識者コラム「現論」 避難訓練に一工夫を 参加のハードル下げよう 矢守克也

 多くの人が初歩的だと考えているレベルの取り組みに、落とし穴が潜んでいることがよくある。防災の分野で言えば避難訓練がそうである。基本的な対策として位置付けられることが多い避難訓練であるが、「マンネリ化している」「参加率が低い」「毎度同じメンバーばかり」など課題も山積している。

矢守克也さん
矢守克也さん

 いつも同じ顔触れというのは、裏を返せば、いつも同じ人たちが参加していないということである。誰が訓練に参加していないのか。皮肉なことに、それは、本来最も訓練を必要としている人たちである。
 つまり、災害時の避難が容易でないために逃げ遅れがちで、実際に犠牲になる可能性が高い人々、具体的には、高齢者、障害者など、一般に「避難行動要支援者」と呼ばれる人たちである。
 どうしてこんなことになるのか。理由は簡単で、こうした人たちにとって、今の避難訓練の多くはハードル(難易度)が高すぎるのだ。
 例えば、転倒しないことを日々の目標として、手すりを整えた自宅で日常生活を送り、めったに外出しない足腰の弱った高齢者が、自宅を出て数百メートル歩き、さらに数十段の階段を使って避難タワーを上る訓練に参加できるだろうか。
 ▽玄関まで
 避難訓練への参加が困難な避難行動要支援者は、そうである前に、避難訓練要支援者である。このことに気づきさえすれば、講じるべき対策は、ある意味で単純である。訓練のハードルを下げて、要支援者が参加しやすくすればよい。
 あるいは、訓練の手続きは従前通りだとしても、周囲の支援を手厚くするという手法もある。
 こうした考えに立って、私は既に幾つかの試みを実践に移している。例えば「玄関まで訓練」と呼んでいるやり方がある。
 これは、津波のリスクを抱える地域に暮らす要支援者、とりわけ、通常の避難訓練への参加をこれまであきらめていた要支援者が対象の訓練である。この訓練では、いきなり高台や避難タワーに来てもらうことを課すのではなく、「せめて(居間や寝室から)玄関先まで出てきてください」と求める。
 津波による浸水が想定される地域だから、玄関先まで出るだけでは命を守りきることは難しい。それは確かである。それでも、この試みには実施する価値が幾つもある。
 まず「最初の一歩」を踏み出してもらい、参加者が地域の防災活動の舞台上に初めて現れる。「やれそうだ」との手応えを得て、次の訓練では最寄りの交差点まで逃げてみるなど、先へ進むきっかけとなることも多い。
 実際の災害時に、要支援者が玄関先まで出てくることが、時間の短縮など支援する側にも多大なメリットをもたらすのは、東日本大震災でも立証済みでもある。
 ▽都合いい日に
 こんな別の事例もある。集会所に全員が避難する従来の訓練方式を、コロナ禍の「3密(密閉、密集、密接)になるし…」との懸念を考慮して、高台の商業施設などへ自家用車で向かう形に変更した地域がある。
 その際、日曜日に一斉に訓練するのではなく、2週間程度の幅を持たせて「都合のよい時に世帯ごとにどうぞ」という形式に改めた。その上で「気づいたことがあれば自主防災会までお知らせください」と依頼した。
 すると、子育て世代を中心に、例年より参加者が増えた。それだけではなく、「途中で低い箇所を通る」「商業施設のトイレは夜も使えるのか」など、予想より多くの声が寄せられ、自主防災会を驚かせた。
 それまで訓練に参加しなかった住民は、必ずしも防災意識が低かったわけではない。ただ「付き合いのない近所の人たちと一緒の訓練は気が進まない」「土日くらい、家族で過ごしたい」などと感じていたのだ。
 都合のよい時を選んで、世帯ごとに取り組むという訓練スタイルは、そうした人びとにとってハードルを下げた訓練になったわけである。
 「マンネリ化している」という反省自体がマンネリ化している感もある避難訓練。この際、少し立ち止まって、「ちょっと一工夫」を考えてみてはどうだろうか。(京都大防災研究所教授)
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 やもり・かつや 1963年、大阪府出身。大阪大大学院博士課程単位取得退学。奈良大助教授などを経て2009年から現職。「防災心理学入門」「〈生活防災〉のすすめ」など著書多数。日本災害復興学会会長、地区防災計画学会会長。

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