ダムと生きる~山梨・雨畑の声~(1)水害危機の最前線 「撤去」の声は広がらず

 「ハァー ダムは雨畑 茶の香もゆれて わたる釣橋 気もはずむ おこす電気を 心にともし 人情明るい 夢のまち サテ 甲斐の早川 ヨイトコ セッセ」―

日本軽金属雨畑ダム上流の本村集落と雨畑川の間に設置された高さ最大8メートル、長さ900メートルの堤防を見上げる望月陽平さん=9月下旬、山梨県早川町雨畑地区
日本軽金属雨畑ダム上流の本村集落と雨畑川の間に設置された高さ最大8メートル、長さ900メートルの堤防を見上げる望月陽平さん=9月下旬、山梨県早川町雨畑地区
本村集落を取り囲むように設置された堤防。向かって右が雨畑川上流、左が雨畑ダム。「城壁都市」を思わせる=8月中旬、山梨県早川町雨畑地区(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
本村集落を取り囲むように設置された堤防。向かって右が雨畑川上流、左が雨畑ダム。「城壁都市」を思わせる=8月中旬、山梨県早川町雨畑地区(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
早川町本村集落の様子
早川町本村集落の様子
日本軽金属雨畑ダム上流の本村集落と雨畑川の間に設置された高さ最大8メートル、長さ900メートルの堤防を見上げる望月陽平さん=9月下旬、山梨県早川町雨畑地区
本村集落を取り囲むように設置された堤防。向かって右が雨畑川上流、左が雨畑ダム。「城壁都市」を思わせる=8月中旬、山梨県早川町雨畑地区(静岡新聞社ヘリ「ジェリコ1号」から)
早川町本村集落の様子

 駿河湾のサクラエビ不漁をきっかけに注目される日本軽金属雨畑ダム(山梨県早川町)。完成から6年後の1973年。歌詞を全国公募し当時の町長らが選んだ「早川音頭」は、ダムと歩むこの町の姿をそうたたえた。
 それから約半世紀。堆砂で発電をストップした雨畑ダムのすぐ上流・同町雨畑地区の本村集落(約40世帯)は、水害危機の最前線にある。2018年9月の台風では1軒が床上浸水。19年10月の台風19号ではダム湖畔の県道が崩落、集落全体が孤立した。いま再び台風シーズンを迎えた。
 「効果がどこまであるのか。正直怖い」。同地区唯一の中学生、望月陽平さん(13)=町立早川中1年=は9月下旬、自宅近くの民家の庭先に日光を遮ってそびえる高さ最大8メートル、長さ900メートルの堤防を見上げながら不安を吐露した。集落全体が黒々としたぶ厚い鉄板で覆われた現状は、さながら中世ヨーロッパの〝城壁都市〟だ。
 19年8月、国の行政指導を受けた元国策企業の日軽金は本年度だけで110億円の特別損失を計上、堆砂除去と堤防の造成など集落の防災対策を進めるが、地元は懐疑的。今夏の大雨では集落上流の「稲又第3砂防えん堤」が一部損壊。住民によると鉄砲水も出た。
 雨畑地区の歴史は古い。早川町誌によれば、平安時代末期(12世紀末)には既に定住者がいた。一部は信州(現長野県)から武田氏に仕えてやってきたとされる。駿州(現静岡県)だった時期もあり、安倍山の北端を意味する「安倍端」が転じたとも伝わる。
 観光用ボートを浮かべたり、釣り客向けにマスやワカサギなどの放流をしたりしたこともあった雨畑ダム湖。いまダム堤体の洪水吐(こうずいばき)は水害対策のため24時間開放中だ。下流の濁りの深刻な原因にもなっている。
 元町議でかつて町長選にも出た望月三千生さん(64)は「サクラエビの不漁がきっかけとなり、国や会社も動いた。なのにいま、再び濁り水を出さざるをえないことが複雑でならない」。
 ブログの更新を通じて日軽金の対策工事の進捗(しんちょく)を日々発信する三千生さん。静岡新聞が報じる富士川水系の記事は、フェイスブックで知り合った静岡市駿河区の男性(69)から毎早朝に届く。三千生さんは「日軽金幹部は『今後は砂防ダムとして機能していく』と私たちに言い放った。水害を引き起こす砂防ダムなんていらない。撤去してほしい」と怒るが、地元で大きな声にはなっていない。
 「高校生になっても好きなサッカーを続けたい。だからもうすぐこの集落から出て行く」。持っていたスピーカーから周囲にも聞こえるように音楽を流しながら陽平さんは話す。地区唯一の中学生の目は、ただまっすぐに未来だけを見つめていた。
     ◇
 人口1014人(20年9月現在)。早川町は全国最少の町だ。今月には町長選が告示され、現役首長で最多10期を務める現職(79)が11選を目指し出馬する。無投票の公算が大きい。一方、サクラエビ不漁を機に雨畑ダムの堆砂や、ダム下流の雨畑川で長年行われていた日軽金関係企業による凝集剤入り汚泥の不法投棄が明るみに出た。この町で何が起きているのか。

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