【フォーカス仙フィル】震災、コロナ乗り越え50年 東北で半世紀、「楽都」の顔も集客に課題

 主要地方オーケストラの一つ、仙台フィルハーモニー管弦楽団が創立から50年たった。2011年の東日本大震災では団員自身被災しながらも避難所を巡り演奏活動を絶やさなかった。収入の柱の演奏会が激減したコロナ禍の持久戦も乗り越えた。ただ演奏会の入場者数は芳しくない。半世紀の歩みを土台に飛躍できるか。正念場が続く。(共同通信編集委員 宮野健男)

創立50年の仙台フィルハーモニー管弦楽団
創立50年の仙台フィルハーモニー管弦楽団
インタビューに答える仙台フィルハーモニー管弦楽団の創設者、片岡良和さん
インタビューに答える仙台フィルハーモニー管弦楽団の創設者、片岡良和さん
仙台フィルの常任指揮者、高関健さん
仙台フィルの常任指揮者、高関健さん
創立50年の仙台フィルハーモニー管弦楽団
インタビューに答える仙台フィルハーモニー管弦楽団の創設者、片岡良和さん
仙台フィルの常任指揮者、高関健さん


 作曲家の片岡良和さん(90)が1973年、前身の宮城フィルハーモニー管弦楽団を設立した。片岡さんは仙台・榴岡の古刹(こさつ)の住職でもある。

 東北では山形交響楽団が先行。仙台にはオーケストラがなく、片岡さんが仲間を集めて立ち上げた。当初はアマチュアも参加する市民オケだったが、徐々にプロが増え1978年にプロ化。89年、仙台市が政令指定都市になったのを機に名称変更した。

 片岡さんの依頼で芥川也寸志氏が音楽総監督に就くと一気に成長。後を受けた外山雄三氏は徹底した基礎練習で技術を底上げした。

 長く常任指揮者を務め、現在桂冠指揮者のフランスのパスカル・ヴェロ氏とドビュッシーやラベルなどフランス音楽に熱心に取り組みレパートリーが広がったのは楽団の財産だ。

 現在団員は60人強。日本オーケストラ連盟の正会員25団体の中では、自治体や国による公的支援が比較的多く、収入の過半を演奏会で稼ぐオケに比べて恵まれている。

 目下の課題は演奏会の入場者数の低迷だ。人口の少ない地方都市ではクラシック音楽ファンの数も限られ入場者を増やすのは容易でない。

 連盟のまとめでは、仙台フィルは2021年度は75公演で総入場者数約3万3千人。連盟正会員25団体で最も少なかった。単純計算で1公演当たり440人。東北最大都市の楽団としてはいささか寂しい。

 仙台市には収容人数2千人規模の音楽ホールの建設計画がある。現拠点の2・5倍。このままでは空席が目立つ演奏会が増えかねない。今年、高関健氏を常任指揮者に迎えた。日本人指揮者で最も脂の乗った一人だ。

 事業部長として楽団の運営を取り仕切る我妻雅崇常務理事は「力はついたがブランド力が足りない。知ってもらう努力をもっともっとしなければいけない」と、地域への浸透に本腰を入れる考えだ。

 ▽音楽家と僧侶二足のわらじ ファン増やす努力を

 仙台フィルハーモニー管弦楽団の創設者、片岡良和さん(90)は、芥川也寸志氏ら戦後日本の音楽界を代表する実力者たちと親交のあった作曲家。寺の住職もしながら楽団の土台を築いた。

 ―僧侶と音楽家とは珍しい二足のわらじですね。

 「私の実家は古い寺なんです。2人の兄が継がずに出てしまったので私が継がなければなりませんでした。子ども時分は画家になりたくて絵を真剣にやっていました。音楽は、家のオルガンを自己流で弾いているうちに上達して、面白くなりました」

 「大学は僧侶になるため京都の大谷大に行きました。でも音楽も勉強したかった。それで卒業後、国立音楽大に入り直したんです。父親も琴の名取になるような趣味人で理解がありました」

 「音大では作曲科でした。伴奏音楽の作曲の仕事が山のようにあって、録音のために放送局に頻繁に出入りするようになりました。芥川さんをはじめ一流の先生方によくしてもらいました」

