サッカー元日本代表、長谷部誠さんの故郷藤枝でのトークショーをすべてお届け!少年時代のこと、日本代表のこと、未来のこと
現役を引退したばかりのサッカー元日本代表、長谷部誠さん(40)のトークイベント(藤枝市主催)が7月12日、故郷の藤枝市民会館で開かれました。
藤枝東高時代の1学年下の後輩で、元ジュビロ磐田の成岡翔さんが進行役を務め、藤枝で過ごした高校時代までのこと、日本代表のこと、ドイツで指導者人生を歩むこれからのことについて話しました。
長谷部さんと成岡さんのやり取りをすべてお届けします!
「今朝も蓮華寺池を走ってきた」
(成岡)長い現役生活お疲れ様でした。「高校時代の長谷部を引き出してくれ」ということなので、当時の呼び方でもいいですか?(長谷部)全然大丈夫(笑)
(成岡)それではマコさんと呼ばせていただきます。引退されて数ヶ月経ちましたが、どうですか?生活のリズムとかだいぶ違うと思いますが、慣れました?
(長谷部)最終戦が5月18日だったので、2ヶ月ぐらい経ってるんだけど、週5回か6回は10キロ走ってるね。
(成岡)えー!まだ動いてるんですか?
(長谷部)やっぱり、走らないと体がなんかもう駄目で、毎日のように10キロぐらい走ってる。今日も早朝に、蓮華寺池を6周7周ぐらいしてきた。
(成岡)マジで?(笑)それを見た方はいないですかね。びっくりするんじゃないですか。
(長谷部)蓮華寺池はやっぱりいいね。高校時代に走らされた時の気分と全然違う(笑)あの時はもう嫌々走らされてたけど、今は自分で好きで走ってるから。1周1.5キロぐらいなのかな。すごいいいなあと思いながら走ってましたね。
「勉強をやったらサッカーに行けるシステムだった」
(成岡)今回質問がいくつかあります。藤枝の小中高時代の質問が多いので、皆さんも楽しんでいただけると思います。台本がすごいカチッと書いてあるので、僕も真面目なんでその通りにいきますね。(成岡)幼い時、お父さんとお母さんからどういったことを言われて育ちましたか?
(長谷部)母親は、サッカーももちろんやってもいいけど、勉強もしっかりやりなさいという感じだったので、基本的に決められた勉強をやってから、サッカーに行けるっていうシステムでした。
だから家でしっかりと勉強をやってから友達と公園にサッカーをやりに行ったり、練習に行ったり。父親に関しては「言ってることと、やってることがなんかちょっと合わないなあ」みたいな感じだったんですけど(笑)中学までは非常に厳しく育てられました。でも高校生ぐらいの時からすごい褒めるようになって。高校ぐらいからは急に「褒めて伸ばす」みたいな。何か多分あったんでしょうね(笑)
(成岡)何があったんですかね(笑)
(長谷部)今振り返れば、面白い育て方だなあと。いくら学校の教育があったとしても、やっぱり社会の中での最小単位は家庭なんでね。僕がこの長谷部家の中で育ち、その両親に育てられて、自分の人間形成があるので。今キャリアを終えて、そこに関しては非常に感謝してますね。
(成岡)僕も子ども2人いるので、すごく勉強になりました。
「藤枝で学んだ厳しさが踏ん張る力になった」
(成岡)小中高年代でサッカーがうまくなるために一番意識してたことや大事にしてたことはなんですか?(長谷部)小中高校でそれぞれ考えていたことは違っていました。小学校時代はとても監督が厳しくて、いわゆる昔の厳しい練習もやっていました。逆に中学になって、先ほど花束をいただいた滝本(義三郎)先生はとにかく褒めて伸ばす。自由に、楽しくサッカーをやるっていうことを教えていただきました。
そして高校になったら、ちょうど小学校と中学校のミックス。服部(康雄)先生は厳しさもあり、逆にサッカーは楽しむものだみたいな部分もあり。だから指導者に非常に恵まれたなっていう思いがやっぱりあります。
小中高校も、もちろんサッカーの楽しさっていうものもすごく大事だと思うし、それにプラスして厳しさも。自分のキャリアを振り返ると、その時に植え付けられた厳しさはこのプロ生活の中で苦しい時、厳しい時に、何度も踏ん張る力になったので。
今は通用しない時代になってきてるかもしれないですけど、そういう厳しさが自分のこのキャリアを形成したっていうのは正直あります。
(成岡)今日ちょうど、フランクフルトのU-21のコーチ就任という報道が出ましたよね。ドイツで指導者としてやっていく上で、やはりそういったことを意識してやっていくということですか?
