「これが最後、東京までやり残さない」 車いすバスケ/4大会連続出場 藤本怜央 悲願メダルへ36歳エースの覚悟

(2020/1/3 09:50)
一時帰国し、宮城MAXの練習で汗を流す藤本怜央選手=2019年12月、宮城県障害者総合体育センター

 これが最後と決めている。車いすバスケットボール日本代表の藤本怜央選手(36)にとって東京パラリンピックへと続く道は、世界中に置いてきた忘れ物を探しにいく旅路でもある。
 2004年アテネから4大会連続出場し、最高は7位。4年前のリオデジャネイロ大会は9位に終わった。日本選手団全体の主将として他競技のメダリストと一緒にガッツポーズを要求された時、カメラの前で込み上げたのは、悔しさよりも応援してくれた人への申し訳なさ。
 「もう後悔したくない。いかに苦しむか。東京まで何もやり残さないと決めたんです」。メダルに向け、バスケを楽しむことをやめた。「誰のためにやるか。日の丸を背負う覚悟はあるか」と自身に問い続ける日々。参加することに意義がある、とは思えない。
 小学3年生の時に自転車でダンプカーと衝突し、右膝下を失った。父泰年さん(62)=島田市鵜網=は失意の底に。息子の足を大切に抱え、火葬場に向かった日を忘れない。「ばったり会った知人に『それ何だええ』って。その時ぽろぽろ涙が流れてきた。でも医者は『つらいのはこの子だ』って」
 藤本選手には自分が落ち込んだ記憶はない。「これがあれば何でもできる」と両親が探してきてくれた義足を使い、サッカーにも陸上にも挑戦した。車いすバスケとの出合いは大学生の時。恵まれた体を生かし、2年で日本代表に駆け上がった。
 拠点があるドイツと行き来する36歳の体は疲労の回復が遅くなった。日本の絶対的なエースとはいえ、若手に対し攻守の切り替えのスピードで「かなわねえ」と思う瞬間もある。
 5年前には右肘に激痛が走った。主因はシュートの打ち過ぎだった。周囲に隠して臨んだリオ大会から1年後、メスを入れた。今も真っすぐに伸ばすのは難しい。「でも、最高のパフォーマンスを見せられる自信はある」。選手としての下り坂を受け入れつつある今、頼りにするのは豊富な経験が支える「先を読む力」だ。
 「東京の後、健常者も楽しむ競技になればいい。卓球のラケットみたいに体育館で車いすを貸し出して、終わったら整理整頓して」。メダルは「僕の一番のサポーター」という両親の首にかけるつもりだ。その時、競技を取り巻く景色は一変するかもしれない。

 ふじもと・れお 島田北中、島田工業高出身。アルミ製品製造販売のSUS(静岡市)の社員。昨年5月に宮城MAXの日本選手権11連覇に貢献。ドイツではハンブルガーSVでプレーする。ポジションはセンター。

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