 ―楽団創設の経緯は。

 「音大を出た後もしばらく東京にいましたが、父の体調が悪くなり仙台に帰りました。そこから寺と音楽の生活です」

 「当時、仙台には放送局の付属の楽団がありましたが、軍楽隊出身の人が多く音楽的に満足のいくものではありませんでした。それなら自分でつくろうと思い、知り合いに声をかけて始めたんです。隣県の山形交響楽団に先を越されたことも刺激になりました」

 「初期はオーケストラと言っても小さな楽団でした。学校の訪問演奏とか、呼んでもらえばどこでも行きました。行く先々で地域の人たちが世話を焼いてくれて、手作りの演奏会は楽しかった。何よりよかったのがお客さんとの距離の近さ。手弁当のような活動でしたが、喜びでいっぱいでした」

 ―徐々に規模が大きくなったのですね。

 「初期はプロとアマチュア混成の市民オケでした。途中からプロが増えてプロの楽団になりました。当然、技術は上がりました。拠点の仙台が大都市になりましたから、プロ化は自然な流れだったと思います」

 ―楽団に望むことは。

 「お客さんあってのオーケストラです。地元に愛され、応援してもらえる存在であってほしい。規模が大きくなっても市民とちゃんとつながっているか。立派なホールを造れば良い音楽ができるわけではありません。楽団員一人一人が地域に溶け込み、市民と交流し、ファンを増やす努力を自分事として続けてほしいと思います」
  ×  ×  ×
 かたおか・よしかず 1933年仙台市生まれ。作曲家、見瑞寺住職。大谷大、国立音楽大卒。1973年仙台フィルの前身の市民楽団、宮城フィルハーモニー管弦楽団を創設。自ら指揮した。

 ▽知られざるオケ大国 バブル期増加、背景様々

 日本がオーケストラ大国であることは、あまり知られていない。

 プロの楽団が加盟する日本オーケストラ連盟の正会員が25団体。準会員が15団体の計40団体。連盟に加盟していない団体も複数あり、連盟によるとフランスや英国より多いという。バブル経済に向かう中で数が増えた。

 バックグラウンドはさまざまで、NHK交響楽団や読売日本交響楽団のように安定した母体を持つ楽団や、東京都交響楽団、京都市交響楽団のように自治体の支援が手厚い楽団は、おおむね経営が安定している。

 一方、後ろ盾のない「自主運営」の楽団は財務基盤が脆弱(ぜいじゃく)なところが多く、演奏収入の変動が経営を大きく左右する。国内最古の楽団として知られる東京フィルハーモニー交響楽団の場合、演奏収入が85%を占める。

 東京は人口が多く、比較的安定した集客が見込めるが、地方都市の楽団は演奏会で利益を確保するのは容易でない。新型コロナウイルスの感染拡大期は演奏会が開けず、多くの楽団が雇用調整助成金を受けて楽団員の雇用をつないだ。

 日本の演奏家は幼少期から本格的なレッスンを受けて技術を磨く。このためオーケストラの技術水準は高いが、海外での知名度は総じて低い。

 連盟の桑原浩専務理事は「日本のオケは積極性、挑戦意欲が課題。経済的環境の問題はあるが、各オケが特徴を持ち、自ら発信する取り組みが足りない。どこも代わり映えしないのでは地盤沈下していく」と警鐘を鳴らしている。

 ▽仙台フィル常任指揮者の高関健さんの話

 亡くなった飯守泰次郎先生の後を引き継ぐ形になった。飯守先生の期間も一緒にやっていたので、オーケストラとはお互いよく知っている間柄だ。

 仙台フィルも経験を積み、自分たちでも研究を重ね、技術的にも音楽的にも確実に良くなってきている。

 創立50年の節目を越え、発展のスピードを上げていく段階に入った。これから団員の世代交代が進む。若手には優秀な人材が多い。私自身もオーディションに立ち会ってしっかり聞き、良い人を採っていく。

 新ホールの建設計画が進んでいる。器が大きくなるので大規模編成が必要な大曲にも取り組みやすくなる。

 良い演奏を積み重ねていけば聞いてくれる人は必ず増える。私自身は引き続き一つ一つの仕事に誠意を持って取り組んでいくのみだ。

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