(長谷部)僕がこれから見る20歳前後の選手たちと触れ合うと、やっぱりちょっと自分たちの考えてることとは違う部分が大きい。どちらかというと指導者側がちょっとアジャストしていかなければいけないと感じています。
もちろん厳しさも必要だと思うんだけど、指導者についてはまだ未知の部分も多いので、これからやっていきたいなと思っています。
県高校総体決勝の静岡学園戦
(成岡)小中高時代の思い出に残っている試合やプレーはありますか。(長谷部)青島東小学校の時は、一番思い出すのは学校のグラウンドで、0−2ぐらいでどこかのチームに負けて、僕がチームメートに「しっかりやれよ!」と怒っている時に、当時の監督に思いっきりビンタされたこと。それを一番覚えてる(笑)。今でもこの頬にまだ残ってるぐらいな感じ。
(成岡)やっぱりそういう時代でしたもんね。
(長谷部)中学時代は、3年生の中体連の最後の試合で、自分がPKを外して負けたこと。いい話がないですね(笑)
(成岡)高校時代はどうですか?
(長谷部)やっぱり県高校総体の決勝で静岡学園に…。あっ、成岡さん、その時に点を取ってくれましたねえ!
(成岡)ありがとうございます(笑)マコさんのフリーキックからヘディングで決めたんですよね。
(長谷部)あれで追いついて最後はPK戦で勝って。当時、藤枝東は全国大会に出場すると、ちょっといい大学に行けるみたいな。推薦をもらえるみたいな。それがあったから、
みんな「やったあ、これでいい大学行けるぞ」みたいな感じだったんだよ(笑)
(成岡)僕は当時2年生だったのでそういう考えはなかったんですけど、3年生はそう考えてやってたんですね。
(長谷部)当時、3年生は3人ぐらいしか出てなかったからね。
(成岡)そうですね。僕らの代が多かったですね。
(長谷部)あの試合は単純にやっぱり嬉しかったね。
(成岡)そうですね。僕も3年間で全国大会に行ったのはあの1回だけです。だからすごく印象に残ってて、全国大会でも一応決勝まで行って。決勝で市立船橋に負けてしまったんですけど、すごく僕も思い出に残ってたので、その話が出てきて嬉しかったです。
(長谷部)成岡さんのおかげで、いい大学に行けた選手が何人かいるので(笑)
(成岡)そう言ってもらえるとありがたいっす。
青山学院大学への進学を志望していた
(成岡)マコさんは当時、青山学院大学を希望していたんですよね。なぜ大学進学をやめてプロに行こうと思ったんですか。(長谷部)元々は、大学に進学するっていうのが、みんな既定路線みたいな感じがあるじゃないですか。それで、大学も「渋谷のキャンパスいいなあ」みたいな(笑)渋谷に憧れて、青学に行きたいみたいな、そんな単純な理由だったんですけど(笑)
(成岡)その話、本当だったんですね。
(長谷部)本当にそんな感じだった。でも、総体で全国準優勝したり、その後国体に出て優勝したりして、それまで全国ってすごく遠い存在だったけど、全国のレベルをすごく身近に感じて、「Jリーグ行っても通用するんじゃないかな」というのがあって。秋ぐらいになって「Jリーグでチャレンジしたいな」っていう気持ちが出てきて。
それまで藤枝東高はプロに行く選手はあんまりいなかったので、その当時はちょっと賭けといえば賭けみたいな感じはありましたけどね。
(成岡)僕が当時のことで覚えてるのは、僕らが3年生になって、夏あたりにマコさんがオフで藤枝に帰って来て高校の練習に参加してくれた時のこと。一つ上の先輩でずっと怖かったんですが、プロに入って戻ってきた時はすごい優しくて、「プロになったら変わるんだなあ」ってめちゃめちゃ思いましたね(笑)
(長谷部)浦和レッズのスカウトの人は当時、「翔(成岡さん)を見に来てた」って話だよね。その時に僕のことが目にとまったらしい。だから成岡さんのおかげです。ありがとうございます!
