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2度のW杯に出場したサッカー元日本代表の三都主アレサンドロさん。現在は母国ブラジルで子どもたちの夢をサポート!

サッカー界さまざまなレジェンドの方からお話を聞く本コーナー。今回は、元日本代表で清水エスパルスや浦和レッズでも活躍された三都主アレサンドロさん(以下アレックスさん)に、パーソナリティのペナルティ・ヒデと鬼頭里枝がお話をうかがいました。
※6月14日にSBSラジオ「ヒデとキトーのFooTALK!」で放送したものを編集しています。

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ヒデ:今日はブラジルとZOOMで繋がっています。ブラジルのどちらにいらっしゃるんですか?

三都主:パラナ州マリンガ市の自宅にいます。

ヒデ:現在はどのようなことをされているんですか?

三都主:今ももちろんサッカー関係のことを続けています。ユース世代を育てながら、マリンガ市でプロチームも作り、今年一部リーグに昇格することができました。

1994年に来日。そのきっかけは

鬼頭:ここで、アレックスさんのプロフィールをご紹介したいと思います。1994年にブラジルから海を渡り、高知県にある明徳義塾高校に入学。高校時代は全国大会出場の機会はありませんでしたが、卒業後に清水エスパルスに入団、プロサッカー選手の道に進みました。2001年に日本国籍を取得し、現在は二重国籍をお持ちです。日本代表としても82試合7得点の活躍をされました。

ヒデ:努力家でもあるアレックスさんは、1999年の清水エスパルスの2ndステージ優勝にも貢献する大活躍を見せ、Jリーグ最優秀選手賞を受賞されましたよね。

三都主:自分が選ばれるとは全く思っていなかったので、呼ばれた瞬間はすごくびっくりしました。

ヒデ:その時に、TIMさんの「命」をやったんですよね?

三都主:はい、本当に自然に出てきました(笑)。

ヒデ:TIMさんよりウケていました! アレックスさんは才能があったから日本に来たわけですが、そもそもどういった経緯だったんでしょうか?

三都主:当初、日系人のオオモリカズヨシさんというFWの選手が日本に行くという話になっていて、明徳の先生たちは彼や他の選手を見るためにブラジルに来ていたんです。

プロチームに練習生として参加していた私は、先生たちが観戦していたトレーニングマッチに出場し、活躍することができたので私にもチャンスがやってきました。「この子も日本に連れていきたい」と言われ、ぜひという話になりました。

当時の日本の印象は?

ヒデ:当時サッカー後進国だった日本についてはどんな印象でしたか?

三都主:1992年、1993年はJリーグが盛り上がってきていて、ちょうどブラジルでも生放送されていたんです。ジーコ、アルシンド、ビスマルクなどのブラジル人選手がいたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)や鹿島アントラーズの印象が強く、ほかにも好きな選手がいたので、日本に行きたいという気持ちは持っていました。特にジーコのファンだったので、ジーコのいる日本に自分も行ける!チャンスが転がり込んできたという感じでした。

鬼頭:日本で最初に入団した清水エスパルスについてはいかがでしたか?

三都主:初めて清水エスパルスにテストを受けに行ったとき、それまでテレビでしか見たことがなかった選手たちが揃って練習していたので緊張しました。大丈夫かなという不安を感じながらテストを受けました。

ヒデ:この人柄、愛されますよねえ。

鬼頭:アレックスさんの人間性に惹かれるというファンも多いと思います。

ヒデ:その後実際にプロになりましたが、プロとしてやっていけると確信した、自信がついたのはどれくらいのときでしたか?

三都主:いつ頃からかは自分でもよくわかっていません。ただ自分に与えられたチャンスを絶対にものにしたいという強い気持ちはテストの時から持っていました。プロ選手としてやっていきたい!エスパルスで試合に出たい!と自分の士気を高めていき、頑張っていたら監督がチャンスを与えてくれるはずと。そしてそのチャンスは絶対に誰にも渡さないという気持ちでいました。そのとき自分は4人目の外国人枠で、ほかの3人ともすごく上手な選手だったので、頑張らないとクビになるというプレッシャーもありました。でもそういう環境があったからこそ、次に繋がったんじゃないかと思います。

ヒデ:高校の時に全国へ行けなかった、その悔しさも爆発したんでしょうね。そして、その後日本代表に選ばれるのですが、帰化を考えたのはいつですか?

帰化を考えたきっかけは

三都主:1998年くらいだと思います。当時、呂比須ワグナー選手が日本代表として頑張っていて、ワールドカップにも出場していました。自分もちょうどJリーグで活躍できるようになっていたので、呂比須選手と同じ道を行けたらいいなと。チームメイトとも仲がよかったですし、清水のサポーターもあたたかく見守ってくれていたので、もっと日本にいたい、日本人になれたらいいなと思っていました。

ヒデ:僕らは嬉しいですけど、ブラジルにいるご両親はどのようなリアクションでしたか?

