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伊豆の長八美術館 「遊女普賢菩薩」 明治初期、入江長八作【美と快と-収蔵品物語㉘】

 左官の技術と日本画の手法を組み合わせ、漆喰鏝絵[しっくいこてえ]という独自の分野を築き上げた伊豆国松崎村(現松崎町)出身の名匠入江長八(1815~89年)。19歳で江戸に出た長八の作品は震災や戦争によってほとんどが焼失し、傑作とされる「遊女普賢菩薩[ふげんぼさつ]」は世には出ないと思われてきたが、2020年に関東の個人宅で発見された。同町の伊豆長八作品保存会が紡いできた縁が糸口となり21年6月、伊豆の長八美術館に寄託された。

「遊女普賢菩薩」漆喰着色 42.0×65.0センチ
「遊女普賢菩薩」漆喰着色 42.0×65.0センチ
「近江のお兼」漆喰着色 45・7×63・7センチ
「近江のお兼」漆喰着色 45・7×63・7センチ
伊豆の長八美術館
伊豆の長八美術館
「遊女普賢菩薩」漆喰着色 42.0×65.0センチ
「近江のお兼」漆喰着色 45・7×63・7センチ
伊豆の長八美術館


 ■繊細な描写〝真骨頂〟
 「まさか今になって見つかるなんて。この世に残っていたことに驚いた」。同館の〓見[うつみ]志乃学芸員(33)は振り返る。「鏝使いや作品の特徴はまさに長八。一目見てこれは間違いない、本物だと思い、感動した」
 関東に住む所有者から20年7月、保存会に連絡が入った。所有者の親族と保存会が以前やりとりをしていた年賀状を見つけた所有者は、「作品を自分の手元に置いても管理できない」と伝えたという。その後、保存会から連絡を受けた同館職員が所有者宅を訪ねて確認した。
 長八の生涯をまとめた伝記「伊豆長八」(結城素明著、1938年刊)の口絵に使われている同作。長八研究の「バイブル」とされる同書には数々の作品が登場するが、唯一カラーで掲載されている。本には長八と親交のあった男性の息子が、普賢菩薩を守り神とする父親のために制作を依頼したとの記述が残る。
 遊女普賢は能の謡曲「江口」に登場する遊女妙が化身した普賢菩薩を指す。「遊女普賢菩薩」は六牙の白象の背に乗った遊女普賢が朱色の着物に白い羽織を肩まで落とし、長い巻き手紙を読んでいる図。光を放ちながら西の空へと去って行く様子を描いている。〓見学芸員は「羽織の柄や白象の表情など、細部まで丁寧に表現する繊細な描写は長八の真骨頂」と解説する。
 制作から約150年の時を経て、姿を現した“幻”の大作。今後、一般公開を予定している。

 ■力強く、躍動感 「近江のお兼」 明治9(1876)年 入江長八作
 長八は左官業の傍ら長唄や三味線をたしなみ、当時はやりの伝統芸能をテーマにした作品をはじめ、伝説や神話に基づいた作品を多く残している。「近江のお兼」は歌舞伎の演目で、力自慢の遊女お兼が暴れ馬の手綱を高げたで押さえ、涼しげに空を仰いでいる場面を描く。暴れる馬と平然としたお兼の姿が対照的でユーモラスだ。
 「遊女普賢菩薩」「近江のお兼」のどちらにも遊女と動物が登場するが、前者の物静かな雰囲気に比べて後者は力強く、躍動感がある。〓見学芸員は「長八が意図的に対比して制作したのではないかと感じる。面白みを利かせた、遊び心ある長八らしい作品」と話す。

 伊豆の長八美術館 松崎町松崎23。1984年7月開館。塗額、塑像、ランプ掛け、掛け軸など長八の作品を中心に約150点を収蔵する。
 設計を手がけたのは建築家石山修武さん。同館の設計で“建築界の芥川賞”ともいわれる「吉田五十八賞」を受賞し、建物自体の芸術的評価も高い。日本左官業組合連合会の協力で、全国から集まった2000人を超える左官職人が内外装などを手がけた。あらゆる場所に左官の芸がちりばめられている。
 「近江のお兼」は常設展示している。

 ※〓見の〓は雨カンムリに雅のツクリ、その右に鳥

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