清水区の小学校 ブルマー、男子もはいていました 子どもの頃の記憶、真相は?【NEXT特捜隊】
Q 小学生の時、男子なのにブルマーを着用していました。なぜだったのでしょう
最近見かけなくなったが、ブルマーは女性向けの衣類だったはず…。静岡市清水区出身の長利正弘さん(55)から静岡新聞社「NEXT特捜隊」に気になる問いが寄せられた。
早速連絡した。長利さんは1972年、小学1年生の時に清水市立飯田小(現・静岡市立清水飯田小)に転校。以前通っていた近隣の高部小では体育の授業で白の短パンを着用していたが、飯田小では低学年は男女ともブルマーが体操服だった。小学3年生の頃に男子だけ白の短パンに変わったと記憶している。長利さんは現在、大阪市に暮らし、当時の写真は残っていないという。
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静岡市教委に尋ねると、体操服の決定権は学校ごとにあり、“男子ブルマー”も把握していなかった。現在の清水飯田小にも当時の資料は残っていない。体操服を製造する全国規模のメーカー、清水区の小売店に問い合わせたが、男子向けブルマーの製造や販売の事実は確認できなかった。
調査を諦めかけていたその時、市教委の担当者の助言で飯田小の開校100周年記念誌に目を通し、道が開けた。ブルマーを着用した男子児童の写真をついに発見した。「男子がブルマーをはいたことも…」との説明も添えられていた。
当時から飯田小の体操服を卸している置地規秀さん(81)に写真を見せた。「男子用にブルマーを卸していた記憶はないな。サイズの小さな黒や濃紺のショートパンツじゃないかな」
飯田小の近くで洋品店を営む同校出身の植田一正さん(57)は「間違いなく男子も当時、はいていた。あれはブルマー」ときっぱり。店でも体操服を扱うだけに言葉に説得力があった。「『なんだかおかしいな』と気付き始めた小学3年生ぐらいに白い短パンに変わった」。依頼を寄せた長利さんと同年代で話の内容も一致する。
老舗の制服販売店などに写真を見せて見解を尋ね歩いた。関係者の話を総合すると「ブルマーに見える子もいるが、丈の短いショートパンツのような男児もいる」とのこと。
1899年創業の制服専門店「SCHOOL SHOP SUGIYAMA」(清水区銀座)の5代目代表杉山弘一さん(38)は「幼稚園では動きやすいように丈の短い体操着を採用する傾向があります。小学校に上がっても使えることや販売側の在庫リスクを減らす観点から幼稚園のデザインを流用した結果、低学年はブルマーのような体操着になったのではないでしょうか」と想像した。
杉山さんの父勝政さん(72)は「戦後すぐ生まれの私たちの世代は色さえ同じなら、制服や体操服は何でもよかった。昭和40年代はちょうど体操服を各学校で統一する動きが出始めた時期だったのかもしれない」と当時を振り返った。
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静岡県学校生活協同組合連合会の影山滋樹用品部長(58)は「決して男子用にブルマーが製造されていたわけではないが、飯田小独自のルールとして色だけ指定され、結果的に男子もブルマーをはくようになったのでは」と推測。「他校でも採用された可能性は低いと思います。各家庭の経済事情も踏まえ、幼稚園の体操服の使用も可能だったのかもしれない」と語った。
男子にブルマーを採用した明確な理由は判然としなかったが、長利さんに写真を送り、関係者の声を伝えた。「写真の雰囲気は当時に近い気がします。確かにブルマーの子もいれば、ショートパンツのような子もいますね」と懐かしそうに話した。
■体操服の移り変わり
体にフィットするニットタイプのブルマーが学校現場で定着し始めたきっかけは1964年の東京五輪という説がある。金メダルを獲得した女子バレーボール日本代表などが着用していた。それまでは「ちょうちんブルマー」との俗称で知られる布帛[ふはく]タイプのブルマーが一般的だったという。
ニットタイプは女子生徒から不評で、売買されるなどの社会問題もあり、2000年代にはほとんど採用されなくなった。
男子はかつて綿の白いショートパンツが主流だったが、近年男女兼用で丈の長いクオーターパンツやハーフパンツを取り入れている学校が増えている。
(寺田将人)