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真冬の珍道中最終回 特攻平和会館

指宿から鹿児島空港に帰るまでに立ち寄りたい場所がありました。それは知覧。

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まず、知覧の武家屋敷跡の町並みを訪れました。

 

重要伝統的建造物郡保存地区に選定されたこの町並み。大きく刈り込まれた生垣と庭園が見所で、有料で一般公開されています。

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他の町並みとは一線を画したような、独特の風景でした。

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町全体が庭園といった感じでした。

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そして地検までもが町並みに溶け込んでいました^^

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知覧の目的はこちら。特攻平和会館です。

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知覧は、太平洋戦争の末期、陸軍の特攻基地が置かれた町ということはご存知ですよね。爆装した飛行機もろとも肉弾となり敵艦に体当たりしていったという、人類史上例を見ない特攻作戦が展開された地です。この会館には、隊員の遺影、手紙、遺品などを展示してあります。 展示物はもちろん一切撮影禁止なので、会館の方の許可を得て、外観と外の像だけを掲載させて頂いています。

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突撃前、家族に送られた手紙にはあまりに日常のことが綴られています。子供は元気か?喧嘩はしていないか?昨日は暑かったですね。… 突撃の直前、最後の食事をしている写真… なぜこんなに笑顔なのか、いい顔をしているのか?これから死に向かって飛び立つ人の顔に見えないのが不思議で、その笑顔がとても悲しかった。会館から出てくる頃には涙で顔がぐちゃぐちゃになっていました。特攻隊員が決死の覚悟で飛び立ったことの意味は、再び日本に平和と繁栄が蘇るという願いでもあったはずです。今、私にできることは、この平和な時代に感謝し、彼らの犠牲の上に立って生かされていることを感謝するだけ。ありきたりな言葉になってしまいますが、戦争そして特攻隊などというものは二度と作ってはいけないと、恒久平和を願わずにはいられません。この地を訪れて本当に良かったと思いました。また、日本人として絶対に行かなければならない場所であるとも思いました。

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この後は鹿児島空港から帰りました♪ 行きの飛行機に乗り遅れてしまい、急遽陸路の旅になりましたが、行き当たりばったりの真冬の珍道中も最高の思い出になりました!!次からはフライトの時間、気をつけるぞ!!&県境またぎ バンザイ!!!

♪みのりのお仕事日記♪

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コメント (11)

知覧ってお茶のイメージしかなかったですが立派な街並みですね。歴史を感じます。鹿児島一回も行ったことないので行ってみたいなぁ。

こんばんは
 ついに、最終回ですね。
 乗り遅れが、出発点でしたが、なんか、食べて食べてな旅、
 県境またぎパカッな旅。リフレッシュが出来たようですね。
 これで、春まで、持ちそうでしょうかww
  次回の、旅日記(勝手にタイトルにしちゃうし)が、楽しみです。
 次回は、どの県境で、またぐのでしょうか。

 最後は、とても、シリアスでしたね。
 日本人として、あの、第2次世界大戦が、どんなものだったのか
 を、ずっしりと、想いを受け止めなければならない土地、場所な
 のでしょうね。みのりん。の、純真な心の想いが、涙となって、
 頬を伝わって流れていたのでしょうね。
 銅像の戦闘機のパイロットは、何を思って、最後の出撃をしたのかを
 想うと、この平和な時代生まれた、自分はなんだろう。
 日本のために、なにかしているのか・・・。いろいろ、考えてしまい
 ます。

 1月15日金曜日。イブニングeye。録画しました。永久保存っす。

知覧に私はあいにく行くことができませんでしたが、特攻隊の人々はひたすら日本の為、家族の為に、行きの燃料だけの爆弾抱えた戦闘機にのった事だろうか…(T_T) 関係のない韓国の人々も飛んだみたいですね(T_T) 特攻隊の韓国人の遺骨を韓国の遺族に返そうと頑張っていたおばぁさんの映画があったのですが、泣けて泣けて…(T_T) 次元の違う戦いをしている私は何?と考えてしまいました。こんな日本にする為に犠牲になった戦争の犠牲者の方々が可哀想です。(T_T)みのりんいい所を見学にいかれましたね。こうしたいろんな犠牲があったが故に今の私たちが生きているんだと思います。たった一度の命… 大切にしたいですね(T_T)

