旧清水市(現静岡市清水区)でみそ製造会社の専務方から出火。焼け跡から専務一家4人の遺体が発見され、強盗殺人・放火事件として捜査。

願い - 袴田事件 再審開始までの道のり
1966年
6月30日
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事件発生

1966年
8月18日
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袴田巌さん
逮捕
静岡県警が住み込み従業員だった袴田巌さんを逮捕。当初否認したが、拘留期限間際に「自白」した。


1966年
11月15日
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静岡地裁で
初公判
「私はやっていません」「全然やらなかったです」―と全面否認。
1967年
8月31日
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5点の衣類
発見
工場のみそタンク内から、血染めのシャツやズボン、ステテコなど「5点の衣類」が見つかった。巌さんは衣類に「名前が入っていない」とし、所有物ではないと主張。
「これは真犯人が動き出した証拠。これでますます有利になった」(1967年9月の袴田さんの手紙)

1968年
9月11日
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死刑判決
静岡地裁は5点の衣類を「犯行着衣」と認定。殺害後に巌さんがタンクに入れたと判断した。巌さんは東京高裁に控訴。
1976年
5月18日
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東京高裁が控訴棄却
控訴審の実験で、巌さんは5点の衣類のズボンをはけなかった。しかし高裁は、巌さんの体重が拘留中に増加したことなどを根拠に、事件当時はズボンがはけたはずと判断した。
1980年
11月19日
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最高裁が上告棄却
12月に判決訂正申し立ての棄却を決定、巌さんの死刑判決が確定。
1981年
4月20日
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第1次再審請求
弁護側が静岡地裁に再審請求。
2008年
3月24日
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第1次再審請求終了
静岡地裁の再審請求棄却、東京高裁の即時抗告棄却を経て、最高裁が弁護側の特別抗告を棄却。第1次再審請求が終了、請求から約27年が経過していた。
2008年
4月25日
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第2次
再審請求
巌さんの姉・ひで子さんが第2次再審請求を申し立て。

2014年
3月27日
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再審開始
決定
死刑と拘置執行停止
再審請求審で静岡地裁が巌さんの再審開始を認めると同時に、死刑と拘置の執行停止決定。逮捕から約48年ぶりに釈放された巌さんは78歳になっていた。

2023年
3月20日
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再審開始が
確定
差し戻し後の即時抗告審で、検察は、再審開始を認めた東京高裁決定について、特別抗告を断念。再審開始が確定した。
今度こそ 願いは 届くのか。
巌さんは判決後の手紙で、「事実誤認」と厳しく批判。「法廷で見た血染めのズボンは小さく、自分にはけそうになかったが、一審では装着を試す機会がなかった」として「従って私が問題のズボンをはく時に無罪が決定するのです」
検察は地裁決定を不服として即時抗告。東京高裁は2018年6月、一転して再審請求を棄却したが、巌さんの釈放は維持した。最高裁は2020年12月、高裁決定を取り消し、審理を高裁に差し戻した。
高裁は2023年3月、検察の即時抗告を棄却。重要証拠が捜査機関に捏造(ねつぞう)された可能性が極めて高いと指摘した。