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未来に残したい 静岡グルメ遺産

[毎週土曜日]朝7:30~11:00 ※コーナーは10:00〜

パーソナリティ 洋輔・影島亜美

洋輔
未来に残したい静岡グルメ遺産 SATURDAY View→N
2024.12.21(土)放送 浮月楼(静岡市葵区紺屋町)

家業から一旦離れ、様々なキャリアを積んだ後に承継。
受身ではなく、勉強して自ら情報収集を。【親族内承継】

番組はこちらからお聴き頂けます。

「未来に残したい静岡グルメ遺産」のコーナーです。
静岡新聞・SBSが運営するグルメサイト「アットエスグルメ」と共同企画で、大切な静岡のお店を残すためのプロジェクトをラジオでも展開していきます。
今年度は県内の金融機関や商工会議所の協力で後継者を募集しているお店、親族内や第三者に経営を引き継いだお店、そしてこれから引き継ぐ予定のお店などを取材していきます。

12回目は、静岡県事業承継ネットワークの構成機関である東京海上日動 静岡支店の紹介で、静岡市葵区紺屋町にある「浮月楼」に取材に行ってきました。お話は代表取締役の久保田耕平さんに伺ってきました。「浮月楼」は静岡駅北口から歩いて数分のところにあってご存知の方も多いと思うんですけども、実はね、僕、今回入るのが初めてだったんです。
今まで入ったことがなかったんですけど、周りにビルが立ち並ぶ中、日本家屋、そしてもうすごい静かな庭園があって、まるで時が止まったような素敵な場所だったんですね。
まずは「浮月楼」の歴史について伺いました。

<浮月楼>

浮月楼
静岡駅前と思えない静かな佇まい
浮月楼
徳川慶喜公屋敷時代の趣きが残る緑豊かな庭園
<浮月楼>

洋輔:この「浮月楼」さんはどんな場所なのか、そして歴史も教えてください。

久保田耕平さん:少し話をすると長くなるところがありますが「浮月楼」は創業から130数年ですね。その前にここにあったのが実は最後の将軍 徳川慶喜公のお屋敷がありました。大政奉還を終えた最後の将軍が静岡に隠居されたんですけれども、ここで約20年間お住まいになりました。我々は「(慶喜)けいき」さんと呼んでいるんですけれども、慶喜(けいき)さんがこちらに来る前に実は渋沢栄一さんがここを整えて、それをもって、慶喜公がこちらに入ったという歴史がございます。
渋沢さんはここで何をしていたかというとですね、商法会所という名前の日本で最初の株式会社のような組織を静岡から立ち上げた。ここでは静岡の茶葉であったりいろいろな工芸品であったりっていうものを、お金を貸したり借りたりという、その機能もありますし、非常に当時としては先進的な機能を持った場所だったと。
慶喜公はここで20年何をしていたかといいますと当然隠居生活ですが、まだ30歳そこそこでの隠居生活だったので、非常に体も元気で、毎日趣味に明け暮れたというふうに聞いております。特に自転車に乗った方としては静岡で最初に自転車に乗った方としても知られてますし 、いろいろな趣味を30個以上もっていて、毎日を謳歌していたというお話を聞いております。

浮月楼
左から洋輔、浮月楼の代表取締役 久保田耕平さん
洋輔:いやもう本当に歴史の授業に出てくるようなワードがたくさん入ってたと思うんですけど、普段はどのような活用の仕方ができるんですか。

久保田さん:そうですねここが「浮月楼」になった経緯というのがですね、実は当時、静岡駅ができまして、慶喜さんが住んでいた頃に静岡駅が誕生したんですが、当時SL機関車なので、その喧騒を嫌って、この紺屋町から西草深町というところにお引っ越しになって。ちょうど駅前に何か迎賓館のようなものを、ということで「浮月楼」ができました。 お庭はそのままにいろいろな機能を持って、当時はやはり新幹線が通る前ですので東京と名古屋の間の静岡に必ず皆さん1泊されていたという時代があります。ですので、うちも旅館としてその当時はやっておりましたけれども、時を経て、今は結婚式の披露宴であったりとか、またインバウンドのお客様にも来ていただいたり、いろいろな日本文化の発信拠点として使っていただいている感じです。

<スタジオ>

洋輔:本当に歴史がたくさんあって、なんか歴史の勉強みたいな。僕も知らなかったこともたくさん教えていただいて、久保田さんに。本当に神聖な場所だなっていうのを改めて感じたんです。

影島アナ:そうですね、歴史をすごく感じます。

洋輔:影島ちゃんも結構行ったことあるでしょ、「浮月楼」は。

影島アナ:ありますね。結婚式の司会をした時に「浮月楼」でやったんですけど、もうとっても、癒しの空間でした。緑が豊かで。

洋輔:そうなんですよ。中に池があって、その上で式を上げられるような形になってて、すごい素敵な場所だったんですけど。そんな中、続いて「浮月楼」のレストランでいただける浮月松花堂弁当をいただいてきました。

