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サクラエビ漁”復活” 母なる富士川 残された課題は

 不漁が続いていた駿河湾のサクラエビ。今年久々に豊漁となり、産卵場に注ぐ富士川では10数年ぶりにアユが本格遡上しています。「死の川」とも言われた富士川に残される課題について紹介した静岡新聞連載【サクラエビ異変 母なる富士川 未来につなぐ】などを1ページにまとめます。
 ⇒関連記事はこちら【特集 サクラエビ異変】

「死の川」にアユ遡上復活 不法投棄、再発危惧の声

 「死の川」と呼ばれた富士川に、アユが戻ってきた。4月下旬の富士市の四ケ郷えん堤。勢いよく遡上(そじょう)する稚アユを見ようと、解禁を待ちきれぬ太公望が殺到した。「こんな光景は十数年ぶり」。同市五貫島の篠原則尊さん(41)は興奮気味だ。

水中をのぞくと緑のコケが付いた石の周辺に稚アユが見えた=4月21日、富士市岩淵の四ケ郷えん堤付近
水中をのぞくと緑のコケが付いた石の周辺に稚アユが見えた=4月21日、富士市岩淵の四ケ郷えん堤付近

 かつて「尺アユの川」として知られた富士川は異様な濁りで長い間、釣り人の姿が消えていた。「『アユが戻った』と言っても、信じてもらえない」と篠原さん。本流でアユ釣り大会を企画し、川の復活を知らせたいという。
 富士川にアユの遡上が本格的に戻った今春、日本三大急流が注ぐ駿河湾奥ではサクラエビが“復活”した。
 「春漁初日にこんなに並んだ記憶はない」。4月4日夜の初操業から一夜明けた5日早朝、由比港漁協で行われた初競り直後の記者会見で宮原淳一組合長(82)は顔をほころばせた。初日の水揚げは計約40トンと昨春(0・9トン)の40倍以上に上った。以降も水揚げは順調に推移する。 
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未処理のまま川沿いの敷地に山積されている産業廃棄物の砂利砕石汚泥=5月上旬、山梨県早川町

 山梨県早川町の富士川水系雨畑川で行われた日本軽金属出資のニッケイ工業による産業廃棄物の不法投棄。不法投棄とアユやエビが姿を消した時期的一致からエビ漁師らに不漁の原因視する向きがある。行政発表によると、2009年から静岡新聞が報道するまでの約10年間続き、石油由来の高分子凝集剤入り砕石汚泥が3万立方メートル以上流出した。濁りが引かず、チーズのような質感の泥が河床にこびり付いた。静岡県は凝集剤成分の残留状況を継続調査する。
 富士川水系で盛んな砕石業者への監視が強まった一方、依然不法投棄を危惧する声もある。雨畑川周辺に5カ所ほどあるプラントによっては、処理・運搬コストが経営を直撃するため産廃としてすぐには処分できず、敷地内にやむを得ず保管中の汚泥が山になっている。一方で、本来あるはずの山が見当たらず「搬出した形跡がないのにどうしているのか」と不審の対象になっている企業もある。静岡新聞社が情報公開請求で得た資料によれば、雨畑川周辺の全業者が過去10年間産廃の処理過程を確認できる廃棄物管理票(マニフェスト)を行政に提出していない。 
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高分子凝集剤入り砕石汚泥の不法投棄の瞬間=2019年4月、山梨県早川町の雨畑川(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・久保田竜平)

 山梨県の長崎幸太郎知事は県議会2月定例会の代表質問に対し、「廃棄物の保管場所の届け出や指導に必要な行政権限に関する規定を盛り込んだ新たな条例を制定する」と表明した。中小零細が多い砕石業者は金のかかる処理に及び腰だ。そのため「必要な支援を検討する」とも付け加えた。
 県内に民間を含め最終処分場を持たない山梨県ではかつて県環境整備事業団が運営する「明野処分場」(北杜市)が稼働。しかし、度重なる漏水検知システムの作動で13年に閉鎖を発表した。不法投棄のあった雨畑川周辺では「明野処分場があったころは搬出していたが、県外に出さざるを得ない。処分すれば会社がつぶれる」と困惑を打ち明ける業者もいる。
         ◇
 サクラエビ不漁をきっかけに富士川流域住民の間で川を思いやる気持ちが強まった。未来につなぐにはどうすればよいのだろうか。
(「サクラエビ異変」取材班)

