気の振動から生まれる。 壁や天井から音が跳ね返ってくるような狭い空間では「 いい音が録れない」という。
いい音とは何か。記者の問いに後藤さんは「 作り手が納得できる音」と答えた。
後藤さんはメジャーデビューを果たすまで、 昼間はサラリーマンとして働き、 夜はスタジオでメンバーと楽曲を作りながら練習を重ねた。 都内の場合、プロ向けのスタジオ利用料は1日20万円以上。 もっぱら低価格の狭い街スタジオを利用した。2003年にメジャーレーベルと契約するとようやく、 プロ仕様の本格的なスタジオで活動できるようになった。 そこで初めて、 スタジオの空間によって音響に大きな差があると知った。
未来のアーティストへの思いを語る後藤さん
資金力がなくても、「音響の優れたスタジオで表現力を磨きたい」 という志を持つ全てのミュージシャンの願いを叶えたいー。 後藤さんが蔵をスタジオに一新し、 低価格で貸し出そうとする背景には、そんな思いがある。 メジャーで活躍する一部のミュージシャンだけでなく、 全てのミュージシャンの切磋琢磨が音楽業界全体を底上げすると信 じているからだ。
「一つ一つの音楽活動に価値があるし、 それぞれが尊いもの。 作り手が納得できる環境を用意するのがこのスタジオの役割です」