<浮月楼>

洋輔:もうね、器がいっぱいあってパニックってました。いやーすごい豪華。こちらの松花堂弁当、まず大きいこちらの箱を開けてみましょう。おー、めっちゃ豪華!
浮月楼
二十四節気に合わせてメニューが変わる浮月松花堂弁当
久保田さん:漆のお弁当箱の中に四つに分けた、これは松花堂弁当という形のスタイルなんですけど、昨年も藤井聡太さんに召し上がっていただいた松花堂弁当と同じものです。

洋輔:まずお刺身が左下にあって上に天ぷらと、あと前菜があって、そしてローストビーフもありますし、もちろん周りにはですね、お吸い物とか茶碗蒸し、香の物もあって本当に豪華なんですけど、どれから食べようか悩んじゃいますが、やっぱりお刺身からでもいいですか。

久保田さん:静岡の海の幸です。

洋輔:海の幸をいただきます。これは?

久保田さん:太刀魚ですね。

洋輔:いただきます。さっぱりしてて美味しい、太刀魚。新鮮ですね。

久保田さん:お肉も召し上がってください。

洋輔:お肉もいいですか。ローストビーフ、タレがしっかりかかっていて、これちょっと一気にいっちゃいますね。いただきます。美味しい。お肉の味がしっかりしててね、タレも絶妙に合いますね、お肉と。

久保田さん:和風のお肉料理になります。

洋輔:刺身とお肉いただいたんですけど、本当にもう味のバラエティーがすごくて。もうちょっとずつあれ食べて、これ食べてって、食べるのがすごく楽しいお弁当ですね、松花堂弁当。

浮月楼
収録の様子
<スタジオ>

洋輔:もう本当に種類が豊富でなんかもう食べるのが楽しかったです。でもインタビューする側としては、どれから食べたらいいんだろうと、ちょっとパニックになるぐらい、本当に種類があって。しかも、この松花堂弁当なんですけど、季節はもちろんなんですけど二十四節気に合わせてメニューが変わるということで、いろいろちょこちょこ行くと変わってくよっていうのがすごいね、楽しいなと思ったのと、本当に本来の日本食をとっても大事にしてるなっていうことがね、伝わってきたんです。
さてここからはですね事業承継のお話に移っていきますが、久保田さんは5年前に承継をして、代表取締役になられたんですけど、それまでは板前の世界に憧れがあったということで、築地に修業に行ったりとか、後はウェディングプランナーを経験したりと、さまざまなキャリアを積んできたんですけども、続いて親族内承継の経緯とか、あと久保田さんの思いもお聞きしました。

<浮月楼>

洋輔:承継した時にお父様とかにいろいろ相談したりとか、話し合いはしましたか。

久保田さん:私、実父がですね、もう25年前に他界をしておりまして、その後、叔父が20年間この会社を守ってきてくれたっていう経緯があります。
「浮月楼」自体がですね、私自身も継ごうという気持ちがなかったんですが、20代も後半になって僕の人生、何をしなきゃかなっていうところを一回立ち返った時に、やっぱりここに生まれた理由があるんだなっていうことと、あとファミリービジネスだからやはり長男の自分がやらなきゃいけないという、そういう気持ちはありました。

洋輔:親族内承継をする中で、いろんな機関とかに相談したりとかしました。

久保田さん:そうですね、身の回りの経営者の友人であったりとか、またもちろん東京海上日動の松下さんにも、老舗の会みたいなものをね、全国的に組織して同じ悩みを共有したり、そういうこともあったので、結構やる前にそんな不安はなかったんですが、実際やってから大変だなって思うこともたくさんありますね。

洋輔:実際に蓋を開けてみたらじゃないですけど、そうやって中に入ったら大変なこともあったと。

久保田さん:トップってやはり自分で自分を整えるというか、他の人が言ってくれなくなるので、裸の王様にもなりますし、社長だからということでみんな気を遣うし、逆に言うと言ってほしいことを言ってくれなくなったりもするので。ただ私にとって10歳ぐらい下の弟が2年、3年前に帰ってきてくれたので、弟と一緒に二人でファミリービジネスを支えているっていうような状況で、弟の存在がすごくありがたいと思っています。

洋輔:本当にファミリーで守っている場所なんですね。

久保田さん:そうですね。駅前にこの庭園をもって料理屋をやっているって実は全国的にも珍しくて。それはなぜかというと儲からないからですね。だいたい2000坪の敷地で料理屋をやっていますがほとんどが池だったり、木があって、庭だったり。駅前の一等地で普通だったらビルを建てるのが当たり前だけど、それをしてこなかったというのがプライドというか、やりがいというか。普通だったらやらないことをやるっていうことが、私にとってはちょっとプライドみたいなところです。