 <メモ>富士川とサクラエビ 主産卵場の駿河湾奥に注ぐ富士川の水はサクラエビの幼生が餌にする植物プランクトンを育むほか、川から海に流れ出た水流は河口付近で特殊な時計回りの海流を作る。このため幼生が湾奥に滞留し、湾外に散逸するのを防いでいるとされる。富士川とサクラエビの関係は古くから科学者が注目してきたほか、かつては地元の子供たちが道徳などで学ぶ教材でもあった。

〈2023.5.10 あなたの静岡新聞 「サクラエビ異変 母なる富士川 未来につなぐ㊤」〉

維持流量は全国に見劣り ガイドラインにも疑義

 「川の水が少なすぎて夏場は浅瀬の水が生温かくなる。水中の岩に生えた藻やコケがはがれて水面に浮いて濁り、清流を求めに来たラフティング客に申し訳なくなる」。富士宮市内房でラフティング会社を経営する佐野文洋さん(51)は富士川の水の少なさを憂う。

日本軽金属の自家水力発電用取水えん堤の一つにより下流の水量が減っている富士川本流(右)=2021年8月、山梨県身延町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・久保田竜平)
日本軽金属の自家水力発電用取水えん堤の一つにより下流の水量が減っている富士川本流(右)=2021年8月、山梨県身延町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・久保田竜平)

 駿河湾のサクラエビの不漁をきっかけに、主産卵場に注ぐ「母なる富士川」の河川環境について、静岡、山梨両県民の関心がかつてなく高まっている。長年砕石業者が行ってきた不法投棄根絶に加え、流域住民が関心を寄せるのは、日本軽金属蒲原製造所(静岡市清水区)が戦時期から富士川水系で稼働させる五つの自家発電用水力発電所の巨大水利権。計毎秒187・7立方メートルの取水のための水利権が河川環境に大きなインパクトを与え続ける。
 国は3月、同社発電施設の水利権縮小を念頭に、初めて富士川の河川維持流量を設定した。ただ、施設のある一部の区間では無期限の「猶予期間」を設け、地元から批判が根強い。 
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富士川本流をまたぐ日本軽金属の自家水力発電用導水管=5月上旬、富士宮市長貫

 「(猶予期間は)いつまでなのか」。河川維持流量設定のため、国土交通省甲府河川国道事務所が昨年10月以降計4回開いた学識経験者9人による「富士川維持流量検討会」。あるメンバーが同事務所幹部に質問するも、具体的な答えは得られなかった。
 学識経験者の1人は「十分な観測などがないまま、国は1年で維持流量を慌てて決めた。もっとじっくり決めるべきだった」と振り返る。検討会や決定過程が非公開で、流域住民が関与できなかったことを疑問視する専門家もいた。
 実現した場合でも、国が河川維持流量の設定のガイドラインとしている「正常流量検討の手引き(案)」に示されている全国平均には遠く及ばない。
 同手引きには「全国109の1級水系のうち62水系74地点における河川維持流量の平均値は流域面積100平方キロメートル当たり毎秒0・73立方メートル」とある。県境の芝川合流点―日軽金十島せきでは、100平方キロメートル当たり毎秒0・25立方メートルと全国平均の約3分の1に過ぎず、山梨大の岩田智也教授(水域生態学)は「高度に水利用がなされた状況下での調査結果に基づいて維持流量が設定された点に問題がある」と批判する。 
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富士川本流でラフティングを楽しむ人たち=2022年12月中旬、富士宮市長貫

 さらに岩田教授は「(国がよりどころとしている)手引き自体や今回の算定方法が河川生態系の保全の考え方から大きく乖離(かいり)している」と指摘する。例えば「動植物の生息地または生育地の状況」を考慮する際、魚類を代表させ、基本的に底生生物(水生昆虫類)などは検討の外に置いている点。その魚類についても「必要水深は体高の約2倍を目安とする」などとあり、岩田教授は「一部の魚種の移動や産卵だけを考えるのではなく、個体群が持続的に存続できる環境を想定し、季節ごと、エリアごとにもっときめ細かな設定が必要なはず」とする。
(「サクラエビ異変」取材班)