主将として「チームのためにできることは全部やろう」
(成岡)大学に行かずにプロに入って、本当にあれよあれよと日本代表に入って、「すごいなあ」と。途中から本当に背中を追いかけるような立場でした。僕ら高校時代のマコさんを知ってる人間からすると、日本代表に入ったのはもちろん嬉しかったですが、ただ、キャプテンになった時はちょっとびっくりしたというか。やはり学生時代を考えるとキャプテンなんてやるタイプじゃなかったので。実際長くキャプテンをやられてどうでしたか。僕らじゃ想像できない。気をつけていたことはありますか?
(長谷部)翔が言った通り、僕はキャプテンタイプではなかった…。自分は日本代表で8年間ぐらいキャプテンをやりましたが、最初は右も左も分からなかった。自分も日本代表の中では若手の方だったので、先輩たちに引っ張っていってもらう形になっていた。でも、途中からは少しずつ自分なりにチームがうまくいくためにどうしたらいいかなっていうことを考え出した。
キャプテンをやる上で、一番考えていたことは、とにかくチームファースト。チームが良くなるために、できることがあるんだったら全部やろうと。だから、例えば自分が試合に出なくても全然問題ないし、チームが勝つために、チームがうまくいくために、「この選手には厳しいこと言わなきゃいけない」とか。
そこの芯みたいなものがあれば、基本的に何をやっても自分は間違いじゃないと思っていた。だからそういう意味では、そんなに難しいことではなかったかなと思いますよ。
(成岡)すごいっすよね。僕が高校3年生で藤枝東のキャプテンを任される時に、その話を聞きたかったです(笑)
(長谷部)キャプテンやってたの?全然そういうタイプじゃないよね?
(成岡)やってたんすよ。
(長谷部)服部先生にやれって言われたの?それともチームメートに?投票制?
(成岡)マコさんの代の投票と、服部先生の意向も含めて決められたと思うんですけど、僕は一度断っています。だから、日本代表でキャプテンを務めてワールドカップを戦うって、どんな気持ちなんだろうなって。
(長谷部)プレッシャーはやっぱりそれなりにあったね。日本代表の顔になるところだと思ってたから、ピッチの中だけじゃなくて、私生活でも、やはり何か不祥事を起こしたらそれは日本サッカーに対して傷がつくと思ってたし。だから私生活も気をつけて行動してた。
そういう責任感というものは間違いなくあったし、試合に勝てなかったり、ワールドカップに出られなかったりしたら、それは大きな責任を背負わなきゃいけないと思ってたので、そういうプレッシャーはもちろんあったんだけど。でも、それも含めて務められたことはすごく誇りだったなと思います。
(成岡)素晴らしい。ありがとうございます、日本を引っ張っていってくれて(笑)
藤枝市役所サッカー部で全国優勝狙おうと考えていた
(成岡)ヨーロッパで自分が活躍するっていうイメージは高校時代にあったんですか?(長谷部)高校時代には本当に全くないです。まずプロに行くって決断してからも、不安でしかなかった。僕は、大学に行って藤枝市役所に就職して、藤枝市役所サッカー部に入って、全国優勝を狙おうみたいなことを考えていたタイプだったので。
プロに行く時には、まずはプロで1試合でもピッチに立てれば嬉しいなっていうところから始まり、1試合出たら次はもう少し出れるようにみたいな。少しずつ段階を踏んでいったタイプだったから。だから日本代表や海外でのプレーは、高校時代にはもう本当に全く思ってなかった。1回も思ったことがなかった。
(成岡)最初にドイツに行ったのが2008年ですよね。僕がすごく覚えているのは、僕の結婚式にマコさんを招待して、でもマコさんは他の選手の結婚式があるから行けないということで二次会に来てくれたんですよ。
