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鎌倉殿の13人 八重姫ってどんな人?

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、人気俳優の新垣結衣さんが演じている八重姫(やえひめ)。源頼朝と一度は結ばれたものの、運命に翻弄されて命を落とした悲運の女性です。経歴と、伊豆の国市と伊東市に残るゆかりの地をまとめました。
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 〈静岡新聞社編集局TEAM NEXT・鈴木美晴〉

源頼朝と悲恋の末に入水

 八重姫は、伊豆地方の豪族・伊東祐親の四女。祐親は、平治の乱に源氏方が敗れて蛭ヶ小島に配流されていた源頼朝の監視役だった。祐親が京都で大番役を務めていた間に、八重姫は頼朝と契り、千鶴丸という子どもが生まれた。祐親は平家への恩義と娘への愛情に悩んだ末、3歳にも満たない千鶴丸を轟ケ淵(伊東市)に沈め、八重姫を館に幽閉したと伝わる。

会見で見どころを語った新垣さん(左から2人目)©NHK
会見で見どころを語った新垣さん(左から2人目)©NHK

 頼朝は北条時政の館へ避難。八重姫は頼朝への思いから、6人の侍女と共に館を脱出。現在の伊東市と伊豆の国市の間に位置する亀石峠を越えて北条の館へたどり着いたが、その時には既に頼朝は北条政子と結婚していた。

 愛する頼朝と結ばれることができず、伊東の館にも引き返せない八重姫。「吾は不幸にしてこの世を去るも魂は永くこの土に留まって女人の守護神とならん」。そばに立っていた梛(ナギ)の木を折って、守山山麓を流れていた狩野川の支流・激流の真珠ケ淵に身を投げたとされる。悲しみに暮れた侍女たちも自害し、八重姫の後を追った。後に侍女たちの慰霊碑が建てられ、「女塚」と呼ばれている。 

 千鶴丸を巡っては、平家の処刑の残酷さを知っていた祐親が密かに甲斐源氏に逃していたという説もあるという。

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、新垣結衣さんが演じている。仇討ちで知られる曽我兄弟の叔母としても知られる。

■ゆかりの地① 真珠院(伊豆の国市)女性の守護神としてまつる

 伊豆箱根鉄道の伊豆長岡駅の北西約1キロ。伊豆の国市中條の守山の南麓に、頼朝との悲恋で命を落とした八重姫をまつる真珠院がある。真珠院の目前を流れる支流の古川と狩野川とが合流する場所が、八重姫の入水した真珠ケ淵であるとされている。

真珠院の八重姫御堂(静堂)。
真珠院の八重姫御堂(静堂)。
 頼朝から冷遇された源義経の愛妾・静御前が、境遇の似た八重姫親子に同情して、真珠ケ淵近くにほこら「静堂(おしずかどう)」を建て供養したと伝わる。以降、八重姫は「お静さん」と呼ばれ、縁結びや子授けの神とされた。その後、静堂は真珠院に移された。昭和47年の七夕豪雨で静堂は損壊したが、地元有志により平成3年に再建された。
 現在も境内の静堂には、八重姫の供養塔と木像が残る。八重姫が入水した時に手にしていた植物・梛(ナギ)の木も静堂の横に立つ。幹回り2メートルにもなるこの梛が当時のものかは定かではない。梛の葉は葉脈が縦に延びるため、横にちぎれないことからお守りとして功徳があるとされる。
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ナギの葉は記念品、お守り、しおりなどとして、持ち帰ることができる

 「もし梯子があれば姫を救えたのに」という里の人たちの思いにちなんで、参拝者が祈願成就の際に手作りの小さな梯子をお供えする習わしがある。ことしは108個限定で、沼津市の信徒が作った竹細工の梯子も用意している。
 毎年4月には「八重姫祭り」が開かれ、餅まきや縁日などで賑わっている。ことしはコロナ禍のため餅まきなどの実施は未定だが、供養法要と式典は執り行う予定。

ゆかりの地② 音無神社(伊東市)頼朝との逢瀬の地

 伊東市の中心部を流れる伊東大川(松川)の東側にある音無神社(おとなしじんじゃ)。かつてこの地にあった「おとなしの森」で、配流されて一時期は伊東に暮らしていた源頼朝と八重姫が逢瀬を重ねたとされる。境内小社の玉楠神社には源頼朝と八重姫がまつられている。この他、シイの木がムクの木を抱擁するように立っている。これは史実では別れてしまったものの、本当は結ばれていたかった源頼朝と八重姫を思わせるとして縁結びの木とされている。

音無神社
音無神社
 御祭神の豊玉姫命(たよたまひめのみこと)はお産が軽かったと伝わることから、安産や育児の御利益があるとされる。穴の空いた柄杓(ひしゃく)を奉納する習わしがあるのは、「柄杓を水が通り抜けるように、すんなりお産できるように」との願いゆえだという。境内には市の天然記念物で樹齢約1000年の「タブの木」も立つ。
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尻をぶつけ合う尻相撲大会の参加者=伊東市の音無神社〈写真は2021.11.12 あなたの静岡新聞より〉

 1640年頃から神事が続くとされる奇祭「尻つみ祭り」でも知られる。暗闇の社殿で参列者が隣の人にお神酒を回す際、尻をつまんで合図したのが由来とされる。
 恒例行事の尻相撲大会では、狭い土俵に対戦者が背中合わせで乗る。おはやしに合わせて踊った後で「どどんがどん」の合図で、互いに尻をぶつけて落とし合う。