 <メモ>富士川の河川維持流量 3月に初めて決まるまでなかった河川法上の環境保全の基本的目安。富士川流域16区画ごとに設定され、このうち県境の芝川合流点―日軽金十島せき、日軽金十島せき―日軽金塩之沢せきの2区間では同社の発電用水利権が巨大なため、実現までに本来の維持流量より少なく、期間未定の「猶予期間」が設けられた。初設定に当たり署名運動を展開した住民から批判がある。

〈2023.5.11 あなたの静岡新聞 「サクラエビ異変 母なる富士川 未来につなぐ㊥」〉

日軽金 漁師らに直接謝罪 土砂堆積続く雨畑ダム

日本軽金属の土砂撤去作業が始まる前の堆砂著しい雨畑ダム湖=2019年8月、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・久保田竜平)
日本軽金属の土砂撤去作業が始まる前の堆砂著しい雨畑ダム湖=2019年8月、山梨県早川町(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から、写真部・久保田竜平)
 サクラエビ漁師「アユは富士川に戻ってきたのか」
 日本軽金属幹部「河川の状況は当然注目している。(個体数は)感覚的なところでは、ここ1~2年で元に戻ったとは言えないが、改善されたと確認している」
 漁師「サクラエビの不漁の原因は何だと思うか」
 幹部「専門家が検証を重ねているのは存じ上げている。濁りについても全く無関係とは言えない」
 漁師「エビの成育がだめになった。エビが泥で育たなくなってしまった」
 幹部「・・・」

 3月16日午後、由比港漁協。ブルーの作業着に身を包んだ日軽金蒲原製造所(静岡市清水区)の執行役員佐野功和所長らの姿があった。2018年の秋漁で戦後初めて操業すらできず、自家水力発電用の同製造所放水路からの濁りが原因と指摘されてから初めての謝罪。約1時間非公開で行われた会議では、船主らから厳しい質問が飛んだ。
 会場で佐野所長らは「早川が一定の濁度を超えた場合取水制限する」「マイクロプラスチックの海への流出を抑える」などの約束をし、深々と頭を下げた。ただ、会場外での静岡新聞社の取材に対し、幹部らは「文書でください」とだけ述べ、足早に去った。
      ◇
 18年暮れ、エビ漁師たちは約40キロ上流で堆砂が進む日軽金雨畑ダム(山梨県早川町)を直接訪れ、濁りの発生源を確かめていた。国は19年8月、周辺住民に洪水被害をもたらす危険性から同社にダムの土砂撤去を行政指導した。現在、日軽金は約270億円をかけて20~24年度の5カ年計画で撤去作業を続ける。
 町中心部を貫く県道をひっきりなしに往来する大型ダンプ。大型連休中こそ見かけなかったが、平日にはリニア中央新幹線のトンネル掘削残土の運搬など、町によるとダンプカーが1日500~600往復する。
 「ここ数年は洪水もなく天候に助けられた。河床の掘削が進み、安心感が出てきた」。19年8、10月の台風で浸水被害を受けた、ダム上流の本村地区に住む男性(67)は話す。ただ、下流のダム堤体近くの掘削は追い付かず、県道が被災し孤立する可能性は残る。
 巨額の特別損失を計上した同社の経営体力を心配する声もあり、行政にダム撤去費用などの支援を期待する人もいる。男性は「毎年数十万立方メートル以上の土砂が新たにダムの中にたまる。日軽金という会社の設立自体、国策の面もあり、面倒を見てほしい」と訴える。
 国は昨年10月、同社が富士川水系に持つ複数の水力発電所で過去35年間に計約1億9千万立方メートルの不正取水があったと発表。一部では水利権許可期間を短縮するなど措置を講じたが、長年続けてきた国の監視体制に疑いの目を向ける流域住民は多い。山梨県南部町でアユのおとり店を経営する佐野保さん(78)は「行政はもっと主体的に富士川の河川環境に責任を持ってほしい」と訴え続ける。
(「サクラエビ異変」取材班)

