「最後の尊厳だけは守りたい」火葬場12基中11基が損傷、増え続ける遺体…能登の被災地はぎりぎりだった 葬祭関係者たちの知られざる奮闘

 1月1日の能登半島地震から数日後、石川県薬事衛生課の出雲和彦担当課長は頭を抱えていた。

対応に追われる葬儀会社の職員=7日、石川県金沢市(画像の一部を加工しています)
対応に追われる葬儀会社の職員=7日、石川県金沢市(画像の一部を加工しています)
ドライアイスを遺体安置所に運ぶ葬儀関係者=6日、石川県輪島市
ドライアイスを遺体安置所に運ぶ葬儀関係者=6日、石川県輪島市
金沢市の会社で納棺の準備をする高浦理恵さん
金沢市の会社で納棺の準備をする高浦理恵さん
納棺用の化粧品など
納棺用の化粧品など
納棺で使われる道具
納棺で使われる道具
納棺用のドライヤーや粘着性のカーペットクリーナーなどの納棺七つ道具
納棺用のドライヤーや粘着性のカーペットクリーナーなどの納棺七つ道具
対応に追われる葬儀会社の職員=7日、石川県金沢市(画像の一部を加工しています)
ドライアイスを遺体安置所に運ぶ葬儀関係者=6日、石川県輪島市
金沢市の会社で納棺の準備をする高浦理恵さん
納棺用の化粧品など
納棺で使われる道具
納棺用のドライヤーや粘着性のカーペットクリーナーなどの納棺七つ道具

 「火葬場や葬祭会社は混乱状態。霊きゅう車も足りない」
 被災した珠洲市、輪島市、能登町、七尾市には火葬炉が計12基あったが、地震で損傷。1基しか稼働できない状態になっていた。日がたつにつれて遺体はどんどん増えていく。やむを得ず、金沢市や小松市など県内の他の自治体に運び、5日から順次火葬すると決めた。
 大災害では遺体の扱いが大きな問題になる。火葬が進まず、遺体を長く置いておくと腐敗が進む。大切な人を失った遺族が最後の別れをするには、避けなければならない事態。混乱する現場で、葬祭関係者はぎりぎりの奮闘を続けていた。(共同通信=江浜丈裕)
 ▽何もかも足りない
 地震の直後から、石川県葬祭業協同組合の塩谷真一郎理事長は、出雲担当課長ら県の担当者と非公式に連絡を取り合っていた。
 県の担当者はこう言っていた。
 「このまま犠牲者が増えたら、協定に基づく依頼を要請するかもしれません」
 石川県では、災害時の遺体搬送を組合や「全国霊柩自動車協会石川県支部」に協力要請するという協定書が2010年に結ばれていた。
 塩谷さんが振り返る。
 「協定を使う日が実際に来るとは想像していなかったが、結んでいてよかった。おかげで迅速に対応できた」
 2011年の東日本大震災で、石川県の葬祭業者が応援に駆けつけた経験も生きた。各業者が棺おけやドライアイスなどを十分に確保することが習慣化していたという。
 ただ、問題は道路事情だった。奥能登の道路は地震で寸断されている。遺体の搬送や、各地から応援に入る葬祭関係者の移動は困難を極めた。金沢からの応援スタッフは早朝に金沢を出発し、被災地の遺体安置所で日没まで作業をし、深夜に金沢に戻ることを繰り返した。渋滞に巻き込まれ、金沢着が翌日の午前1時を回ったこともあったという。
 「人も霊きゅう車も足りない。火葬場は使えない。道路事情は最悪。その間に犠牲者がどんどん増えている。ご遺体の取り扱いは時間との勝負なのに…」
 ▽「とにかく腐敗を防ぐ」
 1週間が経過したころ、塩谷理事長は危機感を漂わせていた。時間の経過とともに遺体は傷んでいく。「最後の尊厳を守れなくなる」
 喫緊の課題は遺体の腐敗を防ぐこと。葬祭組合は、遺体を一定期間保存可能にする防腐処置「エンバーミング」を、遺族の了解を得た上で無料で実施すると決めた。
 また、スタッフや納棺師を確保すべく石川県外にも応援要請。足りなかった霊きゅう車は、全国霊柩自動車協会県支部に協力を要請した。金沢市などの火葬場は稼働時間を延長。それでも、災害の犠牲者以外の火葬もある。金沢市に設けた臨時の遺体安置所では16日ごろ、火葬待ちの遺体が24体に上った。
 被災した遺族は多く、避難所などに身を寄せている人や、連絡が取れない人も多い。
 ▽「寝ているように安らかな顔だね」
 金沢市の納棺師、高浦理恵さん(50)が最初に派遣されたのは輪島市の遺体安置所だった。地震から4日目の4日午後、安置所に入ると、遺体が入った白い納棺袋に番号が振られ、ずらっと並んでいた。1列に9人ほど。それが4列もある。
 遺体の様子は、普段見る病気で亡くなった人と全く違う。土砂で汚れ、傷のある遺体も少なくなかった。一人一人の体を拭き、ドライシャンプーをした後、髪をクシで整える。男性はひげをそった。遺族が少しでも平常心で最後のお別れができるよう、生前の顔色に近くなるように化粧を施す。
 等間隔に並べられた遺体の中で、寄り添うような2人の遺体があった。親子の遺体だ。安置所を担当する警察官が「最後は一緒に」と隣り合うようにしたのだろう。その思いを感じながらこの2人に化粧を施すと、直後に遺族が入ってきた。
 泣きながら「かわいくしてもらったね。よかったね」と言っていた。
 近くでは、高齢の男性の遺体を囲んだ人々からすすり泣きが聞こえてくる。「助けてあげられなくてごめん。もう少しここで我慢してね。もうすぐ○○も来るよ」
 別の遺族がこの男性を指してこう漏らした。
 「寝ているような安らかな顔だね」
 聞いていた高浦さんはほっとした。「少しは力になれたのかな」
 ▽「せめて最後の別れはきちんとさせてあげたかった」
 作業が終わると、ほかの遺体安置所へ。一つの遺体を作業していると、新たに複数の遺体が運ばれてくる日もあった。
 高浦さんは今、通常の納棺の仕事に戻り、高齢や病気で亡くなった人の遺体を扱う。
 「命を全うし、家族に見守られながら亡くなった人たちに比べ、災害で亡くなった人たちは家族と最後のお別れもできないまま、突然命を奪われた」。だから「せめて、最後の別れをきちんとさせてあげたかった」
 「もっとできたのではないか」との後悔もあるという。納棺師の数が足りなかったため、一人一人に十分な時間を確保できないことも。
 「通常は1時間かけるのに、長くても1人30分ほどしか時間をかけられない。時間の許す限り精いっぱいやったつもりだが、もっと丁寧にしたかった。もう、災害で納棺する機会はこないでほしい」

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