知覧の特攻、と聞いて思い出した映画があります。
「俺は、君のためにこそ死ににゆく」。
数年前の初夏に公開された映画でした。
確かに、あの映画の中にも、普通の日常のことが綴られた手紙が登場していたような・・・。
およそ、明日命はないであろう方が最後に記した内容の手紙とは思えない感じの、それは至って“普通”の手紙の内容だったように思います。
うまく表現できないのですが、そのことが逆に今となっては一層、悲しみを誘う、と言いますか・・・・。ありきたりな言葉でごめんなさい。


ここはもちろんのこと、広島の原爆記念館だったり、沖縄のひめゆりの塔だったり・・・・日本人なら一度は訪れるべき場所が、まだまだたくさんあるのかもしれません。

知覧特攻平和会館はこれからの日本の為にもとても必要だと思います。そしてこれからも戦争の恐ろしさ悲しさを若い世代に伝えていくためにも大切な場所だと思います。

なんか昔にタイムスリップしたような町並みですね。
今も世界では自爆テロ等で多くの人が亡くなっているので、
早く日本のように、世界中が平和になればいいのにと思います。

次はちゃんと時間確認しないとね!!
県境またぎもいいけどネ♪

きれいな町並みですなぁ〜
いかにも南国らしい石垣と生垣に挟まれた通りは実に風情がありますなぁ〜
まさか地検までとは… 徹底していて素晴らしいですね。

特攻隊に関してはいろいろ考えさせられますね。
軍国主義の下、資源の乏しい日本が長引く戦争の中でとった非情な作戦ですね…
当時の社会情勢の中でこの作戦が果たして良かったのか悪かったのか。
でも、戦場に散っていった特攻隊員の「国を守りたい、家族を守りたい」という気持ちは紛れもなく本物ですよね。
先人達のおかげで平和な日本でくらす事ができる我々は、形は違えどもこの『想い』をしっかり受け継いでいかなければいけませんね。

戦争、他界してしまいましたが僕の祖父は戦争経験者でした。僕が小さい頃戦争で負傷した左足のすねの部分(手榴弾の破片で)、左肩(鉄砲で撃たれて弾が入ったまま)を見せてもらったり触ったりしました。そしてよく戦争の話を聞かされましたが、言葉が悪いかもしれませんが、その頃戦争の話に興味がなく戦争の話になるとすぐに何処かにいったりしてしまいました。僕が戦争の恐ろしさを知って関心を持ち始めた時には祖父はもう亡くなっていて、戦争の悲惨さ、恐ろしさをもっともっと聞いておけばよかったと、後悔しました。祖母から聞いた話ですが、長崎に原爆が落とされた後、祖父が警備として召集かけられて長崎に行った時、空爆があって市民の人達を非難誘導してる時に、なにげなく上を見たら黒い物が降ってきたらしいんです。その時に祖父は爆弾だと思い死を覚悟したんですが爆発しなかった。近くに行ってみたら爆風で飛んできた黒こげになったタルだったって話を聞きました。祖父が生きていれば戦争の恐ろしさを沢山語ってくれたかもしれません。戦争経験者が年々少なくなっていき、実体験を聞ける機会がなくなっていく・・・そして関心がなくなる・・・これはあってはならない事で忘れてはいけない事です。罪もない人達が大勢殺されて、戦場に行った人達も国の為に死んでいく。戦争で亡くなった方々の死を絶対に無駄にしてはいけないので、簡単に死を覚悟させる、簡単に人を殺せる戦争は起こしてはいけないし、やってはいけない、とみのりんのブログで改めて思いました。みのりん、最後はホント良い所に行ったと思います。
今回のコメントはいつもらしくないんじゃない!?って感じだけど、たまには真面目にって事で。(片手拝みのポ〜ズしながら)

はじめまして。知覧、特攻と言えば鳥濱トメさんが有名ですね。
冨屋旅館には行かれたのかな・・ 自分も一度行ってみたいと思います。
「ホタルになって帰ってくるから、追いはらわないでね」 それだけで号泣しそうです。

