あなたにとって理想の公園は?④ しずしんニュースキュレーター/読者の意見【賛否万論】

 静岡市の城北公園にカフェなどを整備する計画が進められていましたが、中心施設となる予定だったスターバックスコーヒー(スタバ)が出店を辞退しました。背景には一部住民の慎重論がありました。公園に求めるものはそれぞれ違います。あなたが公園に望むものは何でしょう。みんなの公園をどのように活用していけばいいでしょうか。6月24日付、7月1日付の有識者インタビューを踏まえ、しずしんニュースキュレーターや読者から届いた声を紹介していきます。

 ■キュレーター 内川麻衣子さん(静岡市)NPO法人ピュアスポーツクラブ理事長、ダンス教室MJC指導者・振付家、静岡市スポーツ推進審議会委員、2008年全国JDAダンスコンクールソロ準優勝、11年IDO世界選手権大会(ポーランド)日本代表など
 小学生の子どもと小さい頃から公園でたくさん遊んできました。子どもたちは成長するにつれ、動きもダイナミックになり、遊び方もどんどん変わっていきました。そんな中、ある公園に昔ながらの大型滑り台がありました。ただ滑るだけでなく、遊び方をいろいろとアレンジできる遊具で子どもたちの大のお気に入りでした。コンクリートでできているその滑り台は確かに遊び方によっては、けがをする危険性もあります。しかし、ヒヤッとする体験は大けがから自分を守る大切な経験になります。そのスリル満点の遊具はある時撤去され、幼児向けの滑り台に変わりました。子どもたちはとても悲しみ、それからその公園に行きたいと言わなくなりました。
 遊具は安全性を考慮し、使用する年齢が制限される傾向が強いと思います。遊具に縛られず、対象年齢外の人でも自由な発想で楽しめる「空間づくり」が必要だと思います。
 私が子どもの時は公園で友達と「木登り」に夢中になっていました。木のどこに足をかけたら登りやすいか、どこまで行くと危ないかを自分の五感を頼りに登った記憶があります。高い所まで足を上げなければならなかったり、狭い所をくぐらなければならなかったり、自然と遊びを通して柔軟性や体幹が鍛えられたと思っています。現在、近くの公園にはなかなか自由に木登りできる木もなく、あったとしても人目が気になります。禁止事項が多く、大人が人目を気にして子どもたちが自由に遊ぶ機会を少なくしていると思います。危険やうるさいなどの苦情ではなく、「公園で子どもが運動する場を提供してあげよう」と社会全体が思いやりの心を持つことが大切だと思います。

 ■キュレーター 杉本真美さん(島田市)ココロとカラダと環境に優しいがテーマの自然派カフェ「つむぎCAFE」オーナー。「ひとりじゃないでね」島田市子育て支援ネットワーク副会長を務める、1男1女の母
 公園と言えば緑、ベンチ、遊具、子ども(家族)、広い空間、が思い浮かびます。その場所に置かれたものを大事にしながら、すべての人が自由に過ごせる場所。大げさな言い方かもしれませんが、公園は「平和の象徴」の一つにも思えます。ただ自由には責任がつきもので、本来なら自己責任になるはずですが、公園の場合、その責任が公園管理者に向かってしまうが故、「あれダメこれダメ」とルールが成り立ってしまうのでしょうか。責任を負いたがらない人が増えて、公園を利用する人が減ってしまうとしたら寂しい限りです。
 自転車やボール遊びが禁止となり、けがの危険があると言って撤去された遊具も数知れず。散々子どもたちの冒険(経験)の場を制限しておきながら、「イマドキの子どもたちは動画やゲームばかりで、外で遊ぼうとしない」などと、どの大人が言うのでしょうか?
 前回も書きましたが「そんな子どもに誰がした?」。ここでも、大人の事情の見え隠れを感じます。私が子どもの頃は、公園はまさにみんなの居場所。けがもしたし、させたし、友達とケンカもした。お兄さんお姉さんに遊んでもらい、危険なコトをしていれば地域の人に注意されました。砂場に潜んでいるペットのふんにもキャーキャー騒いでいた、楽しい空間でした。自分が過ごしたい過ごし方ができないような先客がいたら、別の公園に移動したり、遊ぶのを諦めたり。場所やタイミングも自分で見つけていたように思います。
 今と昔では環境が違いますが、大人も子どもの時代があり、子どもも大人になります。ほんの少しの想像力を働かせて、お互い優しい気持ちで見守る「多様性」が公園にも必要かなと感じます。理想の公園、それはたくさんの笑顔に出会える場所。そんな「平和の象徴」をいつも見ることができたら幸せですね。