三都主:最初は両親もびっくりして「あなた、何を言っているの」という感じでした。でも少しずつ自分の気持ちを伝えていき、時間も経つことで理解してくれました。自分が覚悟を持って決めたことなので、今度は青のユニフォームを着るための努力をしなければ!という感じでした。

日韓、ドイツワールドカップに出場

ヒデ:小さな頃はセレソン(選抜代表)に憧れ、ブラジルのカナリアカラーのユニフォームを目指していたアレックス少年が、大人になって日本の青いユニフォームを着てくれて僕らは嬉しかったですね。そして実際に、2002年、2006年のワールドカップに出場されました。2002年の日韓ワールドカップは国内開催の大会でもありましたが、どういう印象がありますか?

三都主:すごく盛り上がりましたよね。あんな盛り上がりはこれ以上ないんじゃないかというくらい日本が青く染まって。あそこまで応援してくれて嬉しかったですし、日本に帰化して日本代表になって本当によかったと思いました。

ヒデ:僕ももちろん見に行きました。実は2006年ドイツワールドカップも見に行ったのですが、負けてしまったじゃないですか......。

三都主:そこがやっぱり悔しいです。当時は選手みんながオーストラリア戦に賭けていました。いい状態で入っていって1対0で勝っていたのに、最後の15分がうまくかみ合わず、その時間帯をオーストラリアに渡してしまって負けてしまいました。

ヒデ:途中からチグハグして嫌な空気になっていましたよね?

三都主:そうですね。攻められていて、パワープレイになかなか対応できませんでした。追加点もとれずに、後ろに下がってしまったんです……。

日本で忘れられない思い出は

鬼頭:これまでさまざまな得点にかかわるシーンがあったと思いますが、日本での記憶に残る忘れられないシーンはありますか?

三都主:清水エスパルス、浦和レッズ、名古屋グランパスと、所属していたクラブで優勝しているので、どれも優勝したときのことは忘れられません。優勝に貢献できたことはもちろん嬉しいですし、優勝の瞬間はもっともっとプレーがしたいと思えました。特に名古屋グランパスは、それまで日本一になったことがなかったので、2010年の優勝に貢献できたのは本当に嬉しかったです。ほかにアジアカップでの優勝など、いろいろ忘れられない嬉しい経験をさせていただきました。

鬼頭:そういった試合に常にアレックス選手がいたというのもすごいですね。

指導者としての活動、今後の夢は

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ヒデ:今は、指導者として活動されているんですよね。

三都主:はい、6歳から19歳まで約350人の選手を預かっています。その中からプロになった選手やビッグクラブに行った選手も7人くらいいます。ちょうど2020年から、アルコ・スポーツ・ブラジルというプロチームを作り、3部リーグからスタートしました。1年目で3部リーグ優勝、今年2部リーグに上がって2位になったので、1部リーグに昇格しました。アルコ・スポーツ・ブラジルのアカデミー(下部組織)から、5名がトップチームに昇格してプロ契約ができ、彼らにチャンスを与えられたことがすごく嬉しいです。

ヒデ:しっかり育成されているんですね。リスナーから、今のブラジルサッカーはどうか? アレックスさんが小さい頃と比べて変わってきていますか?という質問がきています。

三都主:今度のカタールで開催するワールドカップを見てもらえれば、ブラジルサッカーも昔のような個人技ばかりでなく組織的にも強くなっているのがわかると思います。私たちも、子どもたちには小さな時からディシプリン(規律やルールを守る)を教え、将来性のある選手になるよう育てています。昔はディフェンスが苦手な選手も多かったんですが、フォワードから何でもできるような選手を育成をしています。パワーもスピードもあるし、個人技で持っていける選手もたくさんいるのですごく面白いですよ。日本人の選手も留学生として今年は5人が来てくれました。今もまだ2人残ってくれていて、12月までいろいろな大会に出場し戦っていきます。言葉も違うなか、すごく頑張っていますよ。

鬼頭:そういう子たちの気持ちも、アレックスさんはわかってくれる!

ヒデ:アレックスさんが今度は監督として日本に来てくれたらすごく嬉しいのですが、アレックスさんの今後の夢は何ですか?

三都主:私は日本でプロのサッカー選手になるという夢を叶えることができました。日本のおかげでもあり、自分を育ててくれた監督のおかげでもあるんです。だから今度はプロになろうとしている子どもたちや選手をサポートして、自分のクラブもどんどん成長させて、将来ブラジルで活躍できるようなチームにしていきたいと思います。

とにかくサッカーに貢献したいです。日本人もブラジル人もプロを志す若手の選手を応援したいし、指導者として日本でやってみたいという気持ちもあります。でも今は、チームも1部リーグに昇格したので、一番頑張らないといけない時期だと思っています。またいつか日本に戻ってやれる日がくれば!

ヒデ・鬼頭:いいお話をたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました!

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