浮月楼
慶喜公の時代から続くこの場所を守っていきたいという、浮月楼の久保田耕平さん
<スタジオ>

洋輔:動いてみて、実際に大変なことがどんどん出てきてわかってきたって、やっぱり動かないとわからないこともいっぱいあったっておっしゃってて。いろいろ話を聞いていくと本当にね「浮月楼」、あそこの場所に2000坪ある中で、池とかああいう自然を守ってるからそれで大変な部分もあるって、なるほどなって僕もいろいろ実感したんですけど。
最後に親族内承継を考えている方へのアドバイス、そしてラジオをお聴きの皆さんへのメッセージももらいました。

<浮月楼>

久保田さん:歴史というか時代が過ぎることで必要とされる事業、必要とされない事業、あとはAIとかが進むことで、なくなる仕事みたいなものもきっとあると思うんですね。
でも我々はもう基本的な飲食業っていうところで、時代が変わっても普遍的な必要とされるサービスですので頑張ってはいけるんですけれども、そうではない事業ももちろんあると思いますし、その時代に合わせて、親族内承継しない方がいいということも、もちろんあると思います。そういった時に、実はうちの会社にもM&Aのお知らせとかハガキとかいっぱいくるんですけれども、世の中、中抜きが得意な方もすごく多いので、コンサルティングだとかとても素敵な言葉を使って近づいてくる方もたくさんいらっしゃると思いますし、逆に言うと、継ぐ人がいないっていう会社ももちろんたくさんあるとは思うので、そこにやはりロックオンをしてくるような方もいらっしゃいます。M&Aが仕事だとは思うんですけれども。

洋輔:やっぱいろいろ慎重になった方がいいってことなんですよね。

久保田さん:自分から情報を取りに行くのが一番いいと思いますし、受身で事業をやってはいけないというかですね。やりたいことは自分でちゃんと勉強をして情報を取りにいかないと。

洋輔:最後になりますけども、ラジオをお聴きのリスナーの皆さんにメッセージをお願いします。

久保田さん:「浮月楼」はですね、長い歴史で(静岡)駅前でやらせていただいております。洋輔さんみたいにまだ入ったことがない方はたくさんいらっしゃるかとは思うんですけれども、歴史が好きじゃない方も、楽しんでいただけるように、今いろいろな商品を考えてお待ちしておりますので、ぜひお酒を一杯飲みにくるとか、そういうことも可能になるように、来年していきたいと思いますので。

洋輔:来年、飲みにきます。僕。お酒が飲めるようになったら言ってください。

久保田さん:ぜひぜひ。

洋輔:ありがとうございます。

久保田さん:ありがとうございます。

浮月楼
左から、静岡県事業承継ネットワークの構成機関である東京海上日動の松下洋二さん、浮月楼の代表取締役 久保田耕平さん、洋輔
<スタジオ>

洋輔:本当にいろんなお話を伺って、やっぱりね、自分でやりたいことに関しては、自分から動かないとダメだっていうことがね、すごく伝わってきたなって思ったのと、あと久保田さんがおっしゃってた、外でいろんな経験をしてから親族内承継をしたことがよかったと。きっとずっとここにいたら嫌になってたと思うっていうのがね、結構印象的で。やっぱりそこの中にいるとやらなきゃいけないとか方向が決められている、固められてるっていうのが強くストレスになっちゃうから、一回外に出て、中の良さをまた外からみるっていうのが、俯瞰でみるっていうのが大事なのかなっていうのを改めてこの回の時にすごく感じたんですね。
人には向き不向きがあってその家に生まれたから、その家業が必ず向いてるわけでもないし、夢があったり、若い時に外に出たいって思いを抱く人もいるはずなのでその思いは、承継するしないに関わらず、動いた方がいいという、大事な言葉をいただきました。
社長になって5年で、今まで考えてきたビジョンが形になってきていてそれを楽しめるようになっているという久保田さんなんですけど、これからまだまだ進化し続ける「浮月楼」、すごい楽しみだなと思って。僕もさっき飲みに行くって言ってましたけど、多分来年あたりまた飲みに行くと思います。
未来に残したい静岡グルメ遺産、今年12回目は、静岡市葵区紺屋町にあります「浮月楼」さんをご紹介しました。

<事業承継に関するご相談>
事業の引き継ぎや後継者のマッチングなど、事業承継に関するご相談がありましたらご連絡をお願いいたします。
■静岡県事業承継引き継ぎ支援センター 電話 054-275-1881

DATA

■浮月楼

住所:静岡県静岡市葵区紺屋町11-1
TEL:054-252-0131

浮月楼HP