 ■キュレーター 川島正光さん(浜松市天竜区)浜松市職員(主に都市計画と税務を担当)だったが、父の死去に伴い2006年、実家の川島米穀店4代目店主に。炊きやすくて食べやすい玄米「玄氣(げんき)」をインターネット中心に販売。玄氣は年間約4万件発送。53歳
 公園などの「行政財産」ににぎわいを創出するために民間の活力やアイデアを生かそう、持続可能な運営をしていこうという静岡市の城北公園の試みに期待していました。課題はあると思いますが、財源が限られることを考慮すれば、行政財産も「民間に任せられるものは民間で」と考えていたからです。
 わが家の近くには地元の方々が大切にする市所有の建物が二つあります。一つは旧二俣町庁舎(国の有形文化財に登録)を改築した「本田宗一郎ものづくり伝承館」。地域のNPOが管理し、さまざまな事業を実施しています。全国の本田宗一郎ファンの聖地的存在で、地元住民にとっては郷土の偉人を身近に感じられる啓発の場所として親しまれています。
 もう一つは、旧家の蔵「ヤマタケの蔵」。イベント広場を備え、地元の市民団体の皆さんが折々に交流イベントを開催しています。中心市街地のにぎわいづくりに貢献し、今では催事を楽しみに待っている住民もいます。
 地域のシンボル的な二つの行政財産を地域住民が主体となって有効活用していることはうれしくもあり、心強くも感じます。さらに、スタバのような集客力のある企業が協力してくれたら…。にぎわいが増すことはもちろん、魅力的な企画を実施できる可能性も高まります。協働者も増えるのではないでしょうか。
 行政財産(地域経営資源)を、私たち民間がどう活用していくか。城北公園のスタバ出店辞退は残念ですが、その試みは大いに参考や刺激になり、挑戦する際には教訓とすべき事例と感じました。

 ■読者 公園の愚痴さん(静岡市駿河区)30代
 公園の近くに25年以上住んでいます。公園のにぎわう声は、ある程度は当然のこととして生活してきました。
 しかし、新型コロナの流行で、その認識は180度変わりました。早朝から深夜まで、子どもの奇声やボールの音、若者の騒ぐ声に3年間悩まされています。特に食事中のボールの音で、動悸(どうき)や腹痛の症状が現れるようになりました。
 今年の元日は高校生とその親が人工皮革のボールで午前中から遊んでいました。正午にはさらに2組の親子連れがサッカーをしていました。耳栓をする、窓を閉める、音楽をかける、外出するなどの工夫はしていますが、限界があります。
 市役所に相談し、「静かにしてください」の看板を立てていただきましたが、効果はありませんでした。ボール遊びで今までに3度、窓ガラスを割られていることも重ねて伝えましたが、防護柵や防音壁の設置は予算がないため無理。時間帯やボールの素材の制限も、利用者から苦情が来るので難しいとのことです。
 今はコロナ禍で幅広い世代がさまざまな時間帯に公園を利用する時代です。はたして住宅街という、ただでさえ音が響きやすい環境にある小規模公園で、今以上の有効活用が本当に必要なのでしょうか。活用方法を問う前に、近隣住民の声をもっと聴くべきではないでしょうか。
 個人的には、東京都の取り組みのように、住宅街の小規模公園は乳幼児や高齢者を対象とした「憩いの公園」とし、思いっきりボール遊びをしたい利用者は、運動公園やグラウンドを利用するなどの住み分けが行われてほしいと思います。

 ※「しずしんニュースキュレーター」は、新聞記事や時事問題の“ご意見番”として、静岡新聞の記者が推薦した地域のインフルエンサーです。毎回それぞれの立場や背景を生かしたユニークな視点から多様な意見を寄せてもらいます。

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