ちょうどその時はマコさんがドイツに行くか行かないかという報道が出ていた時だったんです。最後に「ありがとうございました。ドイツに行くなら連絡くださいね」って言ったんですけど、連絡が来ないまま、マコさんは行きました(笑)
(長谷部)だいぶ俺のことを上げておいて下げたな(笑)二次会に行ったのはすごい覚えてる。
欧州で活躍できた要因は?「適応力と巡り合わせ」
(成岡)長く海外で活躍できた秘訣や要因はありますか?海外でやり続けるっていうのは本当に難しいと思うんですよ。(長谷部)自分が何をしたかということと、自分以外の部分の2つがあって。自分のことで言えば、やはり僕はサッカー選手としてすごく足が速いとか、フィジカル的にすごいとか、テクニックがすごいとか、そういう選手じゃない。そういう中で、自分がこれだけ長くやれた秘訣は何かなって考えると、とにかく頭でいろんなことを考えて、そのチームに何が必要かとか、ドイツに行ったら自分はここで何をしなきゃいけないかとか、そういう適応する力が自分の中にあったんじゃないかなと思っています。それが一番長く、そしていろんなところでできた要因かなと思っています。
もう一つはやっぱり、人との巡り合わせ。最終的にアイントラハトフランクフルトというクラブで10年間プレーしたんだけど、移籍した時はもう30歳だったわけ。30歳ってことはある程度キャリアが終わりに近づいてきてるイメージ。そこから10年やることができた。そう考えると、やっぱりいいクラブを選んで、多くの人に支えられてやれたっていうのもすごいと思う。いろんな要素が絡み合って、これだけ長くやれたんじゃないかなと思いますけどね。
(成岡)膝のけがもあって、手術もしましたもんね。僕からすれば、あのけがをしながら強度の高いブンデスリーガであそこまでやり続けるってのが信じられないんですけど。
(長谷部)僕は幸い筋肉系のけがをしたことがなかったのですが、膝は合計4回、5回ぐらいオペをしました。オペの後もいろんな人にサポートしてもらって、毎日練習の前に膝を補強したり。本当に毎日の積み重ねっていうところはすごく大事にしてやっていました。膝は今でも痛い時はあるんだけど。
(成岡)僕も現役時代、けががすごく多くて悩まされてたんですけど、ドイツでの強度の高いプレーの中でやり続けたっていうのは本当に尊敬でしかないなと思います。
「とにかく自分が生き残るために」
(成岡)高校時代に一緒にプレーしていた時、マコさんは攻撃的なポジションでした。右サイドでしなやかにドリブルで抜けていくようなプレーだったのが、プロに入ってからしばらく攻撃的な位置でやって、そこからボランチになって、ドイツではセンターバックも。守備的なポジションへと変わっていきました。そのきっかけは何かあるんですか。(長谷部)とにかく自分が生き残るために、ポジションも変わっていったということですかね。もちろん監督に求められるものもあるだろうし、海外に行って、それまで日本で通用していたプレーがなかなか通用しない感覚がやっぱり自分の中にあって。そうしたらプレースタイルをちょっと変えていかなきゃいけないなっていうのもあって。
海外って、やっぱり「自分が、自分が」っていう選手が多い。その穴を埋めるというわけじゃないんだけど、「チームにこういう選手がいたら、もっとうまく回り出すんじゃないかな」みたいなことを考えて。そうしたらポジションもどんどん下がったりしていって。
そういう意味で言えば、自分の強みは何かって聞かれたら適応力。生き残るために自分をどんどん変化させていくことができたっていうところかなと思いますけどね。
(成岡)すごいですね。プロになってから変わっていったんですもんね。
(長谷部)でも、高校時代も本当は僕もトップ下をやりたかったんだけど、成岡翔という選手がいて…。彼がいたので、僕は右サイドに追いやられて…(笑)
(成岡)トップ下をやりたかったんですか?
