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テーマ : 原発・原子力

原爆の図、修復に若い力 惨状の記憶、生々しく 「後世へ一役担えた」 埼玉・丸木美術館7月公開【スクランブル】

 被爆の悲惨さを描いた故丸木位里・俊夫妻の連作絵画「原爆の図」を未来に継承しようと、修復作業に若い世代が参加した。文化財の保存を研究する愛知県立芸術大(同県長久手市)の非常勤講師斎藤晴香さん(33)。約1年半の作業を「原爆を意識するきっかけになった」と語る。作品は7月、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で一般公開される。

原爆の図第1部「幽霊」の修復作業を終えた斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
原爆の図第1部「幽霊」の修復作業を終えた斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
原爆の図の修復作業で、のりを丁寧に塗り重ねる斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
原爆の図の修復作業で、のりを丁寧に塗り重ねる斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
1990年、制作中の丸木位里さん(左)と夫人の俊さん=埼玉県東松山市のアトリエ
1990年、制作中の丸木位里さん(左)と夫人の俊さん=埼玉県東松山市のアトリエ
原爆の図第1部「幽霊」の修復作業を終えた斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
原爆の図の修復作業で、のりを丁寧に塗り重ねる斎藤晴香さん=5月、愛知県長久手市
1990年、制作中の丸木位里さん(左)と夫人の俊さん=埼玉県東松山市のアトリエ

 今年5月末、同大の文化財保存修復研究所には作品と向き合う斎藤さんの姿があった。原爆の図は全15部の群像画。今回修復した第1部「幽霊」は縦1・8メートル、横3・6メートルのびょうぶ2架で一つの作品となっており、皮膚が垂れ下がった“幽霊”の行列が、あの世との境界をさまよう。斎藤さんは搬入当初から、おぞましさよりも実相を伝える画力に圧倒された。
 この日は最後の工程で、のりを塗り重ねる表情は真剣そのもの。先輩の指導を受けながら、びょうぶのつなぎ目を紙で覆い、見事に仕上げた。
 愛知県美浜町出身の斎藤さんは、大学で日本画を専攻し、2015年4月に同研究所に入った。原爆の図の修復を開始したのは21年12月から。「(第1部は)丸木夫妻が最初に伝えたかった情景だと思う。後世に残す一役を担えて光栄だ」と誇った。
 原爆を出発点に、「暴力」を表現し続けた丸木夫妻。2人は原爆投下直後の広島に入り、自らが目撃した惨状を描いた。原爆被害のほか、被爆した米兵捕虜や朝鮮人への差別を題材とし、日本人の加害性に焦点を置いたことでも知られる。
 被爆者の見方は「本当の風景とは違う」「この通りだった」と分かれる一方、報道が制限された占領下で検閲を免れ、日本全国で原爆のイメージを最初に形成したメディアとしての評価は高い。
 原爆投下から5年後の1950年に発表され、世界各地を巡回した第1部は、80年代に掛け軸から現在の展示形式であるびょうぶに仕立て直された。記録上、本格的な修復は初めてで、今回は黄ばみ除去やびょうぶの修理が進められていた。
 第1部の修復を大学で担うことは、所蔵する丸木美術館たっての希望だった。大学であれば、作品が若手研究者や学生の目に留まりやすいと考えたためだ。丸木美術館の学芸員岡村幸宣さん(49)は「作品を未来につなげるプロジェクトでもあった。(所蔵する)第2部以降も若い世代に任せたい」と話す。
 斎藤さんは、修復に携わるまで原爆に特別な関心はなく、教科書程度の知識しか持たなかった。修復を終え、「丸木夫妻が見て感じた『原爆』を受け取った。2人の思いが、先の世代にも伝わればいい」と願いを口にした。

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