「生きがいが仕事 挑戦することは人生だ」心に残る『オサムイズム』スズキ鈴木修相談役死去 地元や政財界から悲しみの声

訃報です。浜松市に本社を置く自動車メーカー「スズキ」で社長や会長を務めた鈴木修相談役が亡くなったことが分かりました。94歳でした。政財界のトップからも悲しみの声が上がっています。

スズキによりますと、鈴木相談役は12月25日午後3時53分に亡くなったということです。死因は悪性リンパ腫でした。

<街の人>
「え、本当?」
「いろいろ浜松のことを盛り立ててくれた」

<街の人>
「昔スズキの車に乗っていた。おもしろい車を作ってくれてありがとう。長い間お疲れ様と」

鈴木修相談役は岐阜県下呂市生まれ。中央大学を卒業し、現在の愛知銀行に入行した後、スズキの2代目社長の娘婿となり、1958年に鈴木自動車工業=現在のスズキに入社しました。

<鈴木修社長(当時)>
「皆さん方が学校を終えられると同時に職に就かれるということ、これは一つの大きな私は幸せであろうと思っています」

常務や専務など取締役を歴任し、1978年に社長に就任。誰でも気軽に乗れる小さな自動車づくりにこだわり続け、「アルト」や「ワゴンR」といった軽自動車のヒット商品の開発を主導しました。

また、海外展開を積極的に行いインドでは販売シェアが1位となるなど世界的な自動車メーカーに発展させる礎を築きました。

2015年に社長職を長男の俊宏氏に譲った後は会長に就任。自らを「中小企業のおやじ」と称し、40年以上にわたり経営のトップを担ってきた鈴木相談役は「修節」といわれるユニークかつするどい発言でも注目されました。

2019年、浜松市が行政区再編問題で揺れている際にはー

<鈴木修会長(当時)>
「公約を最優先にやってもらうのが一番重要。貼る膏薬ではありませんから」

時の政権に対してもするどく一刀両断。

<鈴木修会長(当時)>
(菅内閣不信任決議案否決に)
「メドっていつなんだと。居座るつもりかね」
「経営者の場合は赤字になったら退くからね」

鈴木康友知事や川勝平太前知事を長らく支援し、選挙の度に鈴木相談役の支援先が注目されるなど、企業経営だけにとどまらず、社会に大きな影響を与え続けてきました。

鈴木知事は、12月27日午後に鈴木俊宏社長から電話で報告を受けたということです。

<鈴木康友静岡県知事>
「大変お世話になった親父みたいな存在でありましたので、本当に今、ものすごい喪失感でいっぱいであります。最後の最後まで現役を貫いた方でしたので、本当にゆっくりお休みいただきたいなと」

<浜松いわた信用金庫 御室健一郎会長>
「オサムイズムといいますか、それをしっかり胸に刻みながらご恩返しを地域のためにしていく。まさに"巨人"と私は思っております」

2021年に相談役に就き、経営の第一線から退く際には「仕事が生きがいだった」と話していました。

トヨタ自動車の豊田章男取締役会長もコメントを発表しました。

豊田会長は「心よりお悔やみ申し上げます。鈴木修相談役は、ご自身のことを『中小企業のおやじ』と言われていましたが、私から見れば日本の軽自動車を発展させ、国民車まで育て上げられた『憧れのおやじさん』でした」

「軽自動車という日本独自のクルマ文化を必死に守ってこられた経営者として覚悟。厳しい競争を生き抜いてきた、そして、これからも絶対に生き抜いていくという気迫を肌で感じました」

「いつの日か修さんに『ありがとう』と言ってもらえるよう、日本のため、未来のために必死に仕事をしてまいります。私のあこがれの経営者であり、憧れのおやじさん。ありがとうございました」と、鈴木修相談役への感謝の思いを綴っています。

<鈴木修会長(当時)>
「生きがいが仕事。人間、仕事を放棄したら死んでしまう。挑戦することは人生だ。みなさんも仕事を続けてください。バイバイバイバイ」

スズキによりますと、故人の遺志により葬儀は近親者のみで執り行ったということです。後日「お別れの会」が開かれる予定です。

「あしたを“ちょっと”幸せに ヒントはきょうのニュースから」をコンセプトに、静岡県内でその日起きた出来事を詳しく、わかりやすく、そして、丁寧にお伝えするニュース番組です。月〜金18:15OA

人気記事ランキング

ライターから記事を探す

エリアの記事を探す

stat_1