(長谷部)それこそ翔がU-17日本代表とかに行って、チームを抜けた時は、僕がトップ下をやって、生き生きプレーしてたから(笑)翔は帰ってきたら、フォワードをやりだしたよね。
(成岡)インターハイの時ですよね。僕はあの時すごく居心地が良かったですよ。俺がフォワードをやって、マコさんがトップ下をやって。マコさんからのスルーパスで点も決めて、多分5点か6点ぐらい。あの“ホットライン”って言っちゃっていいですか?(笑)あれ、すごくやりやすかったです。
「何気ないことが子どもには急に響くことがある」
(成岡)指導者に恵まれたということも一つキーワードとしてありました。恩師から言われて残っている言葉みたいなものはありますか。(長谷部)
藤枝東サッカー部っていうのは、やっぱり多くの人に見てもらって、応援してもらっているちょっと特殊な場所でもあって。そういう意味で、よく服部先生には「学校だけじゃなくて、外に出たときも常に藤枝東サッカー部というものを背負って行動しよう」っていうことは言われていました。
それは、自分がプロになってからもすごく当てはまるものがあった。自分がプロサッカー選手として、日本代表キャプテンとして、どういうふうに世間から見られているか。そこの影響力みたいなこともすごく気にするようにはしてたし…。「心を整える。」っていう本にも書いたんだけども(笑)
(成岡)めちゃくちゃ売れた本ですね。
(長谷部)プロになって、ちょっと調子に乗って髪の毛を金髪みたいにして、藤枝東を訪れた時に、服部先生はその時は言わなかったんですけど、悲しい顔をされたんですね。「これはしまった」と。やっぱり自分の容姿や見た目を含めて、それは自分だけのものじゃなくて、自分に関わってくださる人たちのものでもあるなと、その時に思いました。
それで埼玉に戻ってすぐに、美容院に行って染め直しました。そういうことは高校だけじゃなくて、藤枝のいろんなところで学んできましたね。
(成岡)僕自身もそうですけど、やはり指導者や周りの人との出会いで、だいぶ環境が変わるってことはよくあると思います。指導者の一つの言葉で選手が変わるってことはありますもんね。
(長谷部)そうですね。何気ないものが子どもには急に響いたりするので。
「夢を大きく持とう」よりも、もっと大事なことは…
(成岡)これから藤枝で長谷部誠のような選手を生み出していきたいっていう思いが、みなさんあると思います。最後に藤枝の子どもたちにメッセージをお願いしたいなと思います。(長谷部)子どもたちへのメッセージを求められることがいつも一番難しいんですけど(笑)
今僕が言えることは…。子どもたちは周りの人に「夢を大きく持とう」とか、いろんなことを言われるとは思うんだけど、でも、それよりももっと大事なことは、今やること、やるべきことをしっかりと今やること。その積み重ねが大きなものに繋がっていく。
子どもたちにはプロサッカー選手になりたい、海外でプレーする選手になりたいという夢もあると思うし、サッカーやってない子たちも「大きくなったらこうなりたい」とかいろいろあると思うんだけど、そのために、まずは今自分がやらなきゃいけないことをしっかりと今やること。そして、それを継続してやっていくこと。僕からはそういうことを言いたいですね。
(成岡)子どもたち、聞いてたかな?みんな頑張ってね。続けてやるっていうことですね。
(司会)それでは最後に、長谷部さんから皆様にメッセージをお願いいたします。
(長谷部)本日はありがとうございました。これから先も皆さんの生きる活力となれるように、皆さんに刺激を与えられるような存在であり続けたいなと思っておりますので、引き続き長谷部誠のことををよろしくお願いします。
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