特攻隊や戦争については、置かれていた状況で
視点の違いから矛盾点が浮かび上がり、
一言で述べるには複雑な顔がありすぎますね……。
旅客機の発達は皮肉にも、戦争時の戦闘機の存在と
その性能向上の結果とはいえ、戦争を肯定する訳には
いきません。
が、旅客機が海外を身近にしたことは間違いないでしょう。
ビジネス、レジャー。そして、国際結婚、移住等…
異国を行き来することが当たり前のようになって
久しいです。
でも、戦時中の人々よりも?便利で自由な現代に、
むしろ、逆に益々、人々の心というか、魂は荒んで、
平和等々の有難みが薄れてしまいそうです。
過去の日本での戦争も忘却の波に押し流されないように
今こそ、平和な時を常に感謝しなければならないでしょう。
それは、世界には紛争地域が未だある事実。
さらに、例え、停戦になっても火種があり、
戦争に巻き込まれ兼ねない状況もあり得ることをも考えれば尚更です。
思えば、小学生の頃、担任教師が
「お前たちが戦争に行くことがなければいいけど……」と話しかけられました。
幸いにも担任教師の取り越し苦労のような危惧のみで
過ごして来られましたが……。
今後、幼い子供たちがそんなことに遭遇しないように
日本と世界の平和を祈るばかりです。

●みのり夫さん
 食べてパカッ、食べてパカッ そして涙 の本当に濃い
旅でした。最後に知覧を訪れて本当に本当によかったです


●風車ー87 さん
 そうですね、私たちは特攻隊員の分まで一生懸命生きなければ
いけないと思います。どんな思いで飛び立っていったんだろう・・
と思うと今も胸をしめつけられる思いです

●特命捜査線 さん
 私も映画見ました。何なんでしょうね、あの日常感は… それが
無性に切ないのです。愛する子供、奥さんを残して死にに行く…
その気持ちが想像もできません。
広島の原爆ドーム、長崎の平和記念像、沖縄の平和記念資料館など
旅する県に戦争を語り継ぐ場所がある時はできるだけ行くようにして
います。次世代に伝えていくのは私たちの世代ですからね。

●吉田のたかさん
 そうですね、この記念館を見渡すと 若者の姿が多かったのが
印象的でした。やはりみんな涙していました


●ユーキ さん
 歴史はまた繰り返される・・・ではいけない。二度と戦争なんて
やっちゃいけないんだよぉ。でも私がこーやってのんきにブログを
書いている今もどこかできっと(涙)

そうそう、次回のフライトは、しっかり時間確認!基本のキだね!


●あかつき色のあめ玉さん
 「お国のため」という言葉も ??どこまで本気で言っているの??
と思っていましたが、手紙の数々を読んで、それは本物なのかもと
感じました。時代ってこわいなとも思いました。
亡くなった祖父が戦争の話をしてくれた時に、「日本が負けた後は
どのツラ下げて ただいま と戻ればいいんだ」と、本気で死のうと
思ったと言っていました。子供のころの私は全く理解不能でしたが
この平和会館を訪れて少しわかった気がします。でもまだ全部は
理解し切れていません。


●Bフレッツハナハナ さん
 おじいちゃまの貴重なお話… 子供のころは意味が解りませんよ
ね、、、仕方ないと思う、私もそうでした。私ももっとしっかり
聞いておけばよかった。でも、ハナハナさんが今おじいちゃまのお話を
もっともっと聞きたかったって思っていること、喜んでいらっしゃると
思う♪


●もと清水市民 さん
 いえ、その旅館にはいけませんでした、でもトメさんの石碑が
ありました。特攻隊員のおかあさん。関係が深かった分、受け止め
なければならない現実の重さも何十倍にもなったことでしょう…。
本当にすばらしい方だと思います。


●花の妖精さん
 考えさせられるコメントありがとうございます。
「過去の日本での戦争も忘却の波に押し流されないように」
正にそのとおりですね。戦後60年以上たった今、戦争を
経験された方が少なくなりつつあります、その二度とあっては
ならないこの現実を後世に語り継いでいくのは私たちしか
いません。もっともっと個人が戦争について詳しくなって
興味をもってもいいんじゃないかなって思います。
だから私はこれからも自分のできることはしたいから、まずは
自分の足でその地を訪れて感じていきたいと思います。

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2021年3月にSBSを退社しフリーアナウンサーになりました!4月からは夕方ニュースのキャスターを担当しています。

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