 <メモ>雨畑ダムの堆砂 質問主意書に対し政府が2021年5月に答弁した内容によると、総貯水容量1365万立方メートルの雨畑ダムは、20年11月時点で堆砂量1631万4千立方メートル、堆砂率(総貯水容量に対する堆砂量の割合)は120%近くに達した。日軽金は20~24年度に合計600万~700万立方メートルの堆砂を撤去する計画を立て作業中。毎年新たに上流から平均50万立方メートルの土砂が流入する。

〈2023.5.12 あなたの静岡新聞 「サクラエビ異変 母なる富士川 未来につなぐ㊦」〉

上流と下流、手を取り合って 元滋賀県知事 嘉田由紀子氏インタビュー

 サクラエビの不漁を契機に静岡・山梨両県の流域住民が富士川の河川環境について深い関心を抱くようになった。子供たちが生きる未来に健全な生態系や自然環境を手渡すにはどうしたら良いのだろうか。近畿地方の水がめ・琵琶湖を有する滋賀県の知事を務めた嘉田由紀子参院議員(72)は、県境などにこだわらず、流域が手を取り合うことの大切さを説く。

インタビューに応じる嘉田由紀子参院議員=5月10日、東京・永田町の参院議員会館
インタビューに応じる嘉田由紀子参院議員=5月10日、東京・永田町の参院議員会館
 ―上流と下流はどう向き合うべきか。
 「県境など人工的に区切られた地域ではなく、河川流域など生態的つながりを表す地域として『バイオリージョン』の存在が注目される。富士川水系での不法投棄を受け、2021年7月に両県知事はマスコミの前で覚書を交わすセレモニーをわざわざ行い、有害物質の残留状況の調査を開始するとポーズをとった。県境問題の象徴だと思った。人間が後から勝手に作った県境なのに、人間が振り回されている。『上流は下流を思い、下流は上流に感謝する』。サクラエビをきっかけに真の連携が上流下流に芽生えたらいい」
 ―日本軽金属の自家発電用水利権が巨大だ。
 「戦時期から続く日軽金の水利権は国策のアルミ製錬のためのものだった。既に製錬は行っておらず、電力会社への売電を行っている。本支流で取水された水は導水管を通り、一度も川に戻ることなく海に流れ出る。富士川では挙国一致体制の特殊な状態が続いている。2014年制定の水循環基本法上、問題にできる可能性があると考える。3月に河川維持流量が決まったというが、川の規模を考えれば『ちょろちょろ』。少なすぎる。非公開で大学教授らの意見のみを聞いて国土交通省が決めたが、流域に公開しなくては両県住民の関心は高まらず、期待する連携もこれでは始まらない」
 ―サクラエビやアユが戻ってきた。
 「どんなに人工知能(AI)や工業が発達しても、人はサクラエビやアユ、富士川の水一滴も作れない。何千年、何万年と命をつないできたサクラエビやアユを自然からの『使者』と考えたらどうか。人は自然の価値を管理しきれず、差配しきれない。そこを感謝するということが大切では」
 ―両県知事、流域住民へのメッセージは。
 「英語で川を意味する『river』は、競争相手を意味する『rival』の語源だ。川の上流と下流は構造的にライバルであり、放っておけばそのようになる。上流は下流にとって唯一であり生殺与奪、下流は水を涵養(かんよう)してくれる森を養う上流に対して感謝すべきだ。川勝平太静岡県知事と長崎幸太郎山梨県知事にはサクラエビやアユのお母さんの気持ちになってほしい。彼女らの子供は生まれた場所で生きていくしかない。だから、卵を産む場所を選ぶ。為政者はポーズではなく、自然の持つ価値を自覚しなくてはならない」
(「サクラエビ異変」取材班)

 かだ・ゆきこ 農学博士(環境社会学)。京都精華大教授などを経て2期8年務めた滋賀県知事時代、県内六つのダムの建設を中止・凍結するなどしたことで知られる。主な編著書に「流域治水がひらく川と人との関係―2020年球磨川水害の経験に学ぶ」(農文協)、「水と人の環境史」(御茶の水書房)などがある。京都大大学院・米ウィスコンシン大大学院修了。埼玉県出身。