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静岡県立大発 まんが しずおかのDNA(28)伊豆における日露の絆 ヘダ号建設、尊敬深める

 伊豆は日本の開国期に重要な役割を果たした。1854年の日米和親条約締結から2年後、最初の米国総領事館が下田に開かれた。一方、55年には日露通好条約が下田で締結された。ロシアは1792年に漂流民・大黒屋光太夫らを伴い来航して以来、交易を求め度々日本を訪れており、日露はすでに日米より長い接触の歴史を持っていた。

漫画=かとうひな
漫画=かとうひな

 開国期の日露関係も友好的なものであり、伊豆が主要な舞台となった。4隻の軍艦で江戸に迫ったペリーに対し、ロシアのプチャーチンは日本の国法を守り長崎に入港した。交渉場所を下田へ移した直後、伊豆は安政大地震に見舞われ、ロシア船ディアナ号は津波で沈没する。日本人とロシア人は互いを命がけで救助した。
 戸田で代船が日露の協力で建設され、ヘダ号と命名された。これは日本の近代造船の起源となる。条約交渉も穏やかに進められ、交渉者は互いに尊敬の念を深めた。これらの出来事はロシア人と現地の日本人を親密にし、プチャーチンは「吾が魂を永久にこの地に留めおくべし」との言葉を残した。
 1990年代、冷戦後日本外交の再構築を志向した橋本龍太郎首相(当時)は、日米同盟再定義とともに日露関係強化を目指した。信頼・相互利益・長期的視野の対露三原則を掲げ、当時のエリツィン大統領との信頼関係を深めるべく橋本首相が日露首脳会談の地に選んだのは、日露友好の歴史を留める伊豆であった。この川奈会談は、戦後北方四島が最も日本に近づいた瞬間ともいわれる。
 沼津市の戸田造船郷土資料博物館では、ヘダ号の10分の1模型をはじめ、日露の絆を物語る多くの貴重な所蔵品が見られる。今年は新型コロナウイルス感染症拡大の影響から中止となったが、毎年7月の戸田港まつりではプチャーチンに扮[ふん]したロシア人らによるパレードやロシア人水兵の慰霊祭が行われ、昨年はプチャーチン家の出自であるノヴゴロド州の訪問団が参加した。伊豆に残る日露友好の歴史を基礎に、新たな日露関係が発展しつつある。(堀内賢志/国際関係学部准教授・ロシア地域研究)
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 静岡県立大の執筆陣が文理の枠を超え、漫画を使って静岡のDNA(文化・風土)を科学的に解き明かす(静岡新聞月曜朝刊「科学面」掲載)。

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